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2017年7月12日 (水)

演目で一考

昨夜の千早亭の稽古の時。
9月の「千早亭落語会」のネタ出しで、私が「おせつ徳三郎」と書いたら、師匠から、「おせつ」ではなく「お節」と漢字でとのコメント。
確かに、師匠の高座本は「お節徳三郎」となっています。
私は、一般的に「おせつ徳三郎」と表記されることが多いので、「おせつ」としていました。
特に重く考えている訳ではないし、師匠の高座本でやらせていただくので、「お節徳三郎」ということにしました。
実は、以前から、いくつかの演目で、漢字が良いか、ひらがなが良いかと考えることがありました。
一般的にひらがなが多い(気がする)のを、師匠が漢字で表記しているケースです。
「子ほめ・子褒め」「つる・鶴」「ねずみ・鼠」「目黒のさんま・目黒の秋刀魚」「やかん・薬缶」「時そば・時蕎麦」「たらちね・垂乳根」「あくび指南・欠伸指南」「あたま山・頭山」「そば清・蕎麦清」「へっつい幽霊・竃幽霊」・・・。
基本的には、あまり使われない、読みづらい漢字がひらがなで表記されるようになったということでしょう。
・・・でも、感じ方のレベルですから、ひらがなの方がピンと来るものもあるんです。
「子ほめ」「つる」「ねずみ」「さんま」「やかん」「たらちね」「あたま」は、やさしい雰囲気、言葉遊び、イメージを広げるという観点です。
「子ほめ」は、褒める口上になっていない。
「つる」は、つーと飛んで来て、るーと飛んで来て。
「ねずみ」は、本物ではなく木彫り。
「さんま」も、日本橋で仕入れたのは原型をとどめていない。
「やかん」は、矢が当たってかーん。
「たらちね」も、母親が登場する訳ではなく。
感覚の問題なんですが、私はそんなふうに思います。
ところで、師匠の創作で「揺れるとき」という噺があります。
「揺れるとき」にするか「揺れる時」にするか考えたことがあります。
確か、師匠は「ゆれるとき・揺れるとき」と表記されていました。
私は、「揺れるとき」が良いと考えています。
「時」と「とき」の使い分けです。
調べてみると、時刻や時間を示して表現するときは「時」。
一方、「〜の場合(とき)」と伝える場合には「とき」とひらがな。
要するに、時刻や時間を示して表現するときは「時」。
「〜の場合」と言い替えて意味が伝わるときは「とき」。
「時」は、ある時点を指す用語。
「とき」は、仮定的な条件、前提条件を表す。

・・・やはり「揺れるとき」でないといけないと思います。

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