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2018年1月 8日 (月)

師匠のマクラ

私の後に高座に上がっていただいた師匠は、「松竹梅」を演ってくださいましたが、その前のマクラに、かなり時間をかけられたようです。
私は、高座を下りてすぐに楽屋に戻って着替えてから、舞台の脇に行きましたが、ちょうど噺に入るところでしたから、10分近くでしょうか。
後で、どんなことを仰ったかを聞いてみると、火事息子のこともかなり触れていたようです。
師匠のマクラ
落語はやるほうが楽ですね。
聴くのは大変です。
あたしも袖で聴いているんですが、聴くよりやるほうが気が楽です。
今聴いてもらった「火事息子」は、大旦那が出てきますが、落語の中には同じ年齢層の人でも、身分や仕事などによって、話し方、言葉遣いが違うわけです。
たとえば、さっきのは旦那ですが、長屋の大家さん、横丁のご隠居なんてのもいますが、それぞれ言葉遣いが違ってくる。
大店のおかみさんと、長屋のおかみさんとでも違う。
この三流亭のメンバーは、そういうのがよくできていたんじゃないかと思います。
あたしは「落語は文学だ」なんて言ってるんですが、それを一生懸命文字に起こしてね。
それが、今350ぐらいあるんです。
やった噺は500あるんですが。
それを本にするのに、ひとつの噺に1ヶ月はかかるんです。
だから、残りが完成するまでに、ちょいと計算すると……間に合うかどうか、の戦いなんです。
あたしは、流三さんがやった「火事息子」という噺が好きで、二ツ目の頃から、よく高座にかけてたんですが。
師匠の圓生から教わったけど、一点、師匠の噺で、どうしても嫌でたまらない箇所があったんですよ。
それは、おかみさんが、息子が戻ってきたことを知った途端に、猫を放り出して「焼け死んでしまえ」と言うところ。
今のコントだとかだったら、いいかもしれません。
でも、落語ですよ。
ましてや、人情噺ですよ。
あたしはそれがいやでいやでねぇ。
だから、「タマや、ごめんね。後で抱いてあげるからね」と変えたんですよ。
なんでそんなふうにしたんだかねぇ。
多分圓生は、猫が嫌いだったんでしょう。

・・・落語っ子連の姿勢やレベルを、日頃から師匠は褒めてくださいましたくださっているようです。
また「火事息子」については、稽古の時も、かなり細かくご指導くださいました。
圓生師匠の猫を放り出す所は、以前から聞いたことがあります。
人情噺というのは、そこまで考えて演じないといけないといいことでしょう。
私の「火事息子」、取り敢えず合格たいうことで、いいですよね。
勝手に、そういうことにしておきます。

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