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2018年5月 8日 (火)

守破離

最近よく耳にする「断捨離」とは違います。
「守破離(しゅはり)」という言葉を意識するようになりました。

これは、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。
日本の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。
個人のスキル(作業遂行能力)を3段階のレベルで表している。
まず、師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。
そして、その型を自分と照らし合わせて研究し、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。
最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身 と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。
武道などで、新しい流派が生まれるのはこのためである。
ということで、個人のスキル(作業遂行能力)をレベルで表しているため、茶道、武道、芸術等だけでなく、スポーツ、仕事、勉強、遊び等々、世の中の全ての作業においても当てはめることができる。
守:支援のもとに作業を遂行できる(半人前)。
    〜 自律的に作業を遂行できる(1人前)。
破:作業を分析し改善・改良できる(1.5人前)。
離:新たな知識(技術)を開発できる(創造者)。

落語の世界で考えてみると・・・。
守:古典落語を忠実に表現することができる。
破:古典落語をより面白くアレンジすることができる。
   あるいはよりわかりやすく表現することができる。
離:経験を活かし新作落語を作ることができる。
     あるいは、落語から進化した新たな芸風を作ることができる。

・・・師匠が、「落語を活字で覚えてはいけない」とおっしゃるのは、この「離」までを意識されたアドバイスだと思います。
多くの素人は、かなり上手だと思う人でも、「守」と「破」の間ぐらいがせいぜいだと思います。
毎度触れている「演読」は、少なくとも「破」から「離」に近づくための稽古のような気がします。
今、「子別れ」にチャレンジしていて、台詞の一つひとつ・・、否、単語の一つひとつに気持ちを込めないと、自分のイメージを描くことが出来ません。
自分の稽古の録音を聴きながら、「あぁ、そうじゃない、こう言いたいんじゃない。ここはもっと気持ちを込めて、間を入れて、声を大きく(小さく)・高く(低く)・・・」の連続です。
この、一語、一文、一会話を全て思い通りに発することが出来た時、恐らく「破」の境地に立てるのでしょう。

・・・ところで、「断捨離」というのも、稽古を続けて行く上で、"捨てがたい"言葉だと思います。
断捨離は、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、ヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)を応用し、
断:入ってくるいらない物を断つ。
捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
離:物への執着から離れる。
として不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から離れ、自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的。

・・・究極の話芸は、言葉を練りに練って、要らないものは捨てて、最後は研ぎ澄まされた先にあるものですから。

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