「青菜」で
「大手町アカデミア」で、柳家権太楼師匠が、「青菜」という噺を例に、落語の演者の了見を説明してくださいました。
まずは、「青菜」という噺の舞台。
夏の暑い日、その家の主人は、日陰になっている縁側に座って、おかみさんに支度をさせた酒(柳影・なおし)を、鯉のあらいと菜のおひたしを肴に飲んでいる。
この家の庭には、職人が入っていて、こちらに背を向けて煙草を吸っている。
植木屋には、主人がこちらを見ていることなど分からない。
・・・こんな舞台・場面から入ります。
この時に、どんな大きさの家、どんな広さの庭、庭にはどんな植木が植えられているのか。
演者は、この場面のあらゆるディテールをしっかりと設定している。
それは、決して聴き手には言葉で説明していないし、落語には大道具も小道具もないから、聞き手にはみることも出来ない。
そこで、「植木屋さん、ご精が出ますな」と一言。
権太楼師匠は、この一言が、この噺の全てだと仰いました。
植木屋は、決して精を出していた訳ではない・・・、そんな場面。
聴き手はどんな映像を、頭の中のスクリーンに投影しているか。
これが、ぴったりと合った時に、落語は無限大に広がる。
・・・同じ趣旨のことを、柳家小三治師匠は、「囲いが出来た・へぇ」の小噺を例に仰った。
落語っ子連の稽古で、師匠もよく仰る。
演者が消えて、登場人物が浮き上がってくる。
そんな境地に至りたいものです。
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