「火事息子」の感想
あるご贔屓の方から、とてもご丁寧な感想をいただきました。
そもそも、「火事息子」と言う噺をどう捉えるか。
師匠の高座本は、他の師匠のと異なり、前半よりも後半に力点があり、私も、父親と母親の心理描写がポイントになる人情噺にしたいと思いました。
元々長講の上に後半がさらに厚くなるので、かなりカットしないといけませんでした。
そんな背景で構成した噺を聴いてくださった感想です。
前半、若旦那の子どもの頃の様子が入っていたのがよかったです。
目塗りの場面は、スピーディーになって、若旦那の登場まで飽きさせず、コミカルなところはちゃんとあって、面白かったです。
番頭さんの、主人への思いやりも、よく伝わってきました。
エッセンスが凝縮されていて、無駄なところはそぎおとされていて、安心して物語の核を楽しめた気がしました。
落語って、なんていうか、人情噺でも、必ずくすぐりが入っていて。
その入り方によっては、その瞬間に、折角聞き手が入り込んでいた話の本質、テーマから、ふっとどうしても離れてしまうことがあると思います。
もちろん、そんなことはなくておもしろく感じることのほうが多いかもしれませんが。
今日のストーリーは、心の動きを邪魔しないでもらえた、と思いました。
わたしが涙を堪えたのは、旦那が、お使いに来たよその若旦那を見て、自分の息子を思い出すとき。
若旦那に、他人を装って話していても、気持ちが入っていって、「帰ってこい」と言ってしまうとき。
おかみさんが、藤三郎に声をかけるとき。
愛情が、伝わってきました。
また、流三さんの手元が、しぐさが美しいなぁと思って、拝見していました。
胸より下だけを見て聴かせていただいたのですが、手元だけで、女性なのか、男性なのか、若いのか、そうでないのか、がわかりました。
膝に置かれた手の力の入り方、震え方だけでも、その人の思いが伝わってきました。
・・・かなり上げ底をしてくださった感想ですが、かなり本質を突いたコメントに、とにかく驚くと同時に、お世辞の部分を差し引かせていただいても、この噺に込めた部分を表現出来たということなのかもしれません。
さらに、初めて言われて驚いたのは、胸から下だけ観ながら聴いてくださったということ。
それから、私の手元が美しいという・・・思ってもみなかった感想をいただいたこと。
そもそも、演者自身が、あまり意識したことがありませんでした。
本当に、私自身が勉強になりました。
それから、人情噺のくすぐりについても、私もそう思います。
演者は、笑わせたいと思うあまり、無駄なくすぐりを入れようする人が多くいます。
何人かのくすぐりを混ぜて入れたりする人もいます。
これは、噺の本質や聴き手の気持ちが分からず、噺を壊していることまで、考えられないのでしょう。
特に、人情噺は、ベースにする噺を変えたり、複数の演者のネタを混ぜたりしないことだと、改めて痛感しました。
率直で、落語そのものにかなり踏み込んだコメントに感謝です。
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