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2018年3月 5日 (月)

流三「子別れ」

稽古会で時間があったので、「子別れ」の演読に挑戦しました。

読み稽古(演読)を始める前に、「子別れ」という噺に対する、私の個人的な思い入れを話しました。
「子別れ」を初めて聴いたのは、落研に入部して初めての発表会(新入生顔見世)の時でした。
新入部員の私は、食いつきで「あたま山」をやりました。
そして、この会のトリが「子別れ」でした。
演者は、当時から名人の誉れの高かった、当時4年生の「喰亭寝蔵」師匠でした。
1年生と4年生というのは、天地の違いがあり、4年生は、部会に出席することも少ないため、雲の上の存在でした。
落語などほとんど知らない私が、初めて生で聴いた人情噺でした。
あの瞬間「いつかは寝蔵師匠のように上手くなって、人情噺が出来るようになりたい」と、インプットされました。
「いつかは子別れ」が、私のベースになった訳です。
4年間では、「子別れ」は出来ませんでした。
・・・そして約30年後に、落研創立のリーダーだった「麻雀亭駄楽」師匠とのご縁が出来て、「二人で『駄楽乱志二人会』をやろうじゃないか」と堅く約束した時のこと。
「それでは、私は『子別れ』をやらせていただきます。実はこの噺は・・・」と、学生時代のことを話しました。
・・・ところが、その2週間後、駄楽師匠が突然還らぬ人となってしまい、私の「子別れ」はお蔵入りしてしまいました。
・・・そして10年以上が経過して、やっと「そろそろやらせてもらおうか」と思うようになりました。
高座本を持って、真ん中の座布団に座ろうと立ち上がり、何気なく百梅さんを見ると、何と、彼の手元にも「子別れ」が置いてある。
・・・「そうか、百梅さんも、この噺が目標になっているんだ」と、ちょっと躊躇しました。
「百梅さん、ごめんなさい。取り敢えず先にやらしてもらうよ」と。
初読みでも、師匠は演読には、感情移入や仕草も求めて来ます。
登場人物の場所の設定や仕草について、数ヶ所のアドバイスをいただきました。
この噺も、「火事息子」「甲府ぃ」「明烏」「ねずみ」などと同様、師匠にも思い入れのある噺のようです。
それから、最後の鰻屋での場面で、亀ちゃんとおかみさんが店内の階段を上り下りする時の、階段の音を表す扇子の使い方の工夫まで、ご伝授いただくことが出来ました。

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