徒然に
ふと師匠の創作「揺れるとき」のことを思い出しました。
この噺は、東日本大震災の年の「圓朝まつり」の奉納落語として、師匠が初演されました。
三遊亭圓朝の人生を、安政地震を横串にして語る長講です。
揺れるときのストーリー
揺れるときという噺
噺の中で、「寿限無」と「牡丹燈籠」を演り、ストーリーに「鰍沢」が入っています。
師匠がこの噺を創作した原点は、扇子っ子連・千早亭の発表会(千早亭落語会)での出来事にあります。
あの震災の翌々日が、「千早亭落語会」の予定でした。
あの当時は、被災地だけでなく、東日本全体がパニック状態になっていて、私も会社で徹夜して対応策を練ったりしていて、とても落語会には出られない状況になっていました。
千早亭のメンバーの中にも、私と同様の人、被災地の親戚や知人の安否がわからない人もいて、動揺していました。
当時の会長さんは、世の中全体の"自粛モード"も察して、メンバーとも話し合い、落語会を中止(延期)することに決めて、師匠の所に報告しました。
師匠のブログ
すると師匠は、「一旦やることにして、宣伝もしているのだから、どんなことがあってもやらなくてはいけない。出演者一人でもいいから。そうしたら一門や周りが助ける。どんな時でも、お客さまは必ず来てくれる。そのお客さまに応えるためにも、絶対にやらなければダメだ!それは、プロもアマもない。そんな気持ちの人たちには、落語の指南は出来ない!」と、憤慨されました。
師匠のブログ2
思えば、その3年後、落語っ子連の発表会の直前に、師匠が体調を崩されたことがあり、会長の判断で発表会を延期しようとしたことがあり、師匠は同じように仰っていました。
あの時は、窓口さんが退職直前で、現役最後の高座ということで、ことさら意気込んでいました。
結局、私と窓口さんを中心に、こじんまりとした会になりましたが、お客さまは大勢来てくださいました。
この事件をきっかけに、最古参の落語っ子連は、第一次を10年で終了し、新たに第二次を立ち上げました。
話は戻って、その時の千早亭落語会の会場には、落語会を聴きに両手に余るぐらいの方が来てくださったそうで、メンバーがお詫びしてお帰りいただいたそうです。
師匠は、お詫びをするためにメンバーがいたのなら、なぜ落語会をやらなかったのかと(`´)
確かに、その通りだと思いました。
どんなことがあっても、決めた高座や稽古はやらなくてはいけないという、師匠の信念に触れて感動したんのを覚えています。
プロもアマもない。
その言葉が耳に残り、この噺をやらせていただいたところ、師匠が大変喜んでくださいました。
私は、「千早亭落語会」と「お江戸あおば亭」の二度高座にかけましたが、また再演してみたいと思っています。
ぜったいに残して行きたい噺です。
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