師匠!御乱心!
一気に読んでしまいました。
単行本は立ち読み程度でしたが、今回初めてしっかり読みました。
昭和53年から54年に起きた「落語協会分裂騒動」の真っ只中で翻弄された三遊亭円丈師匠が著した、ぼぼノンフィクション書。
前からも触れているとおり、騒動の発端に、当時私も在籍していた落研が出て来ます。
本書の67ページ。仙台のホテルでの場面です。
一部を抜粋してみます。
【深夜の長電話】
(前略)更に次の日の十四日、また、円生と一緒だった。
もう一人が梅生。三人で仙台へ行った。
俺が二ツ目の頃、チョクチョク行っていた東北大学の落研の主催で俺の真打披露をするコトになっていた。
仕事が終わった後、三人でホテルのレストランで一杯飲みながら食事をした。この日の円生は、旅先の解放感も手伝って飲む程に打ち解けてきた。
(中略)円生は、「真打の問題だけど」と大量真打を非難し、抜擢真打がいいと説いた。
(中略)円生は言った。
「あたしが一番心配してんのは、この頃協会のタガがゆるんで来てしまったと思うんだ。(以下略)」
(中略)「でもあたしゃ、目の黒い内に必ず今の落語界を立て直すつもりだ!あたしは負けない。必ず勝ってみせる。(後略)」
(中略)「まァ、今回のコトでお前たちも大分心配してるようだが、あたしだってただ出る訳じゃない。出るからには、それ相応の覚悟もしているつもりだ。そう、あたはには策がある!」
(中略)答、新協会設立。
・・・実は、実名で書かれていますから、円窓師匠も登場して、色々書かれています。
恐らく、円丈師匠の立場、視界で書かれていますから、現象面では同じでも、必ずしも全て正しいとは言えない部分もあると思います。
それが如実に表れているのは、上記の我が落研の部分でも、円丈師匠は「俺の真打披露をする」と表現していますが、我々は、以前から接点がある円丈師匠にお願いをして、創部20年記念で円生師匠の独演会をやりたい。
その時には円丈師匠にも来ていただいて、円生師匠に真打披露の口上をお願いしようということでした。
ですから、「円丈真打披露」ではなくて「円生独演会」でした。
そして、これがまさにその時のリアル映像です。
「文七元結」か「八五郎出世」を演じているところです。これはその時の私です。
「円生独演会」の開口一番で「子ほめ」をやっているところ。
・・・あれから40年経ちます。
結局、落語協会(落語界)は、柳派が隆盛を極めています。
やはり、あのクーデター?は、三遊派にとっては大失敗だったと思います。
私は、「落語原理主義者」を自認しています。
円丈師匠は、本書の最後の方で、ご自身を「三遊国粋主義者」と仰っています。
こんな思いを綴ったところがありました。本書の259ページ。
【それから】
(前略)しかし、それより強く何よりも増して俺は二百五十年続いた三遊亭の噺家だということに強い誇りを持っていた。
俺は、柳家ではない、古今亭でも桂でも林家でもない、落語界を二百五十年、柳家と勢力を二分して来た三遊亭なのだ。
三遊でも枝葉ではない三遊本流の円生の流れをくむ噺家だ。
たとえ三遊亭にタマタマ入門しようが、俺が新作を志し、高座を這いずり廻ろうが、十三年間叩き込まれた芸は、たとえどんな形にしろ、俺の血となって全身を駆けめぐっているのだ。
こんな感じは多分理解出来ないだろう。
出来なくても俺は三遊の芸人だ!
俺は、プライドの高い三遊ナショナリストだ。
(中略)三遊亭は、六代目円生の為にだけあるんじゃない。
円生は全部で六人いた!
その六人目の円生は、自分勝手に潰してしまって他の五人の円生にどう申し訳が立つんだ。
そして三遊本流の不世出の名人、落語界中興の祖、円朝に顔向けが出来るのか!
円生は三遊本流の総帥なのだ。
いつも三遊派の繁栄を考えて、先を読み、次の世代に円生を継承して行かねばならない。(後略)
・・・私はプロでもありませんから、想像の世界でしかありませんが、円丈師匠の思いには、強く共感出来ました。
落語徘徊していて、三遊亭が真ん中にないのは、とても寂しい。
何も知らずに大学で落語に出会い、やはり三遊派に傾倒しました。
落研全体も、各自個別の好みはあったとしても、三遊派がメジャーだったと思います。
そして今も、三遊本流の流れをくむ師匠に師事して、基本的には三遊派の噺にチャレンジしています。
そんな私ですから、いつの日か、かつての円朝のような麒麟児・寵児が、三遊派に現れて欲しいと思っています。
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