話の肖像画(3)
産経新聞の柳亭市馬会長の特集は第3回。
今回は、結論が出ない「大量真打ち問題」について。
〈柳家小さん一門の兄弟子だった立川談志は、毒舌家で、強烈なキャラクターの風雲児。昭和58年、真打ち試験の結果などに反発して落語協会を脱退、落語立川流を創設し、家元に。門下からは志の輔、談春、志らく、など実力派の落語家が育っている〉
談志師匠の小言はちょっと“別物”ですね。
ややこしい(苦笑)。
ここでこういうふうに怒る、と見せるところなんだ、とかね。
あのような「人物像」を自分で作り上げてしまったんだと思う。
だけど、実際はあれほど落語が好きな人はいないし、お客さんを大事にした人もいない
、と思います。
お客さんを喜ばせようとするサービス精神はおそらく一番だったでしょう。
先年亡くなった(橘家)円蔵師匠らとは「サービスの仕方」が違うんだけどね。
立川流といっても、もともとは同じ(小さん門下)ですから。
今、確たる地位を築き、人気者が出ているのも(協会を)出ていったからこそじゃないのかな。
〈談志は、小さん会長時代に六代目三遊亭円生らが落語三遊協会を立ち上げて出ていった協会分裂騒動(昭和53年)にもかかわっていた(談志は新協会のポストをめぐり、途中離脱したとされる)。このとき、分裂の主たる原因となったのは「大量真打ち問題」だ。円生らが主張した「芸のない者まで真打ちにするのか」、小さんらの「一定の年限で昇進させる」のか…。落語家の数が増えれば増えるほど、この問題に突き当たる。今でも結論は出ない〉
私(アタシ)はね、どちらも正しいと思う、というか、どちらも間違いではない。
答えなんて出ませんよ。
もちろん芸がある者しか真打ちにしないのが理想ですけど、落語家の数が少なかった昔
ならいいですよ。
今のように落語家が大勢いる現状(協会の落語家300人弱。うち真打ちが約200人)で、そんなこと(芸がない者は真打ちにしない)言ってたら二つ目(前座の次)でたまりにたまって永久に真打ちになれない。
私は、それはどうかなと思います。
東京の落語家にとって真打ちはやはり目標ですからね。
真打ちが、ひとつの「到達点」として、値打ちがあったのは(柳家)小三治師匠や(三遊亭)円窓師匠(いずれも昭和44年昇進)の時代くらいが最後でしょう。
今は、「到達点」ではなく、そこからが新たなスタートであり、勝負なんです。
10人一緒とか、単独でなった、とかも関係ありません。
伸(の)してくる人は伸してきますよ。
それにね、とりあえず真打ちにさせるのは一見、温情に見えますが、本当はどちらが「優しい」のか分かりませんよ。
真打ちになったはいいが、披露目(ひろめ)の後は(寄席で)1回もトリを取れない人だっているんです。
実際、使われる人は決まってきますからね。
上辺はいいけれど、こっちの方が本当はよほど非情かもしれません。
〈現在、弟子は7人。気質も違うイマドキの若者には驚かされることが多い〉
落語家になりたいのなら、当然知っているだろうという「常識」を知りませんねぇ。
例えば、芝居の忠臣蔵なんてまず知らない(落語には、忠臣蔵を題材にした噺(はなし)〈「淀五郎」「四段目」など〉がたくさんある)。
噺やマクラ(導入部分)に出てくる有名な川柳や俳句、ことわざも知らない。
大学の落研(おちけん)出身者でもそう。
学校じゃないから、こっちも一から教えるようなことはできませんし…。
いくら時代が変わっても「これくらいは知っておいてくれよ」という思いはありますね。
・・・今は、このスタンスが合っているんでしょうね。
圓窓師匠から直接お聞きしたんですが、師匠の時は、一人だけの先輩を何人か飛び越えての真打昇進で、当時寄席が7軒あったので、70日間披露興行をしたと。
若手の頃から勉強家で、持ちネタが多かった師匠は、披露興行のトリは全て違う噺をや
ったそうです。
要するに「70席」です。
懐かしそうに話されていたのが印象的です。
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