7月4日
毎年同じことを書いていますが、7月4日は米国の独立記念日ではありますが、私にとっては祖母の誕生日です。
勿論、随分昔に鬼籍に入っています。
1900年の子年の生まれです。
私が生まれた時に、我が家にはおばあちゃんが2人いました。
曾祖母と祖母です。
勿論、2人とも明治生まれです。
1歳の時に年子で妹が誕生したため、私は、夜は祖父母と一緒に寝ていた記憶があります。
両親が共働きで、日中は不在でしたから、祖父母が面倒を見てくれました。
当時、曾祖母は既に80歳を過ぎていましたが、大変元気で、私をおんぶしてあやしてくれたそうです。
ですから、曽祖母は「よいよいのおばあちゃん」、祖母は「ねんねのおばあちゃん」でした。
それに、近所のお姉さんや親戚のお姉さんが、身の回りの世話をしてくれていたようです。
・・・なんて言うと大家のお坊ちゃんのように思われるかもしれませんが、ごく普通のガキでした。
その「ねんねのおばあちゃん」の誕生日です。
祖母は、身体が丈夫ではなく、いつも「どこそこが痛い」と言っていました。
曾祖母は、私が10歳の時に、満90歳で亡くなりました。
祖母は、満83歳で亡くなりました。
当時はまだ高齢化社会ではありませんでしたから、2人とも長寿だったと言えるでしょう。
高校を卒業して、大学進学のために家を出てから、帰省する度に、私の茶碗と湯飲みを用意して待っていてくれました。
遠い、遠い、昭和の出来事です。