林家九蔵襲名問題
三遊亭好楽師匠が、弟子の好の助さんの真打昇進に「林屋九蔵」を襲名させようとしたことで、堀井憲一郎さんがコメントしていました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54819
SNSなどでは、襲名に待ったをかけた、海老名家(林家正蔵さん)側に対して、かなり厳しい内容のコメントが浴びせられていました。
片や人気の「笑点」メンバー、片や何かといじられる海老名家では、どうしても好楽師匠に肩入れする人が多いのは、仕方のないことでしょう。
でも、ほとんどの人が、感情論、一般論、もっと言えば無責任論で、泰葉さんのツイートまで採り上げたりして、どうも公平な状態ではない気がしていました。
さて、堀井さんのコメントは、独特の言い回しや現状認識はあるものの、基本的には納得の出来る内容でした。
(前略)
概略を知ったときの私の感想は、まあそりゃ止められても仕方ないだろうな、というものである。
好の助がかわいそうだとか、ぎりぎりの差し止めはないだろう、というような、そういう人情論はさて置き、「筋」としては、しかたない処置だとおもう。
ふたつの要素が絡まっている。
そもそもの問題は「落語家の名前は、誰のものなのか」というポイントである。
もう一つは先ほど指摘した「三遊亭好楽の属する団体は、もともと林家正蔵らが属する団体に反発して離脱し、独自で興行している特殊な団体であるが、その団体にも便宜を図るべきなのか」という問題である。
彼らは大師匠の圓生の独立に従って所属団体を飛び出し、そのまま戻らず、ずっと「外にいる」団体だからだ。
(中略)
三遊亭好楽は、もともと三遊亭円楽の弟子ではない。
落語協会の大看板の8代正蔵(トンガリの正蔵)の弟子だった。
師匠の死後、一門のほかの真打の弟子にならず、なぜか「落語協会をやめて」、円楽一門に入った。
なぜそんなことをしたのかは、よくわからない。
ただ、とにかく「林家」の名を捨て、落語協会を出て、円楽一門に入って「三遊亭」になったのである。
大きいのは「協会を出て」というところである。
縁を切ったわけだ。
円楽一門は「三遊亭」の本家である。
その筋に好楽は入った。
好楽の師匠(円楽)からその師匠へとたどっていけば、明治の円朝につながり、三遊亭のおおもと初代三遊亭圓生までつながる。
望んでそこに入って、なぜ、ふたたび林家正蔵系統の名前を弟子に欲しがるんだろう、と素直におもう。
筋が違うと感じたのはそこである。
円楽一門は、メンバーすべて「三遊亭」である。
そこへわざわざ「林家」を呼び込もうとするのは、かなり障壁が高い。
好楽は何を根拠に好の助を「林家」にしようとしたのか、その感覚が私にはちょっと想像できない。
(中略)
そのトンガリの正蔵の弟子だったのが三遊亭好楽である。
「林家九蔵」だった。
そしてその名前を自分の弟子に名乗らせようとした。
好楽がその名を使いたがったのは、「かつて自分の名前だった」というのが根拠なのだろう。
現代人には、そこは変におもわないのだろうが、私は、なんでそんな発想をするのだろう、とちょっと驚く。
落語家の名前は個人のものではない。
公的なものである。
「時そば」とか「寿限無」とか「芝浜」という落語が個人の所有ではなく、落語家みんなのものであるのと同じように、それぞれの芸名もまた、みんなのもの(公的なもの)なのだ。
個人が自分で名前を決めることはない。
「その一門の過去の芸名」のなかから師匠が選んでつける、というのが基本スタイルである。
適当な名前がなく、師匠が新たな名前を考えてつけることもよくある。
本人が考えることもあるが、それも師匠に認めてもらわないと許されず、つまり師匠がつけたという形にしないといけない。
(中略)
落語家の名前は、落語家グループという公的な存在が保持している、と考えたほうがいい(これも明文化されているわけではなく、なんとなくみんなそういう理解をしている、という黙契によるものだ)。
優先権や、実際の取り扱いには、より小さい「一門」というグループに委ねられるが、要は個人のものではない。
ときにその系統の弟子が途切れ、どの一門の所属でもない名前もあるが、それは一門を越えて落語界全体のもの、と漠然ととらえられている。
「いま誰も名乗ってない芸名」は、個人所有ではない。
関係者みんなで(何となく)「管理している」ものである。
一人で管理しているわけではなく、何となくみんなで預かっている。
空き名跡を名乗りたいとおもったなら、その名前を預かってると考えられる人たちに挨拶に行かなければならない(誰が預かっているとおもっているかは、明らかにされていないので、ひとつづつ潰していくしかない)。
何人かで何となく管理するという不思議なシステムは、「落語家全員の利益」を守るために取られている。
少なくとも「一門の利益」を代表しての管理である。誰かが見張っているのだ。
今回はたまたま「林家」の話なので、系統上、もっとも大きな名前を持つ家が出てくることになった。
それがたまたまテレビでもお馴染みの顔だった、ということにすぎない。
好楽は「個人として」とても林家九蔵の名前にこだわっていたが、正蔵はべつだん個人として対応したわけではない。
「落語界」の「江戸方の林家」方面の受付だっただけだ。
ある意味、ただの窓口である。
落語界を代表しているわけでもなければ、個人的に断ったわけでもない。
「林家」の名前の問題なので、対応しただけだ。
それが「こぶ平の正蔵」だったから、「こぶ平の正蔵には何か言ってやりたいのだ」という人たちを少し刺激してしまったのだろう。
ごにょごにょした反応があった。
やれやれ、としか言いようがない。
(後略)
やはり、好楽師匠の思いは、ちょっと無理があると思います。
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