能舞台と高座
能の話題が出ましたので、ついでに。
これも、ある噺家さんから伺った話です。
落語(芝居)と能の関係。
最近は、能楽堂で落語会をやることも多いようです。
あるいは、能狂言と落語のコラボレーションとか。
確かに、狂言とはかなりの親近性があるのかもしれません。
ただし、落語をやる時は、舞台の左前にある「角(目付)柱」が邪魔になるそうです。
しかし、面を着けて演じられる能狂言では、この「角(目付)柱」はなくてはならないものです。
それはともかく、正面から見て、舞台から左側に伸びるのが「橋掛かり」、歌舞伎の花道みたいな。
能は幽玄の世界を描いていますから、登場人物は幽霊です。
幽霊が昔(生前)のことを語って、いずれ消えて行く。
どこに消えるのかと言えば、勿論"あの世"ということになります。
あの世から来て、またあの世に去って行く。
"揚幕"を揚げて、"橋掛かり"を通って、そして舞台に出て来る・・。
ということは、"揚幕"の向こうの"鏡の間"、さらに向こうは"西方浄土"ということになります。
西方浄土とは、阿弥陀如来を教主とする、人間界から西方に十万億の仏土を隔てた所にあるという極楽浄土。
・・・ということは、舞台の下手は"西"になる訳です。
従って、我々は、大相撲の向こう正面側から観ているということになります。
「牡丹燈籠」で、お露と新三郎があの世に行く場面では、下手(斜め前)ではなくて、真横を向くぐらいにと心がけてやってみました。
十万億土の距離感は、行ったことがないので想像でしたが。
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