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2017年6月24日 (土)

市川團十郎発祥の地

「市川團十郎発祥の地」の山梨県市川三郷町は、役場の本庁舎と2カ所の支所に掲げる国旗と町旗を半旗にして、闘病の末、乳がんで死去した歌舞伎俳優の市川海老蔵さんの妻、小林麻央さんを悼んだそうです。
麻央さんが公式に町に来訪したことはなかったが、海老蔵さんは平成17年9月、十一代目海老蔵襲名の披露公演の千秋楽を、同町内(当時は合併前の旧三珠町)の「歌舞伎文化公園ふるさと会館」で行っているそうです。
市川團十郎発祥の地
團十郎発祥の地
町は、團十郎にちなんだ同館などにも、おくやみの文章を掲示するそうです。
初代市川團十郎のことについて調べてみました。
父は甲州出身で、異名を「面疵(つらきず)の重蔵」、「菰(こも)の十蔵」と呼ばれた侠客だったという。
さらにさかのぼると武士で後北条氏の家来であったという説もあるが、これは甲州の出ということ以外は疑わしい。
「菰の十蔵」というのは十蔵が非人出身なのでお菰(コジキ)の意味でそう呼ばれたものとされる。
十蔵は甲州から出てしばらく下総国に住んだのち、江戸和泉町に住み着いたといわれている。
昭和初期に山梨県笛吹市一宮町の旧家で発見された堀越氏系図によると、遠祖は能係を務めた武田家臣で、初代團十郎の曾祖父にあたる堀越十郎が市川三郷町(旧三珠町上野)の地を領し、武田滅亡後に下総国へ落ち延びたという。
ただし市川宗家は、初代團十郎は成田山新勝寺にほど近い幡谷の出身で、新勝寺とは少なからず縁があったと公表している。
これが「成田屋」という市川宗家の屋号の由来である。

町のホームページにアップされているお悔やみ文です。
「市川三郷町は初代市川團十郎の発祥の地です。
この度、第十一代市川海老蔵丈ご令室小林(堀越)麻央様のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。
ご遺族皆様のお悲しみをお察し申し上げますとともに、麻央様のご冥福をお祈り申し上げます。
                     市川三郷町」

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