春の徘徊
春の陽気に誘われて、久しぶりにウォーキングでもしてみようかと、ふらりと外出しました。
別にどこへ行こうという訳でもありません。
電車に乗っていて、花見・・・上野、飛鳥山、千鳥が淵、目黒川・・・と思い浮かびましたが、恐らく大変な人混みだろうから・・・。
気がつくと、山手線に乗り換えていたので、暫く考えていましたが、取りあえず池袋で下車。
メトロポリタン側に出たので、昔住んでいた目白方面に歩いてみようということになりました。
独身時代、目白に会社の独身寮があって、5年近く住んでいたことがありますので。
山手船の線路に並行するように、細い路地を歩き始めると、「自由学園」を通り過ぎました。
そのうちに、近くの案内板を見ると、「目白庭園」と言う表示が目に入りました。
「えっ?そんな庭園があったっけ?」と思いながら、ちょっと立ち寄ることにしました。
知らない訳です。
ここは、平成2年に造られた豊島区の公園。
限られた空間に日本人の自然に対する思想を凝縮した日本庭園で、園内の中央に大きな池をつくり、水際に石垣を築いてその上に「赤鳥庵」を配しています。
「赤鳥庵」は、京都の北山杉を用いた木造瓦葺き平屋建ての数奇屋建築で、中では落語会が開かれることもあるようです。
「目白庭園」を出てさらに南に歩くと、直ぐに目白通りの目白駅前に出ました。
毎日、この駅から、青山にある職場に通いました。
そして、目白と言えば、やんごとなきところもお通いになる「学習院大学」。
静かなキャンパスの中に入ると、あちらこちらに桜が咲いています。
私には、学習院と言えば、キャンパス内にピラミッド型の講堂?があるイメージでしたが、残念ながら数年前に取り壊されていて、建っていた場所に建物の一部がモニュメントとして残っているだけでした。
学習院の正門を出て、目白通りを東に向かって、日本女子大学のキャンパスの横を右に曲がって坂を神田川方向に下ります。
すると今度は「細川庭園」という表示が目に入りました。
正式には「肥後細川庭園」と言うそうです。
このあたりは、江戸時代中頃まで幕臣の邸宅がありました。
その後、幾度かの所有者の変遷を経て、幕末に細川家の下屋敷になり、明治時代には細川家の本邸となりました。
1960年に東京都が当地を購入し、翌年に公園として開園。
1975年、文京区に移管されて現在にいたっているそうです。
入口の門には、九曜星の家紋も描かれていました。
ここも、綺麗な庭園です。
この南門を出ると神田川。
まさに、神田川沿いの桜が見事に満開になっていました。
思えば、何年か前・・・もう10年近く前になりますが、ウォーキングイベントで、柳橋から井の頭公園まで、神田川の河岸を歩くというのに参加して、満開の桜の中を通り過ぎたのを思い出しました。
椿山荘のあたりは実に見事です。
ここまで来たなら・・と、「道灌」に出て来る「山吹の里」にも行ってみようと、神田川を歩きます。
都電荒川線は、最近「東京さくらトラム」と言うようになったそうで、早稲田から面影橋までは、神田川に並行して走りますので、満開の桜が綺麗でした。
「山吹の里」の碑のある場所は、かなり大掛かりな工事が行われていました。
さらに奥に進むと、三遊亭圓朝作の「乳房榎」の発端となる「南蔵院」があります。
ここにも、久しぶりに行くことが出来ました。