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2017年9月12日 (火)

古今亭始さんの記事

産経新聞に、二つ目の古今亭始さんの記事がありました。
古今亭始は、高校卒業後、介護福祉士をやっていて、勤務していた病院でのレクリエーションの時間に、手品や紙芝居で患者を楽しませていた。
ネタも尽きて、当時、テレビドラマではやっていた落語をやろうと考えた。
落語は実際に見たことなかった。
たまたまオンデマンドTVで、落語のストーリーのアニメを見て、それを覚えて、みんなの前でやった。
噺は「目薬」だった。
認知症の患者が多く、反応はあまりなかった。
あとで分かるのだが、入門して、師匠のうちを掃除していたときに、そのDVDを見つけた。
アニメの声は師匠だったことを知る。
その後、寄席でも見るようになり、「人を楽しませるのが好き」ということで、それまでの仕事を辞めて、落語家になることを決めた。
入門を頼むまでも時間がかかり、さらに入門を許されるまでも時間がかかった。
入門を許されるまで、師匠の自宅を訪ねた回数は10回以上だった。
アルバイトをしながら、入門が許されるのをずっと待ち続けた。
始が選んだ師匠は、とても厳しい人だった。
落語界では、誰もが知っているほどの厳しさだ。
それでも、着物のたたみ方から、太鼓まで、全てを師匠に教わった。
しくじりも多かった。
それでも愚痴は一切言わなかった。
二ツ目昇進が決まったときには、ちょうど師匠をしくじっていたときで、師匠からしばらく口も聞いてもらえなかった。
もう手ぬぐいの注文の締め切りで、「どうしようか」というときに、師匠から「これっ」と、紙を渡された。
そこには、新しい名前の「始」の文字と、手ぬぐいのデザインが描かれていた。
その名前の「始」は、「これからがはじまりなんだ」と、自身では思っている。
普通、師匠の名前の一文字をもらうことが多く、その名前からは、誰の弟子かは分からない。
師匠も「俺の弟子だといって仕事をもらうな」と、言った。
だから、今でも、始は師匠のことは高座では言わない。
今は、噺を増やすために、毎月ネタ卸をやっている。
しかし、ただ覚えてやっているだけでは、プロではないと思う。
考えながら噺を覚えている。
自分らしさを出すためには、どうすればいいか。
「ネタは広く選んでいるつもり」だ。
「お前の落語は、俺が俺がになっている。ただ受けたい、受けたいだけ。損得しか考えていない」と、師匠から厳しく言われる。
「厳しいですね。でも、うれしい。ありがたいことです」と、始は話す。
二ツ目になった今でも、師匠の存在はとても大きい。
「自分の人生なんだから、考えろ」と、師匠が常にいっているようだ、と始は思う。
今でも、常に師匠の言っていることが頭から離れない。
だから、背伸びをしてやるつもりもない。
「みんなに笑顔になって、帰ってもらう」ことだけを考えている。
「楽しく、やりがいがある。落語家になってよかったと思う」と、始は言った。

・・・古今亭志ん輔師匠のお弟子さんです。
確かに、厳しい師匠だと思います。
「俺が俺が」「受けたい受けたい」「損得だけ」・・・というご指摘は、誰にも当てはまると思います。
最近、志ん輔師匠を聴いていないので、聴きたくなりました。
志ん輔師匠の「お見立て」は、忘れられません。

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