一文笛
千早亭落語会で、ワッフルさんが「一文笛」をネタ出ししました。
ちょっと気になることがあったのですが、いつも稽古の時は、私が行く頃にはワッフルさんは終わっていて、なかなか聴くことが出来ないので。
昨日、落語っ子連の稽古の後、吉窓師匠の「寄席踊り」の稽古に来たワッフルさんに会えたので、聴いてみました。
「一文笛」のオチで、「俺はギッチョだから」と言っていないかと。
この噺は、桂米朝師匠作の名作だと思いますが、私は、このオチが引っ掛かっていました。
幸いなこと?に、ワッフルさんは、東京落語会(日本の話芸)で、三遊亭円楽師匠のを聴いてやりたくなったとのことで、円楽師匠は「左利き」でやっていたようです。
だから、全く無頓着でした。
そもそも、この噺について、調べたりしていないみたいです。
そんなものかなぁ。
自分が好きで演じる噺の背景とか経緯とか・・・、興味が湧かないのかなぁ?
米朝師匠の「一文笛」のあらすじです。
寄席では三棒(三坊)と言って、つん棒、けちん棒、泥棒のはなしはしても良いとなっています。今回は泥棒の噺ですが、江戸落語に出てくるようなドジで間抜けなドロボウとは違います。
スリには名人芸のような鮮やかな方法でスリ取っていくのが居ます。
街中で声を掛けられた。
立ち話もなんでと、茶屋に入って甘酒を二つ所望した。
聞くと「良いタバコ入れを持っている。
そのタバコ入れを3円で買いました」
「どういうことで・・・」
「実は私、スリで・・・、驚いてはいけません。私らの仲間が、あんさんのその角帯の煙草入れに目を付けまして、堺筋で『えぇ品やなぁ、欲しぃなぁ』と思たらしぃんで、へぇ。でも、スキが無くてどうしてもスレない。そこで仲間にスル権利を1円で売った。しかし、そのスリもどうしても抜けない。南に出てきたら元江戸っ子で「隼(はやぶさ)」とあだ名をとった、すばしっこい仕事の達者なやつでんねん。これがそれを聞ぃて『よ〜し、おいらが一番』と、こいつ二円で買いよりましたんで、へぇ。それを御蔵跡(おくらあと)のあたりで追い付きましたら、まだこいつもよぉ抜いてしまへんねん。そこで私が3円で買ったというわけです。それからズ〜ッと一心寺の前を通って狙わしてもらいましたんやが、どぉしても抜き取ることがでけまへん。とぉとぉ西門(さいもん)まで来てしまいました。天王寺さんへご参詣ですか。普段の日で人通りが無くなお取ることが出来ません。恥を忍んでお願いしたわけです。中に入っているキセルは別にして20円はしたでしょうから、道具屋へ払い下げたと思って10円で
譲って欲しい」
「これ道具屋へ売りに行たかて十円で買ぉてくれるかどぉか分からんが、しかしあんた、先三円出してなはる。十三円も出して、これ引き合いますか?」。
「アホらしぃ、そんなもんが引き合いますかいな。損は覚悟の上でおます、へぇ、もぉ『誰もよぉ抜かなんだやつを見事にわしが抜いてきた』と、自慢したいだけでお願いしとりまんねん」
「そこまで言われたら10円で良いですよ」
「では気の変わらんうちに、どぉぞこれ内緒にお願いします」。
スリは茶代を置いてそそくさと居なくなった。
10円で売れた事を儲けたと思っていたら、「無いッ、財布が無いッ!」。
「なぁ、みんな。仕事といぅのはこぉいぅ具合にせなあかんぞ。えぇか、煙草入れと思たらお前ら『煙草入れ、煙草入れ、煙草入れ』と、思っているからダメなんだ。煙草入れで抜きにくかったら形を変えたらえぇ、な、これが兵法ちゅうんや、分かったか」。
そこに兄貴が現れ、その気量を良い方に使えば一人前以上の人間になるのに・・・、「足洗へ」。
「それより兄貴の方こそ戻ってきてくれ」
「真面目に言っているだ」
「金取られてもどうでも良い奴や、金持たさん方が良い奴しか狙わないから、いつも貧乏しているんだ」
「ほぉ、偉そぉなこと言ぃやがったなぁ。ほんならお前、今日うちの長屋で何であんな真似したんや?」
「行ったけれど留守だし、兄貴の長屋では仕事はしない」
「一文笛だ」
「何を言ぅのかと思たらあれかい、あらわしじゃ。おまはん留守やったさかい、わしゃ帰りかけたんや。フッと見たらあの角の駄菓子屋のとこに子供がぎょ〜さん集まってんねや。『何かいなぁ?』と思たら、卸屋がゴソッとあれ一文笛っちゅうのかい、あのオモチャの安もんの竹の笛、赤やら青やらに染めたぁるな、あれを降ろしてたとこや。子供が集まって来て、こいつをピィピィピィピィ吹いてるやつがある、あれ買お、これにしょ〜かと選んでるやつがあるわい。みな面白そぉに騒いでんのに、一人だけちょっと離れたところでな、みすぼらしぃ着物、洗いざらしの着物を着て、散髪がボサボサに伸びた痩せぇた子ぉが一人、離れて立って見とぉんねや。指くわえて見てたけど、みんながあんまり面白そぉにしてるもんやさかい、自分も遠慮しながらそばへ寄って行て、一本笛を抜き取ってこぉ見てたら、あの婆。おら、あっこの婆、前から顔見ただけでムカムカするよぉな婆やで。恐い顔してその笛をシューッと引ったくって『銭のない子ぉはあっち行てんか』と、こない言ぃよった。
ムカ〜ッときてな、おのれの小さい時の姿見るよぉな気がして『この婆』と思たさかい、通りしなにあの笛ちょっと一つ取って、あの子供の懐へ放り込んで帰って来たんや。それがどないぞしたんか?」。
「やっぱりお前やったんや・・・、あの後どないなったと思う? 子供、懐へ手ぇ入れたら買ぉた覚えのない笛が出てきた『おかしぃなぁ』と思ったけど、そこは子供や、口へ持っていってピィと鳴らした。ほな、婆がこいつ見付けて『お前に買ぉてもぉた覚えはない、さては盗ったな盗んだな、泥棒、盗人』ちゅうて親父のところへ引っ立てて行ったんや」。
親父は元侍・士族で曲がったことはさせていない。子供が何とあやまろうが許さなかったので、泣きながら出て行って、井戸に身を投げた。
「長屋のもんがビックリして、じきに引き上げた。息は吹き返したけれども、ズ〜ッと寝たきりで未だに気が付かん。わしゃ仕事から帰って来て、この話聞ぃて、お前が来たっちゅうこと聞ぃたさかい『こらひょっとしたら秀の仕業や』と思て出て来たんやが・・・。おい、お前、何ぞえぇことでもしてたよぉに思てんのと違うか? 子供が可哀想やと思たら、高々五厘か一銭のオモチャの笛、何で銭出して買ぉてやらん。それが盗人根性ちゅうねや。子供が死んだら、お前、どないすんねや?」
「す、すまん」
「わしに謝ったかてしゃ〜ないやないかい」
左手が内懐へ入ったかと思うと、匕首(あいくち)を抜き出しまして、右手の人差し指と中指を敷居の上へ、乗したかと思うと、これをポ〜ンッ!と切断。
「な、何をするッ」
「おら、今日からスリやめる、盗人やめる」
「おい、紐持って来い、紐。指の根元グ〜ッとくくれ、血が止まるまで・・・。思い切ったことやりやがったな、こいつ」
「わしゃ盗人よりほか、何にも知らん人間や。今日から万事頼む」
「どんなことがあっても一人前の男にしてみせる。あしたでも明後日でもえぇ、うちへ来い、何ぼでも相談に乗ったるさかいな」。
翌日秀が長屋に来たが、子供はまだ寝たきりであった。
伊丹屋という酒屋には洋行帰りの医者が来るが、金が好きで貧乏人嫌いなやつ。
その医者に診てもらったら「放っといたら、まぁ八分ぐらいは死ぬ。助かっても頭がアホになる」しかし、「これをすぐ入院さして手を尽くしたら、今度は逆に八分まで請け合う」と言う。でも「入院さしたかったら、これに書いてあるとぉりにして手続きを取りなさい。二十円といぅ前金を用意して」とあっさり言って帰って行った。
今頃、伊丹屋でほろ酔い気分でいるだろう。
「おいッ! これッ、どこ行くねん? こらッ!」
「兄貴、何ぁ〜んにも言わんとなぁ・・・。この金で子供入院さしたってくれ」
「何じゃ、この財布?」
「四、五十円入ってるはずや」
「どないしてんお前、これ?」
「酒屋の前行たがな。隠れてたらな、みんなに送られてあの医者、酔ぉて千鳥足や。ご機嫌でこぉ出て来たさかい、わしゃフッとすれ違いしなに、ちょっと頂いて来たんやけど」
「そんな顔しないな、約束破ったんは悪いけどなぁ、あの子に死なれたら、わしゃどないしてえぇや分からん。な、なッ、この金かてや、ちょっといっぺんこっち通るだけで、また医者の方へ戻るんや、ズ〜ッとまた向こぉへ帰んねやないかい。おい、人間の命に関わるこっちゃ、なッ、あの子がもぉ命大丈夫や、頭も確かやっちゅうことが分かったら、わしゃ懲役へでもどこへでも行くがな。今だけちょっと見逃してもらいたい」、
「そらまぁ、人間の命に関わるこっちゃさかい、見逃すも見逃さんもないけど、しかし、お前は名人やな〜おい。この指二本飛ばして、よぉこれだけの仕事がでけたなぁ?」
「兄貴、実はわい、ギッチョやねん」。
・・・その「ギッチョ」という言葉なんです。
意味は、サウスポー、左利き、左器用(ひだりぎっちょ)の左が脱落したもの。
これは感覚的なものかもしれませんが、米朝師匠が上方弁で「ぎっさちょやねん」と言うと、あまり違和感がないし、ある意味方言的に受け入れられる部分があるのですが、東京の噺家さんが「ぎっちょ」と言うと、どうも違和感がある。
以前、林家正蔵さんを聴いた時に、この一言で引いてしまった気がしました。
この言葉はテレビで放送禁止用語として扱われることもあるため、差別用語と認識している人も多いようです。
高齢の方の中にはこの言葉を使う人がいるようですが、最近は使う人が少なくなっています。
なぜ左利きの人がぎっちょと呼ばれているのか、その語源を調べてみました。
◇平安時代の遊び
平安時代には毬杖(ぎっちょう)という、木製の槌をつけた杖(ゴルフクラブのようなもの)を振って毬(ボール)を相手陣に打ち込むという、こどもの遊びがあった。
ホッケーみたいなもの。
木製の槌をつけた杖のことも毬杖と呼んだ。
この遊びを左利きの人が行うことが左毬杖(ひだりぎっちょう)とされ、それが「ひだりきっちょ」「ぎっちょ」の語源だとされた説。
◇正月の行事
左義長(さぎちょう)と呼ばれる、小正月に行われる火祭りの行事がある。
その年の正月に使った門松や注連飾りなどを燃やす儀式。
この左義長(さぎちょう)という言葉が変化して、「ぎっちょ」となったという説。
ちなみに、毬杖を束ねて燃やした儀式が左義長の元とされている。
◇左器用が変化
左器用(ひだりきよう)という言葉がなまって、「ぎっちょ」となったという説。
「ひだりきよう」なら「ひだりきっちょ」となり、それが「ひだりぎっちょ」「ぎっちょ」となった。
・・・語源の諸説からは、差別用語のようなニュアンスは出て来ませんが、後になって差別的な意味合いを込めて使われるようになった言葉は多くありますので、放送用語のことですから、保守的になっているのでしょう。
私は、差別用語とまで言うつもりはありませんが、江戸落語の感覚で言えば、「左利き」で十分オチの意味が伝わると思います。
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