志らくさんのツイート
師匠と寄席の話をしましたが、立川志らくさんが、こんなツイートをされていました。
協会を出た談志。
寄席が無くても落語家は育つ。
寧ろマイナスの方が大きいと言った。
志の輔が売れその後私が真打ちに。
パーティで「師匠の言葉は正しかった。寄席で修行しなかったからこそ現代で活躍出来る真打ちになれました」とスピーチ。
「志らくは弟子であり同じ価値観の同志だ」と談志。
では私の弟子にも寄席は不必要か?
答えはノー。
必要である。
志の輔志らく談春談笑と続いたから寄席は不要と思われるが特殊な才能が集結しただけ。
寄席がないと落研と変わらない落語家が出来てしまう恐れがあるのです。
私も志の輔も談春も談笑もあまり先輩から稽古をつけてもらっていない。
若い頃から談志の音源を元に演出してオリジナルの落語をこしらえる訓練をしてきた。
談春は天才だから談志の落語を完璧にコピー出来た。
稽古をつけてともらう必要はない。
私は当初は弟子にもそれを求めた。
しかし無理であった。
その結果、こしらみたいな変なのや志ら乃みたいな可能性のあるのは産まれたが、そのレベルでも奇跡に近い。
今の弟子は落語にすらならない。
だから50席全部先輩から習えと修業スタイルを修正した。
あとは楽屋修業。
これが問題だ。
築地に行かせるか。
談志が弟子を築地に行かせた気持ちがわかった。
・・・志らくさんの自画自賛は少し掛け値をかけるとして、やはり教育の場は必要だと言うことです。
人(芸人)としての了見の欠如、雑で大味な芸、不遜な態度・・・。
落研と変わらない落語家というのは、限られた期間で、俺が俺がと基本も身につけずにウケだけを狙って過ごすのが落研だということです。
その我流の芸は、本格的な落語としては到底聴くことが出来ない。
確かに、寄席や師弟関係は古くて合理的でない部分はあるかもしれませんが、他の芸能もそうであるように、毎日の愚直な積み重ねが必要な世界ですから、まだこれに勝る仕組みはないと思います。
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