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2017年6月11日 (日)

「落語のナゾ」

「現代ビジネス」に堀井憲一郎さんの一文がありました。
【落語のナゾ】なぜ同じ話を何度聞いても面白いのか? 
三遊亭円歌が体現した「芸の真髄」
◇稀代のホラ吹き
三遊亭円歌が死んだ。
落語家である。
そこそこの期間、落語を聞き続けていると、落語家の死にいくつも接することになる。
落語家はあまり引退しない。
死ぬ少し前まで高座に上がっていることも多い。
這うようにして高座にあがる噺家もいる(あまり這うところを見せても笑いにつながらないので、だいたい幕をおろして噺家を高座に座らせて幕を開けている)。
ついこのあいだ高座を見た、という噺家の訃報を聞くことがけっこうある。
落語は実は、かなり死を身近に感じさせる芸能だとおもう。
この人もいつか死ぬのだろうな、と落語を見つつ、ふとおもってしまうことがある。
それは同時に、まあ、見ているおれもそのうち死ぬんだけどな、とおもい至ることにもなる。
元気のいい若手の高座を見つめつつ、こいつの60代の高座を見ることはないんだろうな、というようなことだ。
べつだん、それでさみしくもならない。
落語というのは、そういう部分までも笑おうとする芸である。
業の肯定だ、という言葉は千年を越えて残る名言である。
どんな人だろうと、その人が生きるのを楽にしてくれるのが、落語の力だ。
その言葉を残した立川談志は、三遊亭円歌のことを、ウソつきだ、とさんざんに言っていた。
もちろん三遊亭円歌がウソつきだというのは、彼を知るすべての人が言っていたことである。
尋常ひととおりの法螺吹きでなかった。
言葉すべてに虚実がない混じり、高揚させる言葉ばかり吐いていたのだろう。
虚実がない混じりというより、虚にときどき実を入れて、あたりだったとおもう。
生き方までも芯から芸人である。
そうでなければ、ああいう高レベルの高座は維持できないというということだ。
談志の口調は、あまり円歌の嘘が好きではなかったようだったが、べつだんそんなことを気にしてもしかたがない。
◇意味がなくても面白い
三遊亭円歌は売れた。
それも尋常じゃない売れかただった。
二ツ目時代、つまり若手だったころ、三遊亭歌奴という名前でテレビ・ラジオに出て、売れに売れた。
林家三平と同じ時期に売れ、この二人は二ツ目ながら寄席でトリを取ったという伝説が語り継がれている。
寄席では二ツ目がトリを取ることはまず、ない。
当時は落語家の人数も少なかったのだろうが、それにしても実力が若いころから抜き出ていたのは確かである。
三遊亭歌奴(うたやっこ)という芸名の時代に売れたので、円歌に改名してもう40年以上経つのに、まだ歌奴さんと呼ぶやつがいる、とこれは高座でいつも語っていた。
最初覚えた名前で人はずっと呼び続けるものだからだ。
売れていた歌奴時代は1960年代で、私はちょうど小学生だった。
林家三平とともにテレビでよく見た覚えがある。
「山のあなあなあな」というギャグも覚えている。
でもわけがわからなかった。
べつだん意味がわからなくても、面白いものは面白い。
この人は独特の音を持っていた。
客に心地よく音を届けることに力を注いだのであろう。
円歌の音が心地よく届いたということと、この人が稀代の法螺吹きであったこととは表裏にあるとおもう。
いつも自分の話をしていた
ここ10年で三遊亭円歌の高座を見たのは30回ほどである。
独演会に行ったのは一度だけで(そんなに独演会をやる師匠でもなかった)、寄席で見ることが多かった。
会長時代には新真打の披露興行に並んで、決まったセリフを述べていた。
ときに鈴々舎馬風たちと一緒に口上の最中にどたばたと巫山戯(ふざけ)て、老人が居並んではしゃぐ風景などあまり目にするものではないから、大笑いして、胸うたれた。
感動はしていない。
感動するようなものではない。
ただ、寄席は明治の昔から、大人が必死でふざけた場所だったんだろうなと突然おもったりしただけである。
◇ずっとつながっている、とふと感じた。
円歌は、あまり古典を演じなかった。私が見たのは『坊主の遊び』ぐらいである。
『我孫子宿』という落語らしい噺も聞いたことがあるが、これもまた古典とは言いにくい(新作である)。
いつも自分の話をしているように見えた。
自分の両親と、前妻の両親と、後妻(いまの妻)の両親の6人を引き取って、一緒に暮らしているという噺や、天皇陛下(先帝)の前で一席落語を話したときの噺や、自分が会った昔の芸人三亀松や歌笑の噺など、ふつうに聞いているかぎり、昔話を思い出して語っているように見えた。
もちろんそういう落語である。
それぞれにもタイトルが付いている。
タイトルにはあまり意味がない。
寄席の高座では、噺家はきちんと古典落語を演じる場合もあれば、自分の身近に起こった話でつなぐこともある。
知らずに聞くと、おもいついたまま、そぞろ話をしているように見えるが、ほとんどの場合そうではない。
いま思い出しつつ話しているように見せて、じつに練り込んだ話になっている(漫〔そぞ〕ろの話なので漫談と呼ばれることもある)。
古典ではないが、これはこれで落語である。
江戸の武士の世界や、長屋の世界を垣間見せてはくれないが、しかし笑いは取る。
そういう落語であり、おそらくより本質に近い。
◇何回聞いても面白い
寄席の円歌は身近な話ばかりしているように見えた。
そうか、円歌は6人の老人と住んでいるんだ、とふつうに楽しく聞いていた。
よく考えるとこの円歌自身がおじいさんなんだから、もういまは6人の両親と住んでいないんじゃないかとおもったりするのだが、それはあとからぼんやりおもいだすことである。
高座を聞いてるときはそういうことを考える余裕はない。
余計なことを考えさせない。
最初聞いたときは、ひたすら楽しい。
2回目に聞くとまた同じ楽しい話だとおもう。
3回、4回めには、前と同じだなとおもう。
ところが6回、7回と聞き続けてくるうちに、また無闇やたらとおもしろくなってくる。
そこが芸の力だ。
どこまで同じ話で受けさせられるか、そこが、力の差として出てくる。
そういうポイントでは、三遊亭円歌は超絶した名人であった。
◇どこであれ、必ず笑いを取る
うまい落語家は、風景を現前させる。
降り積もった雪の中を逃げ惑う旅人の姿や、火事で蔵がねじ切れるように燃え落ちるさまや、渡し船がひっくり返った報せに街中が騒然とする空気を、ありありと見せてくれる。
そういう古典落語を演じる者たちをみな誉め讃える。
三遊亭円歌はその技術を「自分のうちにはジジババが6人もいやがる」といういっけん他愛もない話のなかで駆使したのである。
円歌にしか見せられない世界がありありと現れた。
泣かないし、感動しないし、どきどきもしない。
でも、笑える。ひたすら笑える。何回きいても笑えるのだ。
円歌を評して「受けなかった高座を見たことがない」というのを何回か聞いた。
同業者による評である。 
どんなところで演じても、必ず受けていた、ということだ。
これは、ほとんど最高の芸人であった、ということを意味する。
人気のある芸人だからどこでも受けるだろうとおもわれるかもしれないが、そんな簡単な話ではない。
どんなに人気があろうと、受けないことがある。
「蹴られる」と彼らは言うが、必ずどこかでは蹴られるものである。
人気の落語家が、蹴られている現場を私は幾度か見ている。
地方の会場だったり、客席が半分以上空いている会場だったり、そもそも落語をやる環境でなかったりするからだ。
誰にだって受けないことはある。
円歌はそれがなかったと言われるのだ。
おそらく本当にそうなのだろう。
プロから圧倒的に信頼される芸人である。
この人は、どこのどんな状況でも、必ず前にいる人を笑わせたのだ。
初代林家三平もそうだった。
昭和30年代の日本の熱気が生んだ稀有の芸人たちだったのだ。
◇池袋演芸場のロビーで遭遇
いま原稿を書いていて、ふっとおもいだしたのだが、いちど池袋演芸場の昼席、あまり人も入ってない時間帯に(仲入りではなく誰かが舞台で演じている途中に)、私はなにげなく席を立ってロビーのほうに出た。
あまり客がロビーに出てくるタイミングではなかったからだろう、そこに円歌が座っていた。
池袋演芸場は楽屋が狭いため、ふつうに演者がロビーにいるが(そもそもロビーを通らないと楽屋に出入りできない)円歌は洒落た帽子をかぶり、マントのようなものを羽織り(マントだとおもう)座っていた。
ひとり、前こごみになって座っていた。
とても静かで、そして暗い雰囲気だった。
下をじっと見ていた。
気になったので(あれは円歌師匠かな、とおもって確かめがてらに飲み物を買う体で近づいていった)、近づくと、ふっと立って楽屋に入っていった。あのときの雰囲気が忘れられない。
芸人だからといって、一人のときに賑やかな人はいないが、しかしちょっと他人とは違う気配が漂っていた。
何だか、地獄のほうを熱心に覗いているようだった。
べつだん寂しそうだったわけではない。
孤独さが際だっていたわけでもない(売れた芸人はだいたい孤独感を漂わせている)。
ただ、一心に何かを見ているような姿が、とても印象深かったのだ。
無防備なときの芸人には、その人の芯の何かが見えてくる。
あの人は何かを抱えながらも、一心に一点を見つめている人だった。
◇落語という芸
三遊亭円歌は、いくつかの音源を残しているようだ。
でも、あまり意味はないだろう。
どういう芸人であったかを伝える価値はあるが、この人の隔絶したパワーと技術が伝わるものではない。
絶対にどこでも受けていたということは、この人の喋りは、必ずその現場にいる人たちにだけ向けて語られていたということだ。
その現場にいなければ、あまり意味がない。
円生や志ん朝のように語り継がれた古い噺を次代に継ぐための音源とは意味がちがう。
円歌が死ぬと、円歌の落語は地上には残らない。
人の記憶に残るだけであるし、その記憶を持った人もやがて地上からは消えていく。
落語はそういう芸である。円歌の噺はもう聞くことはできない。
ただ、新しい落語が今日も話されている。
寄席は今日も開いている。
いまもまた、いまの客にむかっていまの噺が展開している。
いま聞くものは、そこにある。

・・・う~ん、なるほど。

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