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2017年1月 5日 (木)

人間国宝?

penまたまた「週刊ダイヤモンド」の記事から。
まぁ、色々書いてます。
人間国宝について、歌舞伎と比べた文章です。
2014年、柳家小三治が落語家で3人目の人間国宝となった。
しかし、歌舞伎などと比較して、その人数は圧倒的に少ない。
背景には複雑な人間国宝認定の仕組みと落語界の歴史がある。
 (2016年7月9日号特集「落語にハマる!」より)
落語家が人間国宝になったら、払うのは入場料ではなく拝観料──。
かつて、五代目柳家小さんが人間国宝になったとき、そんな冗談が言われていた。
いわゆる人間国宝とは、重要無形文化財の保持者として各個認定された者をいう。
あくまで「わざ」そのものが文化財であり、そのわざを体現できる者を人間国宝と呼ぶ。
古典落語の人間国宝が少ないことは以前より指摘されてきた。
表の通り、同じ芸能分野の歌舞伎と比較しても差は歴然だ。 

  人間国宝?
文化財政策に詳しいある文化庁職員は、その理由を次のように説明する。
まず、落語はわざの細分化が難しい。
歌舞伎の場合、立役、女方など、役柄で分類ができ、流派によっても異なるわざとして説明可能。
そのため、同じ歌舞伎という種別でも数多くの認定ができるのだ。
一方落語は、せいぜい江戸落語と上方落語の二つ。
対象となる分類自体が少ない。
また、落語の歴史も背景にある。
人間国宝の認定が始まった1950年代、落語は大衆芸能として隆盛を極めており、保護の対象という認識がなかった。
文化的と見なされるようになったのは、ここ20年であり、そもそものスタート地点が歌舞伎とは違うという。
「古典落語という言葉は、昔はなかった。この時期に、落語は高尚なものだという雰囲気がつくられた」(春風亭昇太)。
そもそも、人間国宝に認定されるかどうかは、優秀さ以上に周囲の状況によるところが大きい。
「業界の誰しもが認める存在というのが絶対条件。業界の保護が目的なので、認定によって異論や対立を生んではいけない。
小三治でさえ、ライバルであった立川談志と古今亭志ん朝が亡くなったから人間国宝になれた」(前出の文化庁職員)
また、人間国宝は予算の枠組みで実質定員制となっている。
同じ種別で先に認定者がいれば、よほどのことがない限り追加認定は難しい。
そうした理由から、次の人間国宝候補と目されている桂歌丸についても、「認定の可能性は低い」(同)。
江戸落語という枠には、既に柳家小三治がいるからだ。
現在、「笑点」で共演する三遊亭圓楽が、歌丸を人間国宝にするための署名活動を行っているが、たとえ10万人の署名が集まっても、影響は軽微なようだ。
「重要なのは一般の人気ではなく、業界内でのポジション。
小三治が認定された時点で、歌丸が人間国宝になる可能性はほぼなくなった。
次の人間国宝はもっと下の世代になるだろう」(同)。
人間国宝になるには、実力もさることながら、タイミングと運がものをいうようだ。

・・・これまた現実的なコメントです。
個人的に言えば、落語での人間国宝に相応しいのは、上方の米朝師匠には異論はありませんが、江戸落語では、三遊亭圓生師匠こそだったと思います。
タイミングと運、それから晩年の騒動がありましたが、技量(芸の質と量ともに)は抜群だと思います。
歌丸師匠は、確かに「笑点」での活躍や大ネタへのチャレンジという点で、目立つ存在ではありますが、怪談や人情噺は、圓生師匠のコピーのように思えますし・・・。
小三治師匠は、やはり運が良かったと思います。
勿論、小三治師匠の至芸を否定するものではありません。

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