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2018年1月17日 (水)

筑波山

fuji落語っ子連の千公さんが、「蝦蟇の油」をやっていますが、何と言っても筑波山が欠かせません。
一方で、「お江戸あおば亭」や「深川三流亭」のチラシに使える浮世絵はないかと探していると、絵の借景には富士山というパターンが多いことに気がつきます。
中には、どう考えても、この方向に富士山があるはずがない・・なんていう図柄のものもあります。
ところが、実は筑波山が描かれているものも多いことに気がつきました。
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特徴的な双峰の形は、すぐに筑波山だと分かります。
   筑波山
私にとっての山は、富士山しかありませんが、江戸の北東地域に住む人たちには、筑波山こそ山なんでしょう。 
   筑波山
確かに、広大な関東平野は、江戸から筑波山までは何も遮るものがありませんから、昔はよく見えたことでしょう。
富士山と筑波山を比較するのに、こんな故事があるそうです。
諸国をめぐり歩く神祖尊(みおやのみこと)が、新嘗の日に富士山を訪ねた。
ところが富士の神は新嘗祭で忙しいからと一夜の宿を断った。
神祖尊は嘆き恨んで、「この山は生涯冬も夏も雪が降り積もって寒く、人が登れず、飲食を供える者もなくしよう」といい、今度は常陸の筑波山に行き宿を乞うた。
筑波山は新嘗祭にもかかわらず、快く宿を供し、飲食を奉った。
喜んだ神祖尊は、「・・・天地(あめつち)とひとしく 月日と共同(とも)に 人民(たみぐさ)集い賀(よろこ)び 飲食(みけみき)豊かに 代々(よよ)絶ゆることなく 日々に弥(いや)栄え 千秋万歳(ちあきよろずよ) たのしみ窮(きわま)らじ」と歌った。
それから富士山はいつも雪に覆われて登る人もなく、筑波山は昼も夜も人が集い、歌い飲食をするようになったという。

この集いを「歌垣」と呼ぶそうです。

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