「目黒の秋刀魚」考
先日の稽古会で千公さんがやった「目黒の秋刀魚」。
師匠と色々な話になりました。
目黒と殿様と秋刀魚との関係です。
色々と考えてみました。
「目黒」というのは勿論地名のことですが、取り敢えず今の「目黒」と考えて良いと思います。
江戸時代と現在との違いも理解しておかなくてはいけません。
そもそも、昔の江戸は、今の東京に比べて、物凄く狭かった。
例えば、「品川」「新宿」「板橋」「千住」といえば、現在でも鉄道のターミナルになっている場所ですが、これらは「江戸の四宿」と言われ、東海道・甲州街道・中山道・奥州(日光)街道の最初の宿場だった場所です。
従って、既にここは江戸ではなかったということです。
「本郷も かねやすまでが 江戸のうち」という言葉が有名ですが、例えば中山道ならば、現在の本郷三丁目の交差点にある「かねやす」という店を過ぎると、もう江戸ではなかったということです。
要するに、今の東大のある場所は、江戸ではなかった。
ついでに、早稲田大の「都の西北」からも分かるように、高田馬場も、都(江戸)から外れた西北方向にあったということ。
目黒を考えると、東海道は芝から高輪までが江戸でしたから、江戸の外だった訳です。
従って、お殿様が目黒に行くというのは、さすがに「ぶらり途中下車の旅」という訳にはいかず、遠足みたいなものだったのでしょう。
それでは、何故目黒に行ったのか・・・・。
噺の中では、目黒へは、「遠乗り」あるいは「鷹狩り」に行く設定になっています。
いずれにしても、そこそこ遠い場所ではあったはずです。
さて、(ここからはWIKIを参考に)「目黒」は、恐らく今よりずっと広域を指していたようです。
江戸時代、将軍は広大な鷹狩場を複数持ち、単に「御場(ごじょう)」とも呼ばれ、
その中の一つが「目黒筋」だった(旧称:品川)。
文化2(1805)年の、「目黒筋御場絵図」というものによれば、「目黒筋御場」の範囲には馬込(現在の大田区西馬込など)・世田谷(現在の世田谷区ほぼ全域および狛江市)・麻布・品川・駒場といった非常に広い範囲が含まれていたようです。
なお、江戸期に目黒筋鷹狩場の番人の屋敷であった場所は、現在「鷹番」という地名が残っています。
殿様が、遊びに行くのに、「鷹狩り」が大義名分になり、目黒方面には駒を進めやすかったであろうことは、想像に難くありません。
では、殿様(赤井御門守)は、どの辺りで秋刀魚を食したか。
噺の中には出て来ませんが、噺の成り立ちの背景を想像する上で考えられるのは、鷹狩場近辺には、徳川幕府の庇護の下にあって繁栄した「目黒不動」があり、多くの場合、鷹狩から目黒不動参詣のあと近辺の茶屋で休息したと思われます。
この茶屋は彦四郎という名の百姓が開いたとされていて、将軍家光が彦四郎の人柄を愛し、「爺、爺」と呼びかけたことから、「爺々が茶屋」と呼ばれ、歌川広重の「名所江戸百選」にも題材とされているそうです。
・・ということであれば、諸説はあるかもしれませんが、概ね目黒川を越えたあたりということで、良いのかもしれません。
それでは、目黒の在の人が焼いていた秋刀魚は、どこで手に入れたものなのでしょうか。
噺の中にそれを特定する根拠は何もありませんが、愛好者の間では以下の諸説があるそうです。
「芝浜の魚市場(ざこば)」か「別の魚市場」か「目黒川」か・・・。
芝浜の魚市場は現在の港区にあり、そこで秋刀魚を買って徒歩で茶屋まで運ばれたという説。
江戸時代には目黒は里芋の産地で行商が盛んに行われていて、「目黒の里芋」の大需要地が、東海道品川宿と、当時大きな魚市場があった芝だった。
目黒を朝早く出て里芋を売り、その代金で「芝の秋刀魚」を買い、昼過ぎに歩いて目黒に帰るのが行商人のパターンだった。
これとは別に、目黒は新鮮な秋刀魚が手に入り易い場所だったという説もあるそうです。
目黒は目黒川河口(現在の天王洲あたりとなる)の雑魚場から揚がった新鮮な近海魚が入手できた場所だからということ。
しかしこの雑魚場の位置が明確でない(芝浜の雑魚場と同じかもしれない?)ようなので?
それから、目黒川に遡上した秋刀魚を農民が捕獲したという説。
現在でも目黒川河口はボラ・スズキ・ハゼ等の食用になる魚が生息しており、1980年代前半に東京湾で大量に秋刀魚が発生したことがあり、その秋刀魚が江戸川などの川に流入して遡上したこともあったので。
輸送が不便だった当時は、現場ですぐ淡塩をあて、九十九里浜で獲れた秋刀魚は、速度の遅い和船で一昼夜かけて日本橋の魚河岸に運んだようです。
従って、この秋刀魚は魚味が定まっていて、なんら手を加えなくてもよかった。
目黒近辺は里芋の産地であり、この里芋と塩漬け秋刀魚を日本橋で物々交換していたとの説もあるようです。
・・・色々と考えるに、やはりお殿様が目黒に出かけて秋刀魚に出会う必然性はあったのかもしれません。
だから、「板橋の秋刀魚」や「千住の秋刀魚」ではないのでしょう。
・・・こういうことを知って、この噺をやれば、直接の台詞や所作には表れないかもしれませんが、高座に立体感や深みが出ます。
落語の舞台設定にあたっては、この「距離感」が重要です。
千公さんには、お殿様が秋刀魚をしゃぶるシーンにばかり力を入れずに、こんな情景をイメージして、大きく描いて欲しいです。
今度の「edu落語会」で。
« また・・・ | トップページ | 柳家小三治師匠語録 »
「落語・噺・ネタ」カテゴリの記事
- 稽古をした演目(2020.09.09)
- 十八番(2020.07.13)
- 「紺屋高尾」と「幾代餅」(2020.06.18)
- 落語DEデート(2020.05.24)
- 古今亭志ん朝を聴きながら(2020.05.23)