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2018年7月29日 (日)

流三「子別れ」

台風やら、師匠のことやらで、異例な対応を迫られましたが、実はとても楽しみながらの落語会でした。
こんな嵐の中、足を運んでくださった40名ものお客さまに感謝したり、仲間の素晴らしい高座を聴きながら、何か三流亭の色がしっかり出すことが出来たと実感出来ました。
流三「子別れ」
さて、「問題はおまえだろ」・・・、そうなんです。
落語の稽古を続けて来て、師匠から直接間接に多くのアドバイスを頂戴して、今の段階で思うのは、どれだけ自然な表現が出来るかということです。
これは・・・、どうだろう、ここ2年ぐらい前から、特に自覚するようになりました。
パワーやペースで聴き手に迫るのではなくて、私の語りに聴き手が食いついてもらえるようにする。
どれだけ自然体で出来るか。
しかし、自然体ばかり意識すると、何のインパクトもないおしゃべりになってしまう。
「文七元結」や「人情八百屋」や「不孝者」をやり、対極的な「牡丹燈籠」をやってからかなぁ。
人の姿をそのまま描くこと。
「火事息子」も「おせつ徳三郎」も、演読を繰り返して、その中で、登場人物に自分なりのキャラクターを入れて行く作業。
このおかげで、本番1週間前でも、高座本も手放せず、通してさらうことも出来ず、実はかなりのストレスではありました。
今回も、全くそのパターン・・というより、一番出来上がらなかった。
そんな私の急ごしらえの噺を聴いてくださった方から、感想をいただきました。
流三さんの「子別れ」の、亀ちゃんとお父っつぁんのやり取りで、2人を別の人が演じていると思う瞬間があったと思いました。
また、亀ちゃんが変に可愛いすぎるわけでもなく、といって生意気でもなく、どこにでもいる普通の子供だったことが物語の核を色濃く浮かび上がらせているように思いました。

・・・私が消えて、親子2人が浮き上がったと言うことなら、師匠から言われている境地。
もう1人の方からは・・・。
お父っつぁんが、等身大の人間になった気がしました。
過去の放蕩が信じられないくらい改心したおとっつぁん、ではなく、過去から続いていて、一人の人間としてある、という感じ。
そう、まさに、いつも言っている、「業の肯定」ですね。

・・・また一つ、大きな勉強をさせてもらいました。
しかも、「子別れ」という、私にとって特別な噺で。

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