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2017年10月14日 (土)

お題目

日蓮宗は「南無妙法蓮華経」と、お題目を唱えます。
お題目
導師が、開経偈(かいきょうげ)からお題目に移ります。
私も「妙法蓮華経方便品第二」など、お経本を頼りに唱えます。
爾時世尊。従三昧。安詳而起。告舎利弗。諸仏智慧。
甚深無量。其智慧門。難解難入。一切声聞。辟支仏。
所不能知。所以者何。仏曾親近。百千万億。無数諸仏。
尽行諸仏。無量道法。勇猛精進。名称普聞。成就甚深。
未曾有法。随宜所説。意趣難解。舎利弗。吾従成仏已来。
種種因縁。種種譬喩。広演言教。無数方便。引導衆生。
令離諸著。所以者何。如来方便。知見波羅蜜。皆已具足。
舎利弗。如来知見。広大深遠。無量無碍。力。無所畏。
禅定。解脱。三昧。深入無際。成就一切。未曾有法。
舎利弗。如来能種種分別。巧説諸法。言辞柔軟。悦可衆心。
舎利弗。取要言之。無量無辺。未曾有法。仏悉成就。
止舎利弗。不須復説。所以者何。仏所成就。第一希有。
難解之法。唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相。所謂諸法。
如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。
如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。

お題目
・・・勿論、お経本には、読み仮名がふってありますから、何とかついて行きます。
大勢の人の声が混じると、男性合唱のように聞こえます。
声明(しょうみょう)と言いますが。
【訓読】
爾の時に世尊、三昧より安詳として起って、舎利弗に告げたまわく、諸仏の智慧は甚深無量なり。
其の智慧の門は難解難入なり。
一切の声聞・辟支仏の知ること能わざる所なり。
所以は何ん、仏曾て百千万億無数の諸仏に親近し、尽くして諸仏の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名称普く聞えたまえり。
甚深未曾有の法を成就して、宜しきに随って説きたもう所意趣解り難し。
舎利弗、吾成仏してより已来、種々の因縁・種々の譬喩をもって、広く言教を演べ、無数の方便をもって、衆生を引導して諸の著を離れしむ。
所以は何ん、如来は方便・知見波羅蜜皆已に具足せり。
舎利弗、如来の知見は広大深遠なり。
無量・無碍・力・無所畏・禅定・解脱・三昧あって深く無際に入り、一切未曾有の法を成就せり。
舎利弗、如来は能く種々に分別し巧に諸法を説き言辞柔軟にして、衆の心を悦可せしむ。
舎利弗、要を取って之を言わば、無量無辺未曾有の法を、仏悉く成就したまえり。
止みなん、舎利弗、復説くべからず。
所以は何ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。
唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。
所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。
【現代語訳】
その時釈迦は、瞑想からゆっくりと目を覚まし舎利弗に言った。
もろもろの仏の智慧はすごく深くて計り知れない。
其の智慧の門は難解難入(理解して体得するのがものすごく難しい)である。
すべての声聞(仏の教えを聞いた人)や仏弟子でもこれを理解することはできない。
なぜなら、あらゆる仏はかつて無数の仏に親近し、尽くし、数え切れないほどの修行を行い、勇猛精進してようやく皆に知られることになった。
深くて計り知れない法を習得して、人々の気魂に随って法を説いてきたのだが、本当の意味を理解してもらうのは難しい。
舎利弗よ、私が仏になって以来、様々な過去の事実・例え話をもって広く教えを伝え、無数の手段を使って、衆生を導いて間違った考えから引き離してきた。
なぜそのようなことが出来るかというと、仏はその教化の方法と完全な智慧を備えているからだ。
舎利弗よ、仏の英知は広大深遠で恐れなく、禅定・解脱・三昧(瞑想のこと)を行うことで深く境地に入り、あらゆる法を習得してきた。
舎利弗よ、仏はうまく体系立ててたくみに法を説き、言葉は柔軟で衆生を喜ばすことができる。
舎利弗よ、つまりのところ最高の法を仏はことごとく習得した。
止めとこう、舎利弗よ、もうこれ以上話すのを止めとこう。
なぜなら、仏の習得したものは、最高に稀有で難しい法なのだ。
ただ仏どうしがよく仏法の真実を見極めることができる。
つまり如是相 (いかなる印象で) ・如是性 (いかなる性質で) ・如是体 (いかなる姿形で) ・如是力 (いかなる能力で) ・如是作 (いかなる作用を成し) ・如是因 (いかなる原因で) ・如是縁 (いかなる条件で) ・如是果 (いかなる結果で) ・如是報 (いかなる報いがあるか) ・如是本末究竟等 (またこれら相から報までの9つがその者の境涯に応じてすべて一貫している法則) のことだ。

・・・現代語訳を読んでもよく分かりませんが、知っているのは「舎利弗(しゃりほつ)」が釈迦の十大弟子の一人であることぐらい。
参列してくれた九州生まれの息子の嫁が、宗旨や場所が違うと葬儀のやり方も随分違うので、とても勉強になったと言いました。
こういう時だけの"俄か信者"ですが、やはり、声を出して、拙いながらもお経を読むと、何か心が洗われる気がします。
故人を偲ぶことも出来る気がします。

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