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2018年5月31日 (木)

仙台城の大手門

9月の「OB落語会」のチラシ(案)に、仙台城の大手門の古い写真を入れてみました。
色追加
戦時中の空襲で消失し、再建されていませんが、往時を偲ぶ便(よすが)として。
現在は、大手門の脇櫓(隅櫓)のみ再建されていて、母校の川内キャンパスがあります。
再建の計画もあるようなので、とても楽しみです。
仙台城の大手門
そもそも仙台城は・・・。
慶長年間に伊達政宗が築造してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。
伊達政宗が築城した仙台城は約2万坪で、国内屈指の大規模な城だった。
幾度となく、地震などによる損害を受けながらも修復を繰り返し、奥羽越列藩同盟盟主として戊辰戦争を経るも、一度も戦火を見ることなく要塞としての機能を終えた。
その後、明治初期から大正にかけてその大半が失われた。
数少ない遺構だった大手門、脇櫓、巽門は国宝(旧国宝)に指定されていたが、第二次世界大戦時の仙台空襲により焼失した。
旧三の丸に所在する仙台市博物館から徒歩で向かうと、三の丸の遺構とともに、山頂に 築かれた巨大な石垣を目の前に本丸に登ることが出来る。
本丸からは、仙台都心と仙台平野の北部を一望出来る。
隅櫓北西の旧二の丸はもっとも広大であり、現在、東北大学の敷地となっている。

・・・私は、「青葉城」と言った方がピンと来ますが、2003年に国の史跡に指定された時に「仙台城」で登録されたため、最近では「仙台城」の方が一般的になっているようです。
大手門があった頃と現在の比較です。
仙台城の大手門
仙台城の大手門http://www.city.sendai.jp/shisekichosa/kurashi/manabu/kyoiku/inkai/bunkazai/bunkazai/joseki/
https://wondertrip.jp/history/91986.html
「遅れて来た英雄」「独眼龍」「貞山公」伊達政宗が、400年前に作った城です。
「荒城の月」を作詞した、仙台出身で旧制二高の教授だった土井晩翠は、この城をイメージしたと言われています。

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