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2017年5月 8日 (月)

落語には年齢がある

pen桂歌丸師匠が、アエラで「落語には年齢がある」と、若手に言葉を贈っているそうです。
名人から若手まで、平成「落語ブーム」が止まらない。
大ベテラン、桂歌丸師匠は落語についてどのような思いを持っているのだろうか? 
お話を聞いた。
*  *  *
人間の年齢と同じように、落語にも年齢があると思うんです。
極端なことを言えば、20代、30代の人間が、「文七元結」(三遊亭圓朝作の人情噺。江戸っ子の心意気が描かれる)や「居残り佐平次」(映画「幕末太陽傳」の原作にもなった古典落語の廓噺)をやってどうするんです。
前座さんには前座さんがやるべき噺、二ツ目さんには二ツ目の、真打には真打の噺がある。
そこのところをよくわきまえて進んでほしい。
年を取っていけばいくほど、大きい噺はできるんですから、若いうちは土台作りをしてもらわないと困る。
土台がしっかりしていないと、その上にどんな建物を建てても、崩れてしまいます。
我々だって若手の時代には暴走したことも失敗したこともありますよ。
失敗してもいい、いつ自分の過ちに気がつくかが問題です。
気づくのが早ければ、立ち直るのも早いし、遅いと下手したら立ち直れなくなっちゃう。
大事なのは、「芸道に関して、人は気にせず、自分のことを考える」こと。
人のことはわかっても、自分がわからない奴はずいぶんいますからね。
他人はどうでもいい。
自分の芸を考えなくてはいけません。
それは私たち芸人ばかりではなく、人間全般に言えることではないでしょうか。
二ツ目さんたちの一番の強みは、若さという武器があることですよね。
彼らの元気さは、そりゃあうらやましいですよ。
こちらはもう出そうと思ったって出ないんですから(笑)。
ただしその若さで、暴走はしてもらいたくない。
自分がやっていることは冒険なのか、落語を壊していないか、表現も含めて考えることは必要です。
若さという武器を、いい意味で使ってもらいたいですね。

・・・全く同感です。
人は気にせず、自分のことを考える・・・他人はどうでもいい。
落語だけでなく、心に刺さります。
確かに、昨年「文七元結」をやりましたが、やっとその歳になったと思いチャレンジしました。
まだ、「百年目」や「唐茄子屋」や圓朝物は出来ません。
窓門10年が経って、少しずつ頑張ってみようと思います。
そのスタートが、昨年の「文七元結」であり「牡丹燈籠」でした。
落語は単なる芝居や読み聞かせや朗読ではありません。
演者の生き様が投影出来なければ、聴き手の頭の中に映像を結ぶことは出来ません。
それは、私の学生時代の「浜野矩随」と50歳を過ぎてからの「浜野矩随」が、明らかに違うことで実証・実感しています。
落語には、技量のほかに、時間・年齢が必要です。
だから、生意気を承知で言わせてもらうならば、少なくとも、若い二つ目さんには負けていないと。
だから、台詞を丸暗記せずに、自分の言葉の引き出しを使った語りを目指してもいる訳ですから。
落語には年齢があるからだと思うからです。

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