« 三越落語会 | トップページ | 覚えられない・・・ »

2018年5月19日 (土)

我が家に初めて来た車

あと1年足らずで「平成」が幕を閉じることになります。
幼い頃、「明治・大正・昭和の三代を生き抜いた・・・」なんて、よくドラマの宣伝コピーに使われていました。
「激動の時代を元気に長く生き抜いた」という意味合いだったと思います。
来年、「平成」から新しい元号に変わると、私も「昭和・平成・○○を何となく生きた」と言われるようになります。
思えば、随分時間を過ごして来たものです。
ふと、我が家に車がやって来たことを思い出しました。
昭和30年代の後半。
まだ、高度成長が始まりかけた頃。
今で言えばペーパードライバーだった父が、衝動的に車を買いました。
ちょっと説明すると、当時、自動二輪(バイク)の免許を取ると、軽自動車の免許も付いて来たと言う、とてつもなくのどかな時代だったようです。
車が来た日
当時は、よほど裕福な家を除けば、自家用車などないのが当たり前。
今思えば、バイクに父と母が乗り、私はバイクのタンクへ、妹は母がおぶって、バイクは4人乗りでした。
そこへ、やって来たのが、当時の人気車種だった「マツダキャロル」でした。
そう、360ccの軽自動車です。
車そのものが贅沢品でしたが、今でこそ「軽自動車]は、小型車とほとんど変わらない、時には小型車以上の設備を絢爛に纏う特異の存在になっていますが、当時は、文字通り乗用車が個人のものとして普及しはじめた時代で、まずは「軽」で我慢しようかと選ばれる存在でした。
車が来た日
排気量360cc以下、長さ3.0m以下、幅1.3m以下、高さ2.0m以下という規制(昭和29年改正)の中、日本の「軽自動車」は普及したということです。
厳しい規制ではあるものの、前に述べたように、実はこれはニ輪車を想定して定められたものを、車輪数の規制がなかったのをいいことに、そのまま四輪車で実現してしまったということだそうです。
専ら父の通勤用でしたが、メーカーは、「普通車(小型車)ムードを盛り上げる・・」と謳い、一番のセリングポイントは、「軽自動車で初めての水冷、4気筒、4サイクル・・」のエンジンだったというのは、後で知ることになりました。
車が来た日
初期のライトカーの時代を経て、昭和33年に登場したスバル360、昭和35年のマツダR360クーペが第一期の「軽」の普及時代であり、キャロルはそれを受けて、昭和37年2月に登場しました。
厳しい「軽」の枠のなかで、小型車に匹敵するスペック、メカニズムをともがいた跡がみられる車だったようです。
メカニックな話になりますが、エンジンは、4ストローク水冷直列4気筒OHV、358cc、18PS/6800r.p.m.(のちに20PS)だったそうです。
注目すべきは、ブロックまでアルミ合金を使った「総アルミ」エンジン。
小さなボアにもかかわらず、5メイン・ベアリングを採用。
燃料ポンプも贅沢な電磁式ポンプを用いるなど、小型車でもコストなどを考えて採用し得なかったことを「軽自動車」に持ち込んだこと。
これはエンジンにとどまらなかったようです。
ホイールベース1930mm、全長2980mmというサイズにも関わらず、完全な3ボックス・スタイルを実現。
スタイリングも英国フォード・アングリアなどにも似た、コストよりもデザイン優先を感じさせる、あか抜けたものだったと評されています。
ところが、我が家のキャロル君、冬になると、なかなかエンジンがかからず、毎朝苦労したものでした。
電気系統が弱かったのか、キャブレターの性能が悪いのか、とにかく、家族で"押しかけ"したものでした。
(押しかけというのは、車を押して空走させ、ギアを繋いでその負荷で始動させる方法でした。)
親子4人で、ドライブにも行きました。
朝霧高原や富士五湖、日本平や三保の松原・・・・。
車が好きだった私の原点になった車です。
今思えば、玩具みたいだった気がします。

« 三越落語会 | トップページ | 覚えられない・・・ »

家族・友人」カテゴリの記事