小暑と七夕
今日は二十四節気の「小暑」です。
「二十四節気」は、地球から見た空を球体として、その球体上の太陽の通り道を24分割したもので、中国が発祥とされています。
1年を月の満ち欠けで決めていた太陰暦では、1年で1ヶ月程度の誤差が生じるため、どうしても季節感のズレがありました。
それを補正するために二十四節気が考えられるようになりました。
「小暑」は、その二十四節気の11番目にあたります。
ちなみに、二十四節気は中国の気候を元に名づけられているので、日本の季節感とは合わないケースもあるようですが・・・。。
とは言え、小暑は、暑さがどんどん強くなっていくという意味があり、この頃から暑さが本格的になってきますが、梅雨の終わる頃で、集中豪雨が多く発生する時季でもあります。
現に、九州地方はとんでもない水害になってしまっています。
そして、「七夕」。
中国に古くから伝わる、牽牛星(けんぎゅうせい・わし座のアルタイル)、織女星(しょくじょせい・こと座のベガ)の伝説に基づいた星祭りの説話と日本古来の農耕儀礼や祖霊信仰と結びついたと言われています。
七夕と言えば仙台のJリーグ「ベガルタ仙台」は、牽牛と織女の合成語だったと思います。
月遅れの8月7日に行う地方もあります。
現在は7日の夜の行事になっていますが、本来は6日の夜に、短冊をつけた笹竹を軒下に飾り、7日の朝に川に流します。
願い事を短冊を書いて笹竹に吊るす風習がありますが、これは、竹竿に糸をかけて裁縫や習字の上達を星に祈るとかなえられるという、中国の乞巧奠(きつこうでん)の習わしからきているようです。
平安貴族たちが、これをまねて、梶の葉に歌を書いたのが始まりだそうです。
江戸幕府は七夕を五節句とし、幕府の式日と定めました。
大奥では、瓜・桃・菓子などを白木の台に盛り、その四隅に笹竹を立て、詩歌を書いた短冊や色紙を結びつけました。
それが一般の人々の風習として広まり、文筆や針仕事の上達を願いを書くようになったようです。
七夕・・・。
今から31年前の今日も、私は、この辺りで仕事をしていました。
新しいオフィスを開設する仕事で、開設準備室のオフィスが、まさに今の虎ノ門ヒルズの"麓"のビルにありました。
そして、7月7日に新規開設されたのが、首相官邸のすぐ近くの溜池交差点のオフィスでした。
あの時の仲間の会は「七夕会」と称して、ずっと定期的に懇親会が開かれていたのですが、数年前に、いつも幹事を引き受けてくれていた同期が急逝してからは、ちょっと途絶えたままです。
あの頃は、まさにバブルの真っ最中で、六本木の再開発でアークヒルズがオープンしたばかりでした。
不動産の価格は、まさに右肩上がりで、株価も上昇、日本中が怖いもの知らずだった気がします。