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2017年12月11日 (月)

権太楼師匠の「死神」

京須偕充さんが、柳家権太楼師匠の「朝日名人会」での録音CD発売に際して、「死神」についてコメントされています。
来年2月に柳家権太楼の新譜CDを発表します。
2枚組で「死神」「鰻の幇間」「藪入り」「抜け雀」の4席2枚組のアルバムです。
朝日名人会ライヴシリーズのNO.123、権太楼さんの14。
例によってライナーノーツは権太楼さんのお話しをうかがって簡潔にまとめました。
4演目それぞれについて記しましたが、そのうち「死神」についてを、以下に紹介させていただきます。
この噺の結末は圓朝の創作から100年以上経ってもまだ変貌の余地がありそうですが、六代目圓生の「死神」以来の経過に権太楼さんが一区切りをつけたように思われるのです。
「死神」
爆笑専科のようだった権太楼落語に変化が生じ始めたのは六十歳に手がとどく頃だったろうか。
人間表現のヒダが次第に深まり、柔軟になった。
「死神」のような、いわば絶対的な暗部のある噺にも本領を発揮し始めた。
「死神」は欧州の民話的題材を三遊亭圓朝が一席の噺に仕立てたものだ。
多くの落語家が結末を改変して演じてきたが、昭和戦後は六代目三遊亭圓生が原型に近いと思われるやり方で、なかば絶対的な評価を得ていた。
圓生没(1979年)後に再びサゲの改変合戦があったのは記憶に新しい。
権太楼の「死神」のベースは圓生にある。
やっぱりこれだ、と演者本人は言っている。
だが、圓生の型も一朝一夕に成ったわけではない。
生命の炎を接ぎ損ねて主人公は何も言わずに前へ倒れる。
これが作者・圓朝の理想としたサゲだ。
倒れて、あとは「無」の世界。
主人公に「消えた」と言わせる必要もないのだが、時代とともに会場のスペースも大きくなったので、「消えた」と補う有用性はある。
最晩年の圓生は「消えた」を主人公ではなく、ひややかに見守る死神に言わせるように変えた。
これで無の空間が一段と奥を深くしたのだったが、その頃からしばらく、何人もの演者が、意図的に、あるいは偶発的な事故として炎を消すコント志向に走っていた。
かそけき三味線の爪弾きが御詠歌を奏で、まもなく永遠の暗闇に閉ざされることを予感させる演出は、これまで誰もやっていないすぐれた終末で、欲望に負けた卑しい男の旅立ちにはもったいないほど美しい。
このあとすぐに舞台を暗転し、演者が引っ込んだ直後に明転して出囃子の演奏に戻って締めることもあるそうだ。
効果は上がるが、録音で聴くと少しわかりにくいかもしれない。

・・・なるほど、「死神」と「転失気」のオチは、噺家さんによって、色々な演出がされています。
私など、やはりシンプルを好みますから、オリジナルの圓朝やその流れを汲む圓生師匠のパターンの印象が強いです。
圓生師匠は、「ほぅれ、消えるぞ、消えるぞ・・・・、ほうら消えた」ですね。
圓生師匠の噺で、オチが面白い(変わっているのは)、「能狂言」と「水神」などもそうですね。

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