歴史は繰り返される?
まだ幼少だったので、ほとんど知りませんでしたが、今から50年近く前の学園紛争のきっかけになった「日大紛争」も、当時の日大にも、柔道出身の専制君主(会頭)がいて、膨大な額の使途不明金が明らかになったのを、学生たちが糾弾したことから始まったそうです。
その後、誤った方向に行きましたが、その時と似たような状況みたいな気がします。
相撲出身の理事長とアメフトの常務理事の専制が、とうとう学生たちの逆鱗に触れつつある。
歴史は繰り返されるものです。
やはり、「理」と「情」のバランスが取れるようにならないと。
このバカ大学(すみません、敢えて言わせてもらいます)のトップには、「帯久」の大岡裁きを期待します。
罪は、学生も犯しているので、お咎めはやむを得ませんが、屁理屈で逃げる巨悪には本当の罰を与えて欲しいと思います。
和泉屋が学生で、帯久が大学のワルたちです。
「帯久」のあらすじです。
享保五(1720)年春のこと。
日本橋本町四丁目に和泉屋与兵衛という呉服店があった。
主人は温厚な人柄で、町内の評判もよく、店はたいそうな繁盛ぶり。
本町二丁目にも帯屋という、これも呉服屋があるが、対照的にこちらは、主人・久七の性格が一癖あるのに加え、店も陰気な雰囲気で、「売れず屋」という異名がついてしまうぐらいで、さっぱりはやらない。
とうとう三月の晦日の決済もできず、久七が和泉屋に二十両の金を借りにきた。
人のいい与兵衛は、「商人は相身互い」と、証文、利息もなしで快く用立てた上、ごちそうまでして帰す。
二十日ほどして返しにきたが、これに味をしめたか、
たて続けにだんだん高額の金を無心して来るようになった。
その都度二十日ほどできちんと返済に来たので、十一月に百両という大金を借りに来た時も、与兵衛はあっさりと貸してしまう。
今度は一月たっても梨のつぶて。
さすがに気になりだしたころ、大晦日になってやっと返しに来た。
ところが、座敷に通して久七が金を出し、入帳したところで、番町の旗本から与兵衛に緊急の呼び出し。
大晦日でてんてこ舞いの折から、与兵衛があわただしく出かけると、不用意にも金はそのまま、久七一人座敷に残された。
久七、悪心が兆し、これ幸いと金を懐に入れ、何食わぬ顔でさようなら。
帰宅した与兵衛は金がないのに気づき、さてはと思い至ったが、確かな証拠もないので、自分の不注意なのだとあきらめてしまう。
帯屋の方では、百両浮いたのが運の付き始め。
新年早々景品をつけて大サービスしたので、たちまち大繁盛。
一方、和泉屋はこれがケチの付き始めで、三月に一人娘が、次いでお内儀さんが五月にぽっくり。
追い打ちをかけるようにその年の暮れ、享保六年十二月十日の神田三河町の大火で、蔵二戸前もろとも店は全焼。
あえなく倒産した。
与兵衛は、以前に分家してあった武兵衛という忠義な番頭に引き取られるが、どっと病の床につく。
武兵衛もまた、他人の請け判(連帯保証人)をしたことから店をつぶし、今はうらぶれて、下谷長者町に裏長屋住まいの身だが、懸命に旧主の介抱をするうち、十年の歳月が流れた。
ようやく全快した与兵衛、自分はもう何の望みもないが、長年貧しい中、自分を養ってくれた武兵衛に、もう一度店を再興させてやりたいと、武兵衛が止めるのも聞かず、帯屋に金を借りに行く。
相手も昔の義理に感じて善意で報いてくれるだろうという期待だが、当の帯屋は冷酷無残でけんもほろろ。
銭もらいとののしり、びた一文も貸す金はないと言い放つ。
思わず、かっとして百両の件を持ちだし、人間ではないとののしると、因縁をつけるのかと、久七は煙管で与兵衛の額を打ち、表にたたき出す。
与兵衛は悔しさのあまり、帯屋の裏庭の松の木で首をくくってやろうとふと見ると、不用心にもかんなくずが散らばっているので、いっそ放火して思いを晴らそうと火を付けたが、未遂のうちに取り押さえられる。
事情を聞いた町役人は同情し、もみ消してくれるが、
久七は近所の噂から、百両の一件が暴かれるのを恐れ、先手を打って奉行所に訴え出る。
これで与兵衛は火付けの大罪でお召し捕り。
名奉行・大岡越前守さまのお裁きとなる。
下調べの結果、帯屋の業悪ぶりがわかり、百両も久七が懐に入れたと目星をつけたので、越前守はお白州で、「その方、大晦日で間違いが起こらぬものでもないと、親切づくで春永にでも改めて持参いたそうと持ち帰ったのを忘れておったのではないか」とカマをかけるが、久七は絶対に返しましたと白を切る。
そこで、久七に右手を出させ、人指し指と中指を紙で巻いて張り付け、判を押す。
「これは物を思い出す呪いである。破却する時はその方は死罪、家は闕所(取りつぶし)、そのむね心得よ」
久七は、紙が破れれば首が飛ぶというので、飯も食えない。
三日もすると音を上げて青ざめ、出頭して、まだ返していないと白状する。
奉行はその場で元金百両出させた上、十年分の利息百五十両を払うように久七に命じた。
持ち合わせがないとべそをかくと、百両を奉行所で立て替えた上、残金五十両を年賦一両ずつ払うよう申し渡す。
「……さて、和泉屋与兵衛。火付けの罪は逃れられぬ。火あぶりに行うによって、さよう心得よ」
これを聞いて久七が喜んだのなんの。
「さすがは名奉行の大岡さま。どうかこんがりと焼いていただきましょう」
「なれど、五十両の年賦金、受け取りし後に刑を行う」
これだと、五十年も待たねばならない。
あわてたのは久七。
「恐れながら申し上げます。ただちに五十両払いますので、どうかすぐに和泉屋をお仕置きに」
「だまれッ。かく証文をしたためたるのち、天下の裁判に再審を願うとは不届き千万。その罪軽からず」
「うへえッ、恐れいりました」
奉行、与兵衛に、「その方まことに不憫なやつ。何歳にあいなる」
「六十一でございます」
「還暦か。いやさ、本卦(=本家)じゃのう」
「今は分家の居候でございます」
・・・和泉屋を有罪にして、帯屋を咎めず、しかし、実態は全く反対になるというお裁きです。
一時の過ちで罪は犯しても、学生には明日がある。
ところが、大学に群れる悪者たちは、正義が絶対に許さない。
それにしても、学長なんて、お店の番頭さんか、ちいママ、現場の長みたいな存在で、きっと学校法人の中では、あんまり力がないんですよね。