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2017年6月10日 (土)

落語で女心を語る?

「不孝者」の話題で、ある女性の方が、"琴弥"という柳橋の芸者を主人公にして聴く(演る)と仰っていました。
確かに、この噺では、旦那の都合で一方的に縁を切られた芸者の心は、大変複雑なものがあると思いますし、女性として共感出来る部分もあるかもしれません。
しかし私は、この噺は女心を表現するのが肝の噺ではなく、逆に男心を語らないと生きた噺にならないと思っています。
そう、男の"業"を語る噺です。
男が、男の視点から、女性かくあるべしという願望も含めて、男の都合で展開するのです。
だって、落語ですから。
女心を語るなら、こういうストーリーにはならないでしょう。
だから、この噺は、あまり女性はやらない方が良いと。
やるなら、最初から女性の側に立ったストーリーにすべきだと思うのです。
師匠が「救いの腕」の時にも仰っていました。
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トドメはこの噺のオチです。
オチの「この不孝者め・・・」という台詞は、女性にはなかなか言えないはずなんです。
これも師匠から指摘された部分で、父親と息子という男同士ゆえに、息子を不孝者と嘆きながらも、自分も同じだという自嘲も含めなくてはいけないんです。
「この台詞は、息子に向かって言っているだけじゃないんだよ。自分に向かっても言っていることを踏まえて言わなくては」と、師匠から言われました。
単に、女性との濡れ場を息子に邪魔されて言うだけの台詞ではありません。
この男の心理を語る噺で、振られた芸者の心理を語るのではないんです。
今度話す機会があったら、こう言ってみようと思います。
女性が出て来るから女性がやり易いということはありません。
「救いの腕」も「五百羅漢」も「三井の貸し傘」も、男心なんですよね。
「人情八百屋」もそうだと思います。

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