マクラのこと
先日の「大手町アカデミア」で、柳家権太楼師匠の講演を聴きました。
質疑応答で、マクラのことについて質問がありました。
受講者から「同じマクラを聴く時があるので、新しいマクラを期待している」というような趣旨の発言がありました。
権太楼師匠は、「マクラは噺の一部であること、落語という演芸がマンネリ(同じ内容を繰り返して聴いてもらう)演芸であることから、基本的にはマクラは変えない」という趣旨を答えられました。
「新しいマクラが聴きたかったら、別の人(噺家さん)を聴いてください」と仰いました。
芸能とは、落語に限らず「マンネリ」を楽しむものだと思います。
落語で、同じ演目を何度聴いても面白いのは、そのマンネリがあるからだと思います。
考えてみれば、歌も、演奏も、踊りも、芝居も・・・同じ気がします。
同じ演目でも、別の人(グループ)で鑑賞する楽しさもあります。
以前、音楽をやっている方と話した時、私が「落語の魅力は究極のマンネリズムだと思います」と言ったら、「音楽も同じです」と言われました。
テレビの「水戸黄門」では、8時45分頃になると、「控えおろう!このお方をどなたと心得おる。先の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ。頭が高ぁい!」の助さんの台詞があります。
45分間、みんなこれを待っています。
「ははッ、はぁーッ」とひれ伏す悪代官を見て、茶の間は溜飲を下げています。
「よそう、また夢になるといけない」「親をかごかきにした」「てっきり猫だと思いました」「おじゃんになるといけない」・・・。
このオチの一言が言いたくて、マクラから始める訳です。
確かに、マクラは付け足しではなく、噺の重要な構成、大切なプロローグなんです。
発表会などで、マクラだと言って、自分の近況などを雑談的に語る人が多くいます。
なかなか工夫をして面白い人もいますが、逆にその雑談が面白かったりすると、かえって噺の本題に入った途端に詰まらなくなってしまったり・・・。
「マクラも噺の一部」、いや「マクラは本題だ」ということです。
« どっちもどっち? | トップページ | CT画像 »
「落語・噺・ネタ」カテゴリの記事
- 稽古をした演目(2020.09.09)
- 十八番(2020.07.13)
- 「紺屋高尾」と「幾代餅」(2020.06.18)
- 落語DEデート(2020.05.24)
- 古今亭志ん朝を聴きながら(2020.05.23)