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2017年6月20日 (火)

手術前日にも落語?

日刊ゲンダイで、周囲の人たちへの感謝を語った「柳家権太楼」師匠の記事がありました。
あれは2010年でしたか、63歳でしたよ。
「最近疲れっぽいな」とは思っていたんですけども、「63歳ってこんなに疲れるんだ」と半ば納得して、まったく病気を疑っていませんでした。
でも、北海道で独演会が終わった途端に倒れ込んでしまったんです。
自力で東京まで戻ったその足で、点滴を打ってもらおうといつもお世話になっている病院へ駆け込みました。
そうしたら顔色でわかったんでしょうね、すぐに尿検査をすることになって尿を取ったら、その色がヘドロみたいな茶色で自分でもビックリしました。
そのうち意識をなくして、ふと気が付いたら弟子6人と家族が集まっていてまたビックリでした。
急性腹症、腹水貯留、肝機能障害、腎機能障害、尿路上皮がんの疑い……と、大変な状態の中、1カ月ほどの入院で、血液から何から体内に流れる液という液を全部きれいに入れ替える治療をしたんです。
そして、いろいろな検査の末にやっと「左の腎盂がん」が見つかりました。
そのときの院長の様子ときたら、ニコニコ笑いながら「がんだったよ!」ってね(笑い)。
長年親交がある仲なので、通り一遍の検査じゃ見逃してしまうようながんを全力で見つけてくれたんです。
感謝ですよ。
「もし見逃してたら?」と聞いたら、「再来年の花見はできなかったかな」と言われました。
■手術の前日まで落語、翌年には膀胱がんの手術も…
腎盂は尿が集まる場所で、私の場合は左の腎盂のがんが筋層まで浸潤していたので、治療は左の腎臓と尿管の全摘出の手術になりました。
「あなたは“落語界の宝”だから」と院長が紹介してくれたのが、帝京大学医学部病院。
日本のトップ技術を持った外科医の手で腹腔鏡手術が行われたのが11年の1月11日でした。
1月といえば、元日から10日は「初席」といって顔見せの大事な時期。
実は「どうしても出たい」とお願いして、手術の日を初席が終わるまで延ばしてもらったんです。
手術の前日まで落語をして、さらに言えば、退院した翌日にはもう仕事に行きました。
とにかく落語がやりたくて仕方ないんですもん(笑い)。
退院後、秋ぐらいまでの間に1回1週間ほどの入院を要する抗がん剤治療を3回しました。
もちろん頻繁に検診も受けていました。
すると翌年、今度は「膀胱がん」が見つかりました。
でも、すでに言われていたんです。
腎盂がんを治療すると、おおかた膀胱がんになるものらしいのです。
だから驚きもせず、腫瘍を摘出する手術を受けました。
加えて、結核菌を入れてがんを退治する抗がん治療で3カ月間は通院しました。
おかげさまで人工膀胱にはならずに済み、今こうしているわけです。
■人間ドックを受けていることで安心して、健康を過信していた…
病気を治してからは汗の出方が変わりました。
以前は、一席終わるともう着物がびしょびしょになるくらいに汗をかいて、それが普通だと思っていたのですが、今は以前ほどではなく、あの汗は異常だったと気付きました。
あとは、サプリメントや栄養ドリンクを一切取らなくなりました。
前は疲れるとそういうものに頼ってばかりいたもんで、それが内臓を疲れさせてしまったのです。
でも、こう見えて人間ドック好きで、50代から2年に1度は頭から爪先まで全部診てもらっていたんです。
尿酸値と中性脂肪が高めとか言われていたんですけども、人間ドックを受けていることで安心し、健康を過信していたところはありました。
私を救ってくれたのは医師や看護師さんという医療の人たちばかりではなく、弟子であったり家族であったり、何よりお客さまのおかげです。
もう、粗末にはできないと思っています。
腎臓の手術前、かみさんに「63歳で終わったとしても、俺はここまでよくやった。もし“権太楼にはもう少し長くやってほしかった”と誰かが言ったら、“満足だと言っていた”と言ってくれ」と話したんですが、実際はね、悔いは残りますよ(笑い)。
だって、生きていれば“言い訳”ができる。
「病気になっちゃったよ」や「まいったよ」って言えるじゃない。
亡くなったら何も言えないからね。
病気の後も、落語は一切何も変えていないつもりです。
何か変化しているかどうかはお客さまが感じることですよ。
ただ、ひとつだけ言えるのは「うまく聞かそう」とか「笑わそう」という思いは捨てました。
出来が悪くても人の評価は気にしない。
自分にプレッシャーをかけないことにしたんです。
ストレスが一番いけませんから。
そんな言い訳で治療中は禁じていたたばこもお酒も、今やすっかり復活しています。
そういえばもうひとつ、病気をしたら大きな賞を立て続けにいただきました。
病気が治って長生きしたことが落語へ影響したのって言えそうなのは、それぐらいかな(笑い)。

・・・権太楼師匠が腎臓の病気で、暫く休演していた時のことを思い出しました。
勿論、細かなことを知るよしもありませんが、病気と闘っていたんですね。

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