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2018年5月27日 (日)

大変嬉しい講評

昨日の「火事息子」は、自分では納得の行かない出来だったので、やや意気消沈していました。
瞬時に登場人物になりきることの難しさと、言葉の引き出しの足りなさを痛感しましたので。
乱志グラフィティ
先輩からも、一つダメ出しを受けましたから。
そんな中、談亭志ん志師匠のご贔屓の方が、「火事息子」の感想を寄せてくださったそうで、それを私にも転送してくださいました。
【火事息子について】
高校2年の時でした。
TVで先代馬生の火事息子をやっていました。
それまでも落語は好きでしたが、人情噺より滑稽噺の方を好んでいたようです。
この時の馬生は迫力がありました。
(後期の枯れすぎた演出ではなかった。)
私は生まれて初めて、落語を聞いて涙してしまいました。
母親が、短い法被の裾を引っ張って必死に彫り物を隠す息子を見て、ただ「きれいだね」と言ったのです。
私は涙を流しながらも、その意味が分かりませんでした。
母親の、理論理性を超えた一途の愛をそこに見たのだと今になって思います。
今日の火事息子は、それを思い出させてくれました。
ありがとうございます。
金願亭乱志さんに、拍手、拍手。
乱志グラフィティ
・・・大変光栄なコメントに、身体が震える思いでした。
https://www.youtube.com/watch?v=YX83vzLuhjk
 ( ↑ 金原亭馬生師匠の「火事息子」です)
終演後の楽屋で、南亭蕪生師匠が「人情噺にしたんだね」と仰いましたので、「はい。圓窓師匠が人情噺でお演りですので」と。
私は、後半の父親と母親の、息子に対する対照的な姿を描こうと思いました。
父親の「前へ出ろ!」と、母親の「(彫り物が)綺麗だね」をキーワードにしました。
息子を思う父と母の違いを明確に描きたかった。
そして、それぞれを聴き手に納得していただきたかった。
父親の業、母親の業の違いを人情噺にして語りたかった。
「理」と「情」、「厳格」と「寛容」。
親ゆえに、根底に流れる、形こそ違え、子に対する深い思いを。
ですから、本当に嬉しいコメントでした。
そして、これからの大きな励みになりました。

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