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2017年6月14日 (水)

話の肖像画(2)

memo産経新聞の記事「話の肖像画」。
柳亭市馬さんの特集です。
大分県の出身。
高校時代は剣道に明け暮れた。
五代目柳家小さんへの入門は高校卒業後の昭和55年。
もらった名前が小幸(こゆき)。
約4年間、師匠の家で内弟子生活を送った〉
落語は好きだったけど、本気で“田舎モン”が落語家になれるなんて思っちゃあいませんからね。
それが、高校時代の剣道の先生のツテで(剣道が大好きだった)師匠を紹介してもらえることになって、後はトントンと話が進みまして…。
ウチの師匠は、めったにサシでは弟子に稽古はつけない。
それが私(アタシ)には、「(前座噺の)『道灌』を教えてやる」と言ってくれたんですよ。
兄弟子からは「いいなぁ、お前は剣道でハマってる(気に入られている)からなぁ」って、うらやまれてね。
それなのに、いつまでたっても教えてくれない。
あるとき、「稽古するぞ」と師匠に呼ばれて、喜び勇んでいったら、これが剣道の稽古だった(苦笑)。
師匠は強かったですよ。
師匠が範士(はんし)七段で私は三段。
結局、「道灌」は教えてくれなくて、「面倒くせぇから(兄弟子の)小里んに習え」って。
〈寄席の楽屋は、前座にとって修業の場でもある。師匠連中の着物を畳んだり、お茶を出したり、ネタ帳を書いたり。昔は落語の「小言幸兵衛」のように口うるさい師匠も多かった〉

 

「帯の結び方が違うよ。まともに着物が着れなくて、いい噺(はなし)ができるか」だの、「汚れた足袋で高座に上がるつもりかい。お客さんが見ていないと思ったら大間違いだぞ」なんて…のべつ小言をいっている師匠もいましたねぇ。
「うるせえジイさんだな」って思うんだけど、後から考えてみると“その通り”なんですな、これが。
楽屋で師匠方の世話をしたり、噺を聞いたり、漫才などの他の芸人を見ることが、前座にとってどれほど勉強になることか。
全部が血となり、肉となるんですよ、絶対に。
そうそう、林家彦六(八代目正蔵)師匠が当時ご健在でね。
“トンガリ”と呼ばれた激しさはなくなって、いいおじいちゃんになっていましたが、前座全員の名前を覚えてくれたのは、あの人だけでした。
たいていは「オイ」とか「前座」って呼ばれるんだけど、彦六師匠だけは2度目から、必ず名前で呼んでくれる。
それがうれしくてねぇ。
私も今になってまねをしようと思うんだけど、これがなかなか大変で、できません。
〈師匠の小さんは、落語界初の人間国宝(後に桂米朝、柳家小三治)。昭和47年から約四半世紀にわたって落語協会会長も務めた。一門は落語界きっての大所帯。弟子には、立川談志、柳家小三治、さん喬、権太楼、花緑など多士済々〉
師匠は、来る者拒まず、去る者追わずでね。
あまりにたくさん弟子を取りすぎて「こんなヤツいたかな」ってくらい(苦笑)。
サシで稽古をつけないのは、噺の間やイキなんてものは、教えられるもんじゃないからでしょうね。
だから、他の人の高座をソデから見て「必死で盗め」って。
師匠の「時そば」を見ているとね、どんな大きな会場でも寄席でも、そばを噛む回数がほぼ同じなんです。
このしぐさは、お客さんにウケるから、調子に乗って長くやりたくなるときもあるんだけど、師匠はやらない。
「そばの量は決まっているだろう、笑いが多ければいいというもんじゃない」というんですな。

・・・こういう世界っていいですね。

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