デリカシーのなさ
「土足のままで上がり込む」という言葉があります。
土足で上がり込む(土足で踏み込む)のは、家の中に履き物を履いたまま入るという意味で、日本ではマナー違反とされています。
そこから、「人の心に土足で上がり込む」というように、相手の気持ちを平気で傷つける無礼な言動をさす慣用句でもあります。
「デリカシー」という言葉があります。
感覚・感情などのこまやかさ、繊細さ、微妙さを言います。
またまた情報番組に怒りや疑問の声が相次いでいるそうです。
歌丸師匠の訃報は多くの情報番組で報じられ、秘蔵映像などが盛り込まれた特集も組まれたそうてす。
これは、師匠の功績から見れば、また知名度や人気を考えれば極めて当然だと思います。
ところが、師匠の自宅前から中継するという・・・暴挙が。
スタジオからの呼びかけに応じたリポーターは、「1時間ほど前から待機しているのですが、まだご家族の姿は見られません。報道陣も続々と集まってきました」と、自宅前の状況を報告。
また、近隣住民や付近の商店街の人たちに「亡くなる前の歌丸さんの様子」について取材した内容も紹介したそうです。
この「自宅前からの中継」には、さすがに怒りや疑問の声が上がっているようです。
「人が亡くなってるのに自宅に行くとか、何の為? 気分悪い!」
デリカシーのなさをたしなめるような常識のあるマスコミ人はいないんでしょうね。
こういう無礼もさることながら、よく、暴風雨の場所に立って、事故等の処理作業中の場所で、犯人(容疑者)のいる警察署の前・・・、危険、邪魔、無意味も分からずに中継
しています。
酷い時には、周囲の人に迷惑をかけたり、危険な目に合わせたりしているのに、「独占中継」なんてバカをほざいています。
最近、容疑者や怪我人などが搬送される時など、ほとんどブルーシートで覆っていますが、あれも余計な映像が撮られて拡散してしまうからでしょう。
こんなのは、二次災害・人災だと思います。
個人情報や機微情報を扱うマスコミが、報道という錦の御旗の下で、自ら個人情報を盗みに行って拡散しているということです。
「偲ぶ」という言葉があります。
過ぎ去ったり遠く離れたりしたことや人を、懐かしむ気持ちや賞賛・同情の気持ちをもって思い出す。
「悼む」という言葉があります。
人の死を悲しみ嘆く。
・・・彼らは、「静かに」家族の死を悼み、「穏やかに」故人を偲ぶ邪魔をするのが仕事なんでしょうか?