桂友楽師匠
仙台から来ていただいた友楽師匠の高座は、まさに古狂師匠の仰った「研究」の成果の発表、講義でもあります。
友楽師匠は創作の「政宗と孫兵衛」。
ご存じ、仙台藩主「伊達政宗」とその右腕とも言うべき「川村孫兵衛」を題材にしたもの。
そもそも、伊達政宗はともかく、恥ずかしながら、川村孫兵衛なんて知りませんでした。
プログラムに、こんな説明を入れておきました。
【伊達政宗(1567-1636)】
出羽国と陸奥国の戦国大名・伊達氏の第17代当主
近世大名としては仙台藩の初代藩主、没後は法名から
貞山公と尊称された
幼少時に疱瘡により右目を失明し隻眼となったことから
独眼竜の異名がある
・・・政宗公はこの程度でいいでしょう。
【川村孫兵衛(1575-1648)】
伊達政宗公は、北上川から石巻港に至る運河のための
水路整備と、北上川の水害を防止するため、 川村孫兵衛
重吉に河川の改修を命令しました
孫兵衛は、工事の設計や現場監督だけでなく、資金の捻出
や年貢を少なくするよう藩に掛け合ったりもしました
工事で働いている人たちは、親身になり自分たちの身を
案じてくれる孫兵衛に応えるように一生懸命働き、改修
工事は見事完成しました
これにより、北上川・江合川・迫川の水流が安定、水はけ
も良くなったことで、仙台平野北部の新田開発は急速に
進みました
孫兵衛は、改修工事と同時に石巻の築港工事も行い、水上
交通の整備に努め、河川を使った人や物資の運搬が盛んに
なり、収穫された米が石巻港に集められ、江戸に送られ
ました
仙台米は、当時、江戸で消費された米の2/3を占めたと
も言われています
さらに孫兵衛は、仙台城下の用水路を整備するため
「四ッ谷堰」を建設したり、水上交通の整備 のため
「貞山堀」を建設しました
・・・いかんせん、初めて聴く噺で、かなり長いと聞いていましたので、ボーっとしていたら、
友楽師匠がお辞儀をしているのに気がつき、慌てて「お中入りぃぃ!」
ためになりました。
「研究第一主義」ですから。
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