前座噺のこと
昨日の稽古で「牛ほめ」をやりました。
この噺は、所謂「前座噺」というジャンルの噺です。
最近、私自身、私が所属している連もそうですが、他の連の発表会にお邪魔するようになって痛感することは、落語を落語としてしっかりやるには、誰が何と言っても前座噺から入って行くことが不可欠だということです。
落研に入部して、1年生の時は、自分で噺を決めることは出来ませんでした。
先輩から、「お前は○○という噺、おまえは△△をやれ」と指示されました。勿論、前座噺です。
ここで、「私は"廓噺"や"人情噺"がやりたい」なんて言ったら、「10年早い、一昨日来い!」なんて罵倒されたものです。
現に、私の同期は私を含めて5人でしたが、「浮世床」「転失気」「桃太郎」「孝行糖」そして「あたま山」でした。
私の1年下の後輩たちも、「たぬき」「子ほめ」「牛ほめ」「雑俳」「元犬」「道灌」「だくだく」「やかん」・・・。
最初は生意気を言っていても、高座経験を積み、落語の知識がだんだん増えて来ると、最初の先輩の言葉が的を得ていたことを痛感します。
どの世界にも、基礎や基本、準備(見習い)期間というものはある。
スキーもゴルフも、最初からゲレンデやコースには出られません。
落語にも、当然、基本を覚えて鍛える時期が必ず必要です。
勿論、スポーツのように厳しいものではありませんが。
それから、歴史や背景など、それぞれのベースとなる教養やマナーも不可欠です。
では、落語を語るに当たって、なぜ「前座噺」が必要なのか。
前座噺は、落語を演じる上での基本的な発声や仕草などを身につける教材であること。
それから、実は、これが重要だと思うのですが、一般教養(薀蓄)を学ぶ教科書であること。
前座噺の多くで共通しているのは、歴史や文学や芸術、礼儀やマナーに関することが出て来ること。
例えば、「道灌」では、太田道灌のこと、「七重八重・・・」の短歌。
「子ほめ」では、「栴檀は双葉より芳しく・・・」のことわざ。
「たらちね」でも、「自らことの姓名は・・・・、恐惶謹言」の口上。
「牛ほめ」では、「檜造り、備後の五分縁、天角、地眼・・・」の知識。
落語国で出会う知識や情報がたくさん詰まっています。
ところが、社会人のグループでは、単なる好き嫌いで演目を選ぶ人が横行します。
勿論、それはそれで否定をすることではありません。
落語を楽しむ方法は、それぞれ自由ですから。
しかし、噺の大きさや背景も知らずに、やれ「紺屋高尾」だの「お見立て」だの「厩火事」だのをやろうとする人には、何とも言えない気持ちを禁じえません。
しかも、女性が・・。
落語上達のためには、演目には、自ずと順番があると思うのです。
昨日「牛ほめ」を演読しました。
師匠からは、遠慮のないコメントが飛んで来ます。
・・・でも、演っていて感じる楽しさは、大きな噺、人情噺にはないものがある。
交流稽古で参加して、この稽古を聴いてくれた真仮名さんからメールがあり、「牛ほめの与太郎はもちろんですが、お父っつぁんと伯父さんが素敵でした。与太郎への愛情を感じました」とコメントしてくれました。
とても嬉しい。
この噺は、伯父も父親も、愚かしい与太郎が可愛くて仕方がないところが基本になっている噺だから。
やはり、前座噺をしっかりやらなくてはいけないと痛感します。
一昨日の「牡丹燈籠」も、こういう基本を教えてくれる噺の経験や知識の上で出来上がっていると思っています。
稽古とは 一より習い十を知り 十よりかへる もとのその一
これは、千利休の有名な言葉です。
茶道に関わる言葉ですが、私は落語をやっていて知りました。
どんな世界であれ、達人と呼ばれる人は日々の修練を怠らない。
繰り返し行ない身についたものは、やがて無意識にできるようになるが、真の達人は、何かが身につく度に新たな学びを発見する。
そうやって1を10にしたあとは、再び1から学びが始まる。
稽古や学びにこれでいいという終わりはない。
練習を重ねれば重ねるほど、学べば学ぶほど自分の無知や未熟さを思い知らされる。
暫く、「前座噺」の稽古をしてみようか。
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