結界(を張る)
師匠がよく仰るように、落語というのは仏教とは切っても切れない縁があります。
僧侶が法話をする場所を「高座」、扇子を「風」と言うそうです。
落語では、手ぬぐいのことを「曼荼羅」、扇子を「風」と言います。
お寺やお坊さん、あるいは仏を扱った噺も多くあります。
従って、いくらかは仏教の知識が必要になることもあります。
これは、私もある噺家さんから教えていただいたことですが、高座に上がり座布団に座ってお辞儀をする時、座布団の正面に扇子を置く噺家さんが大勢います。
そして、お辞儀が終わって頭を上げたのと同時に、扇子も座布団の脇に置きます。
これは、「結界(を張る)」ということだそうです。
「結界」という言葉を調べてみると、やはり仏教に関わりがあるようです。
①仏道修行に障害のないように、一定地域を聖域として定めること。
寺院などの領域を定めること。
②密教で、一定の修法の場所を限って印を結び、真言を唱えて護り浄めること。
③・寺院の内陣と外陣との境の柵。
・外陣中に僧俗の席を分かつために設けた柵。
④帳場格子。
⑤茶道具の一。
風炉先屏風の代用品。
道具畳の向こうに客畳のある広間などで、その仕切りに置くもの。
・・・茶道にも「結界」があるようです。
この扇子の意味は、高座と客席を分けることだそうです。
もう少し深く探ると、「能」にも行き着くようです。
能は約600年の歴史を持ち、舞踏・劇・音楽・詩などの諸要素が交じりあった現存世界最古の舞台芸術です。
主人公のほとんどが"幽霊"で、すでに完結した人生を物語る、それが中心になっている不思議な演劇です。
幽霊というと怖い内容のように思われるかもしれませんが、そうではなく時代や国によっても変わることない人間の本質や情念を描いています。
能舞台を思い出すと、正面から見て本舞台の手前に「階(きざはし)」があり、その手前には「白州」があります。
手前はまさに現世で、舞台は幽玄の世界。
舞台は「結界」なんでしょう。
観能する人も、芝居を観る人も、落語を聴く人も、客席にいる位の高い人よりも、舞台や高座にいる演者の方が座が高い。
普通なら、こんな無礼なことはありません。
そこで、「白州(階)から向こう、舞台の上は、現実の世界ではありません。虚構の世界ですから、高い場所にいるのをお許しください。」
「劇中の無礼や下品な部分も、この世のものではないということでお許しください。」
・・・これが「結界(を張る)」ということになる訳です。
扇子が、現世と幽玄の世界との仕切りになっている訳です。
こうして、結界を作った後は、無礼講で色々な噺が出来るということになります。
高座に羽織を着て上がるのは、結界を張るまでは、儀式としての厳かさが必要ですから、正装をする。
結界が出来たら、羽織は脱いでも構わないことになります。
私は、高座に上がってお辞儀をするまでは、厳粛な緊張感があり、とても好きな瞬間です。
噺家さんで、これを丁寧にやるのは、例えば、林家正蔵さん、隅田川馬石さんあたりが思い浮かびます。
春風亭昇太さんとは対極の景色です。
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