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2017年6月16日 (金)

話の肖像画(4)

産経新聞の市馬会長の特集の4回目は、とうとう「歌」のこと。
〈落語界きっての美声の持ち主、歌を歌わせたらプロ級、ではなくて、れっきとしたプロの歌手(日本歌手協会会員)だ。平成20年には「山のあな あな ねぇあなた」でCDデビューも果たしている。著書「柳亭市馬の懐メロ人生50年」では、三橋美智也、春日八郎、三波春夫、村田英雄ら大好きな歌手への思いをたっぷりとつづっている〉
古いでしょ。
父親の世代か、もう少し上ぐらいかなぁ。
東海林太郎や岡晴夫、菊池章子、渡辺はま子も好きですよ。
4つ上の兄はフォークソングが大好きだったけど、私は子供のころから、ちょっと変わった歌が好きでね。
下戸だった瓦職人のおやじは宴席で酒を飲まされないために、ギターやアコーディオンの腕を磨いたんです。
お調子もんというか、人を楽しませるのが大好きというか、私もそういう性分を受け継いでいますね。
「いい声ですねぇ」なんて乗せられるとその気になって歌っちゃう。
だけど、落語家のパーティーなんかで歌うと、師匠(五代目柳家小さん)はダメだとは言わないけど、あんまりいい顔はしなかったなぁ。
落語家のくせに私がギャグも入れないでフツーに歌うもんだから、「これじゃあ(落語家じゃなくて)歌手じゃねぇか」というわけですよ。
もちろん私もそのときは「歌手」のつもりなんですけどね(苦笑)。
〈真打ちに昇進(平成5年)して、しばらくたったころ、壁にぶち当たった。後から真打ちになった(林家)たい平や(柳家)喬太郎ら勢いのある若手がどんどん売れ始めたのを横目に見ながら、自身も「何か新しいチャレンジ」をしなければ、と得意の歌を持ちネタに織り込むことを思いつく〉
真打ちになったのはいいけれど、だんだんと出番が減ってくるんですよ。
下から若い人がどんどん出てくるし、上にはまだ大御所らが頑張っている。
普通にしていると、存在感がなくなってしまう。
このままじゃ置いていかれるな、と思って、いろいろやってみました。
試行錯誤の末に、私の宝物である歌を取り入れる発想が浮かんだんです。
おかげさまで評判を呼び、そのころから独演会も増えていった。
揚げ句、会長まで仰せつかるようになって。
だけど、CDデビュー(平成20年)は勢いでやっちゃったようなもんですよ。
まぁ、歌うのは“請われれば”やりますけどね(苦笑)。
〈会長としてメッセージを発したり、あいさつの場では常々、落語家に対して「自由に、好きな道を行けばいい」と語ってきた〉
「個性」がなくちゃあ、いけないんです。
アイツの芸がどうだ、こうあるべきだとか、ダメだとか、仲間うちで言われても関係ない。
お客さんが喜んでいれば、それでいいじゃないですか、お客さんが決めることなんですよ。
落語ブームの中で、人気の若手落語家がグッズを売ったり、休憩中に客席を回ったりすることを苦々しく思っている人も当然、いるでしょう。
あるいは、お客さんの中にも批判的な方はいるかもしれない。
でもね、それはいたっていいし、好きにやっていいと私は思うんですよ。
〈落語の「現代性」についても論争が尽きないテーマのひとつ。時代に合わなくなったから、と古典落語のオチを変えたり、新たな「クスグリ」(ギャグ)を入れたりする落語家もいる〉
これも同じ。
私は必要だと思う人はやればいい、それに尽きます。

・・・やはり、落語協会の会長だった先代の小さん師匠の薫陶を受けていればこそのコメントですね。
そう言えば、私が落語に戻って来た10年ほど前が、ちょうど市馬さんが売れ出した頃でした。
落研の創始者でもある「麻雀亭駄楽」師匠も、当時、市馬さんを絶賛していたし、私もかなり"追っかけ"ました。
勿論、独演会の"歌謡ショー"も何度も聴きました。
中でも、「俵星玄蕃」は圧巻でした。
それに、記念すべき「第一回お江戸OB落語会(お江戸あおば亭)」で、私が選んだ演目は、市馬さんの音源を参考にした「花筏」でした。
この噺で、市馬さんを真似て、村田英雄の「男の土俵」を歌ったり、呼び出しや行司の声色をやって、それなりに拍手をもらったりしました。
・・そうか、「花筏」を再演してみようか。

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