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2017年8月24日 (木)

駿州片倉茶園ノ不二

葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景 駿州片倉茶園ノ不二」。
この画の場所がはっきりしていないんだそうです。
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彼方まで続く大規模な茶園で、忙しく立ち働く様子。
女たちは茶摘をし、男たちは茶葉を籠に詰め込み、その籠を馬で作業場に運び、右手の建物に集められている。
背後の富士には雪が多く残っているところから、春の新しい茶摘みの様子でしょう。
「これは富士市から見た風景だ」という可能性を探る市民プロジェクトがスタートするそうです。
「富士市に残る北斎の足跡を辿る会」という名称。
地元史跡研究グループの「富士市中野の法蔵寺から見た風景ではないか」という説を明らかにしようという。
「駿州片倉茶園ノ不二」は、小高い丘のような場所から富士山を望み、眼下に茶畑や沢が広がる光景が描かれています。
富士市中野には「片倉町」の地名があり、周辺に「伝法沢」が流れるなど共通点も多いようです。
専門家は、「当時は実際に風景を見ながら絵を描くという手法は通例ではなかった」と 。
一方で「片倉町の地名から、富士市からの風景を描いたのではないかという説は専門家の間でもある」そうです。
・・・こういうのって、とても楽しいと思いますね。
葛飾北斎が生きた時期(1760~1849年)は、富士山の宝永の大噴火(1707年)の後ですから、宝永山が描かれても良いと思うのですが、やはり左右対称に裾を広げる姿の方が、見栄えがしたんでしょうか?
他の浮世絵でも、宝永山が描かれているものは少ないような・・。

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