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2018年7月 3日 (火)

「歌丸師匠の評価

歌丸師匠にこんな評価をされる方がいらっしゃいます。
「桂歌丸さんの最大の功績は、落語という芸能を世の中に広く知らしめたことに尽きると思う。
テレビラジオの演芸番組が衰退するなか、もし笑点が無かったら今の落語界はなかったかもしれない。
笑点は落語番組ではないけれど、落語のエッセンスを手軽に楽しめる「落語広報番組」としては超優秀だった。」

「落語に関わらせてもらっている者としては、歌丸ロスが全くないといったら嘘になる。
やはりその功績は大きい。
でも、やっぱり一番の功は『笑点』での活躍だと思う。
地方でのネームバリューは一番だったのでは。
だからメディアでの「大喜利で終わりたくない」云々という表現の扱い方には注意したい。」

・・・全く異論はありません。
jj
が、「笑点」での功績は、貢献度の多い噺家さんの中の一人だということだと思います。
マスコミが採り上げるから、そんなイメージなのかもしれませんが、私は、噺家としての姿勢と成果こそが大きな功績だと思います。
笑点初期の頃、三遊亭小円遊師匠との掛け合いで受けていた若き歌丸師匠は、当時まだ新作をやっていたし、あの頃から痩せていましたから、正直なところ(失礼ながら)"際"にいる噺家さんというイメージでした。
jj
笑点の解答者の中でも、取り立てて目立つ、引っ張る存在ではなかった気がします。
個人的に言わせてもらえば、昭和50年前後の頃は、圓楽師匠、こん平師匠、木久蔵師匠の方が目立っていました。
そんな歌丸師匠のイメージが大きく変わったのは、やはり古典落語に取組まれてからだと思います。
私は、落語芸術協会の芝居をあまり聴きませんから、歌丸師匠の高座を聴かせていただく機会も多くはありませんでした。
それまでの新作の噺家さんのイメージも強かったので、なおさらだったと思います。
古典落語に注力し、さらに怪談や人情噺に傾注して、イメージがガラリと変わりました。
ちょっと鼻にかかった、しかし滑舌の良い語り口調は、目を閉じて聴くと、とても気持ちが良かった・・・。
jj
しかし、あの痩せた身体と表情は、晩年になって慣れはしましたが、昔の面影が残っていて、やや違和感を感じたものでした。
しかし、振り返ってみると、三遊亭のお家芸・十八番であるはずの、「怪談牡丹燈籠」「怪談乳房榎」「新景累ヶ淵」「江島屋騒動」などの圓朝ものや人情噺を、これだけ練り上げたのは、歌丸師匠でした。
jj
横浜にぎわい座や国立演芸場での高座の数々の録音を聴くにつけ、圓生師匠亡き後、圓朝の魅力を受け継いでくださったのは、歌丸師匠が最右翼ではなかったかと。
仮に、僭越ながら、私が怪談にチャレンジするとするならば、勿論、圓生師匠をまず聴きますが、恐らく、一番参考になるのは、歌丸師匠の映像や音源だと思います。
笑う点(笑点)よりも、こういう点を、私は歌丸師匠の最大の功績だと思っています。

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