「紺屋高尾」と「幾代餅」
落語には、同じ演目でも東西でストーリーが違っていたり、違う演目でもストーリーが似ていたり、様々なパターンがあります。
「時そば」と「時うどん」、「蕎麦清」と「蛇含草」、「酢豆腐」と「ちりとてちん」・・・。
「紺屋高尾」と「幾代餅」(と「搗屋無間」)というのもあります。
この噺は、かなり以前に採り上げたことがありました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/05/post-3199.html
これもちょっと前ですが、京須偕充さんが、触れていました。
「紺屋高尾」と「幾代餅」はどこが違うのか。
そんな質問をよく受けます。
「紺屋高尾」は元来が講談で、落語より先に浪曲で大ブレークした噺、「幾代餅」は「紺屋高尾」を少し簡略化して、同工の「搗屋無間(つきやむげん)」
を加味したものではないか、と答える気もなくなるほど、近頃は「紺屋」と「幾代」の雑種化が進んで、もう題名を分ける意味もないほどです。
それが悪いとは一概に言えません。
落語三百年の歴史はこうしたムーヴメントを呑みこんできたわけで、かの圓生がいた時代よりはだいぶ「幾代餅」化しています。
こんな古風な噺が志ん生、圓生の時代よりしばしば演じられるようになったのは、純愛ストーリーの持つ力でしょう。
一介の職人と全盛の花魁の身分のちがいなどはもう平成のテーマではなく、噺は現代の
演者たちによっていつのまにか純恋愛物語に変身をとげてきたのです。
・・・なるほど、「紺屋高尾」の「幾代餅」化ですか。
強いて、この2つの噺の違いだけピックアップしてみました。
【紺屋高尾】
①男=久蔵:紺屋(染物屋)の職人
②お相手=高尾太夫
③後日談=夫婦で(同じ)紺屋の暖簾分け
【幾代餅】
①男=清蔵:米屋の奉公人
②お相手=幾代太夫
③後日談=夫婦で餅屋を開く
【搗屋無間】
①男=徳兵衛:米搗き屋の職人
②お相手=宵山太夫
③後日談=無し〜「オチ」がついて終わり
一般的には、「紺屋高尾」は三遊亭、「幾代餅」は古今亭・・などと言われていましたが、今はボーダーレス化している気がします。
例えば、柳家さん喬師匠は柳家ですが、「紺屋高尾」も「幾代餅も」両方お演りになるようです。
ある素人連で、志ん朝師匠に心酔している方が「紺屋高尾」をお演りになったそうなので、どうして「幾代餅」にしなかったのかをお聞きしたところ、男が花魁に若旦那ではなくただの奉公人だと告白する場面で、紺屋の染物職人の方が、藍で染まった手を見せた方がインパクトがあるからだと。
それでいて、それ以外は恐らく「幾代餅」っぽかったはずですから、私はどうも・・・?と思います。
どちらにしても、しっかりとした噺ですから、勝手にいい所取りをしても、パッチワークは邪道だと思いました。
受けや笑いを取るためなら、噺をぶち壊してしまいます。
人情噺やこういう類の噺は、滑稽噺とは違いますから、一本筋を通しておくことが必要だと思います。
ただ、京須さんが仰るように、純愛恋愛物語として「幾代餅」化しているのは、ある程度認めざるを得ません。
とは言え、誰がやってもいい噺というものでもないと思います。
最近は、女性が高座にかけることも多いようですが、これも「純愛」と捉えているからでしょう。
でも、これは「廓噺」なんですが・・・。
京須さんは、素直で妙に個性に走らない芸柄でないと、くすぐったくて聴いていられない噺だと仰っています。
私は、やるなら「紺屋高尾」で演ります。
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