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2017年11月25日 (土)

桂友楽師匠

仙台から来ていただいた友楽師匠の高座は、まさに古狂師匠の仰った「研究」の成果の発表、講義でもあります。
桂友楽師匠
友楽師匠は創作の「政宗と孫兵衛」。
ご存じ、仙台藩主「伊達政宗」とその右腕とも言うべき「川村孫兵衛」を題材にしたもの。
桂友楽師匠
そもそも、伊達政宗はともかく、恥ずかしながら、川村孫兵衛なんて知りませんでした。
プログラムに、こんな説明を入れておきました。
「お江戸あおば亭」のプログラム
【伊達政宗(1567-1636)】
 
 出羽国と陸奥国の戦国大名・伊達氏の第17代当主
 
近世大名としては仙台藩の初代藩主、没後は法名から
 貞山公と尊称された
 
幼少時に疱瘡により右目を失明し隻眼となったことから
 独眼竜の異名がある
・・・政宗公はこの程度でいいでしょう。

【川村孫兵衛(1575-1648
)】
 
伊達政宗公は、北上川から石巻港に至る運河のための
 水路整備と、北上川
の水害を防止するため、
 川村孫兵衛
 重吉に河川の改修を命令しました
 
孫兵衛は、工事の設計や現場監督だけでなく、資金の捻出
 や年貢を少なくす
るよう藩に掛け合ったりもしました
 
工事で働いている人たちは、親身になり自分たちの身を
 案じてくれる孫兵衛
に応えるように一生懸命働き、改修
 工事は見事完成しました
 
これにより、北上川・江合川・迫川の水流が安定、水はけ
 も良くなったことで、
仙台平野北部の新田開発は急速に
 進みました

 
 孫兵衛は、改修工事と同時に石巻の築港工事も行い、水上
 交通の整備に
努め、河川を使った人や物資の運搬が盛んに
 なり、収穫された米が石巻港
に集められ、江戸に送られ
 ました

 仙台米は、当時、江戸で消費された米の2/3を占めたと
 も言われています
 
さらに孫兵衛は、仙台城下の用水路を整備するため
 「四ッ谷堰」を建設したり、
水上交通の整備
 のため
 「貞山堀」を建設しました

・・・いかんせん、初めて聴く噺で、かなり長いと聞いていましたので、ボーっとしていたら、
友楽師匠がお辞儀をしているのに気がつき、慌てて「お中入りぃぃ!」
ためになりました。
「研究第一主義」ですから。

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