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2017年8月11日 (金)

圓朝忌

shadow8月11日は「山の日」?
いやいや、ずっと前から「圓朝忌」です。
落語中興の祖といわれる「三遊亭圓朝」の117回目の命日です。
私の祖父と、六代目三遊亭圓生師匠が生まれた、1900(明治33)年です。
 圓朝忌
江戸時代末期(幕末)から明治時代に活躍。
本名は出淵 次郎吉(いずぶち じろきち)。
江戸・東京の落語・三遊派の大名跡。
三遊派の総帥、宗家。
三遊派のみならず落語中興の祖として有名。
敬意を込めて「大圓朝」という人もいる。
二葉亭四迷が『浮雲』を書く際に圓朝の落語口演筆記を参考にしたとされ、明治の言文一致運動にも大きな影響を及ぼした、現代の日本語の祖でもある。
滑稽噺より、人情噺や怪談噺など、笑いの少ない分野で独自の世界を築く。
圓朝の噺が三遊派のスタイル(人情噺)を決定づけた。
あまりの巧さに嫉妬され、師匠の二代目三遊亭圓生から妨害を受けた。
例えば、圓朝が演ずる予定の演目を圓生らが先回りして演じ、圓朝の演ずる演目をなくしてしまう。
たまりかねた圓朝は自作の演目(これなら他人が演ずることはできない)を口演するようになり、多数の新作落語を創作した。
柳派の総帥である初代談洲楼燕枝とは年齢が1歳下のライバル。

この偉大な噺家がいなかったら、落語界は言うに及ばず、演芸演劇、さらに文学界も、歴史が変わっていたかもしれません。
そんな「三遊亭圓朝の生涯を年表にまとめました。
                (日付は明治5年までは旧暦)
・天保10(1839)年4月1日
  初代 橘屋圓太郎(初代圓橘)の息子として江戸湯島切通町
  で生まれる。母の名は、すみ。
・弘化2(1845)年3月3日
  初代 橘家小圓太の名で江戸橋の寄席・「土手倉」で初高座。
・弘化4(1847)年
  父・圓太郎と同じく二代目 三遊亭圓生の元で修行する。
・嘉永2(1849)年
  二つ目昇進。
・嘉永4(1851)年
  玄冶店の一勇斎歌川国芳の内弟子となり、画工奉公や商画
  奉公する。
・安政2(1855)年3月21日
  圓朝を名乗り真打昇進。(16歳)
・安政5(1858)年
  鳴物入り道具仕立て芝居噺で旗揚げ。(19歳)
・元治元(1864)年
  両国垢離場(こりば)の「昼席」で真打披露。
・明治元(1868)年
  長子の朝太郎誕生。
  母は御徒町住の同朋倉田元庵の娘お里。(29歳)
・明治5(1872)年
  道具仕立て芝居噺から素噺に転向。(33歳)
・明治8(1875)年
  六代目桂文治と共に「落語睦連」の相談役に就任。
・明治10(1877)年
  陸奥宗光の父で国学者の伊達千広による禅学講義の席で
  知己となった高橋泥舟により、義弟の山岡鉄舟を紹介される。
・明治13(1880)年9月24日
  山岡鉄舟の侍医である千葉立造の新居披露宴の席で、同席
  していた天龍寺の滴水和尚から「無舌居士」の道号を授かる。
・明治19(1886)年1月8日
  井上馨の共をして身延山参詣。
  また井上の北海道視察(8月4日より9月17日)にも同行。
・明治20(1887)年4月26日
  井上馨邸(八窓庵茶室開き)での天覧歌舞伎に招かれ、
  また井上の興津の別荘にも益田孝らと共に招かれる。
・明治22(1889)年4月
  向島の木母寺境内に三遊派一門43名を集め、三遊塚を建立。
  初代および二代目 三遊亭圓生を追善記念する。(50歳)
・明治22(1889)年6月30日
  各界人士を集めて、初代・二代目 圓生の追善供養のための
  大施餓鬼会を施行。
  一門43名が小噺を披露し、記念誌を配布。
  朗月散史編『三遊亭圓朝子の傳』が三友舎から出版される。
  (圓朝自身の口述に基づく自伝)
・明治24(1891)年6月
  席亭との不和で寄席の出演を退き、新聞紙上での速記のみに
  明け暮れる。(52歳)
・明治25(1892)年
  病のために廃業。
・明治30(1897)年11月
  弟子の勧めで高座に復帰。(58歳)
・明治32(1899)年 9月
  発病。
  10月: 木原店で演じた『牡丹燈籠』が最後の高座となる。
  不行跡により朝太郎を廃嫡処分とする。
・明治33(1900)年8月11日午前2時
  死去。(61歳)
  病名は「進行性麻痺」と「続発性脳髄炎」。
  法名は「三遊亭圓朝無舌居士」。
  墓は台東区谷中五丁目4番7号の臨済宗国泰寺派全生庵。

圓朝の名跡は、「藤浦家」が預かる名跡となっているそうです。
この名跡が藤浦家のものになったのは、先々代の当主である藤浦周吉(三周)が圓朝の
名跡を借金の担保にして、圓朝を経済的に支援した縁によるもの。
藤浦三周から二代目襲名を許された三遊亭圓右は、襲名実現直前に死去したため“幻の
二代目”といわれています。
その後、藤浦家はこの名をどの落語家にも名乗らせていません。
究極の「止め名」になっている訳です。
6年前に、圓窓師匠が口演された「揺れるとき」は、師匠が圓朝と安政大地震をテーマにした名作で、ずっと語り継いで行きたいと思っています。

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