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2016年11月29日 (火)

演読

camera千公さんが撮ってくださった「人情八百屋」の読み稽古風景。
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師匠は、読み稽古の時には「演読」をするように、指導されます。
「黙読」「朗読」「音読」「積読」・・・と、様々な読み方があります。
「演読」というのは、高座本を見ながらでも良いから、出来る限り"本息"で読む稽古方法のこと。
元々、私が何気なくやっていた時に、師匠が「演読」と名づけたものです。
師匠から「落語は活字で覚えちゃいけないよ」と言われます。
要するに、一字一句を読むように暗記しないということです。
この「演読」という考え方を自覚してから、私は、高座本を覚えようとしなくなりました。
噺の全体(舞台や背景や人物)や流れを俯瞰するための「通読」、その後は「演読」です。
"本息"でやりますから、読む都度、"落語の絶対音階"のない私は、そのリズムやトーンが変わりますから、台詞もその勢いやトーンに合わせて、高座本とは違う表現や言い回しになります。
先日の落語っ子連の稽古の前に、師匠と2人だけで話していた時にも、これが話題になりました。
「覚えるのは高座本に書いてあることではなくて、落語の言葉(語彙や言い回し)をたくさん貯めておいて、その中から都度適当な言葉を使っていくことだ」と仰いました。
そうなんです。
「自分の頭の中に、落語の言葉の引き出しをいかに多く拵えることが出来るか」だと思っています。
そうすれば、落語は覚える必要はありません。
会話というのは、はじめから用意された言葉のやり取りではなく、瞬間に出て来る言葉を受けて返す訳ですから、出て来る言葉は刹那的でなければいけないはず。
それを表現して初めて会話になると思います。
普段の会話に、流暢なやり取りや一定(等間隔)の間というのは絶対にありませんから。
「三井の貸し傘」は、復唱するような稽古は一切やりませんでした。
そのために、いわゆる稽古の量は少なかったと思います。
ただ、越後屋の大旦那、日向屋の旦那、番頭、陽之助(若旦那)、定吉など主な登場人物たちの立ち位置、気持ち(了見)などを考えて、それで作り上げたキャラクターに自然に喋らせれば良い・・・。
そういうトライアルだったかもしれません。
「活字で覚えちゃいけないよ」という師匠の教え。
もしかすると、落語を覚えないでやる"麓"に、やっと辿り着けたのかもしれません。

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