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例年の落語の聴き納めにしている「紀伊國屋寄席」。
今年もチケットを購入しました。
もう席の残りが少なくなっていて、かなり後ろの席しか空いていませんでした。
確か、去年もこの辺りだった気がします。
仕事納めの後に紀伊國屋ホールで落語を聴いて、今年の12回のプログラムをもらって帰り、大晦日を迎えるのが習いになりました。
五代目柳家小さん師匠が関わっていた落語会なので、年末は柳家の芝居になっています。
当代の小さん師匠とさん喬師匠が、隔年でトリを勤められます。
師匠は、読み稽古の時には「演読」をするように、指導されます。
「黙読」「朗読」「音読」「積読」・・・と、様々な読み方があります。
「演読」というのは、高座本を見ながらでも良いから、出来る限り"本息"で読む稽古方法のこと。
元々、私が何気なくやっていた時に、師匠が「演読」と名づけたものです。
師匠から「落語は活字で覚えちゃいけないよ」と言われます。
要するに、一字一句を読むように暗記しないということです。
この「演読」という考え方を自覚してから、私は、高座本を覚えようとしなくなりました。
噺の全体(舞台や背景や人物)や流れを俯瞰するための「通読」、その後は「演読」です。
"本息"でやりますから、読む都度、"落語の絶対音階"のない私は、そのリズムやトーンが変わりますから、台詞もその勢いやトーンに合わせて、高座本とは違う表現や言い回しになります。
先日の落語っ子連の稽古の前に、師匠と2人だけで話していた時にも、これが話題になりました。
「覚えるのは高座本に書いてあることではなくて、落語の言葉(語彙や言い回し)をたくさん貯めておいて、その中から都度適当な言葉を使っていくことだ」と仰いました。
そうなんです。
「自分の頭の中に、落語の言葉の引き出しをいかに多く拵えることが出来るか」だと思っています。
そうすれば、落語は覚える必要はありません。
会話というのは、はじめから用意された言葉のやり取りではなく、瞬間に出て来る言葉を受けて返す訳ですから、出て来る言葉は刹那的でなければいけないはず。
それを表現して初めて会話になると思います。
普段の会話に、流暢なやり取りや一定(等間隔)の間というのは絶対にありませんから。
「三井の貸し傘」は、復唱するような稽古は一切やりませんでした。
そのために、いわゆる稽古の量は少なかったと思います。
ただ、越後屋の大旦那、日向屋の旦那、番頭、陽之助(若旦那)、定吉など主な登場人物たちの立ち位置、気持ち(了見)などを考えて、それで作り上げたキャラクターに自然に喋らせれば良い・・・。
そういうトライアルだったかもしれません。
「活字で覚えちゃいけないよ」という師匠の教え。
もしかすると、落語を覚えないでやる"麓"に、やっと辿り着けたのかもしれません。
昨夜から、テレビでは、某歌手が執行猶予中に覚醒剤を使用(再犯)した容疑で逮捕されたことを大々的に報じています。
覚醒剤問題は重たい問題ではありますが、百歩譲ってワイドショーならいざ知らず、ニュース番組でこんなに長時間に渡って報道するべきものなのかと。
一人の歌手が、何らかのストレスから逃れるために覚醒剤に手を染め、一旦は更正を誓ったものの、誘惑に勝てずに罪を重ねた。
この報道姿勢には辟易するものがあります。
勿論、事実であれば、整斉と厳罰に処せば良いんです。
先日の「お江戸あおば亭」に、千早亭の姉妹連の要亭の貴尾さんが、ご主人と一緒にご来場くださいました。
貴尾さんは、師匠の創作された噺を全部やりたいと仰っているそうで、私の持ちネタでもある「救いの腕」は、聴かせていただいたことがあります。
10月の天祖亭の発表会の客席でお会いした時に、「三井の貸し傘」もやりたいと仰っていました。
「お江戸あおば亭」の翌日の三流亭の稽古会の時に、寄席踊りの稽古に来た千早亭のワッフルさんから、「乱志(流三)さんのメールアドレスが分からないので」と、ワッフルさんに感想をメールされたようで、転送してもらいました。
「(登場人物の)男性5人の演じ分けが素晴らしく、暖かい気持ちになりました」との感想を頂戴しました。
ありがとうございます。
実は、稽古の時、師匠からも、「越後屋と日向屋がしっかり演じ分けられていた」というコメントをいただいていました。
年齢順に、越後屋の大旦那、日向屋の旦那、日向屋の番頭、陽之助(日向屋の若旦那)、定吉の5人のことだと思います。
確かに、それぞれを鮮明に出さないと、とても分かりづらくなりますから。
今度は、要亭で、貴尾さんの「三井の貸し傘」を聴かせていただこうと思います。
今夜は落語が二席入っていました。
◇ぼくのあにさん 瀧川鯉八
◇大工調べ 三遊亭歌武蔵
鯉八さんという噺家さんは知りません。
最近の若手は、自分は「ボク」と言います。
何か耳障りです。
厳しい師匠は「わたし」「わたくし」と教育されるはずですが。
しかし、花緑さんは「ボク」と言ってますから、絶望的です。
「ただいまの協議についてご説明いたします・・」の歌武蔵さんは、安心して聴きました。
ところで、大相撲九州場所は、意外にも横綱鶴竜の優勝で終わりました。
横綱に挑戦したカド番常習大関と休場明け横綱はこけて当然。
元カド番常習のはしゃぎすぎ大関の負け越しも自業自得。
期待外れ大関は、今場所も期待すると負けるという期待に応えてくれました。
今週は口内炎に苦しんでいました。
せっかく、月初にできた口内炎も治り、お江戸あおば亭には問題ないと思っていた矢先、先週の東京落語会の後、頓平師匠といつもの飲み屋さんで串焼きのタンを食べていた時に、ガブッと唇を噛んでしまいました・・・(。>д<)
酷くならなければと祈っていましたが、一昨日の大阪出張の頃から💧💧。
軟膏を塗っていますが・・・。
だから、昨日の出来が良くなかったと言う訳ではありません。
師匠が、「人情八百屋」の高座本をまとめた時のコメントです。
この噺はーーー。
二人の孤児を引き取った鳶の所へ、八百屋が「あたしに引き取らせてください」と名乗り出た。
さぁ、鳶の夫婦、八百屋の夫婦が孤児を囲んで問題をどう乗り越えるのか。
この人間の生き様を演者がどう考え、どう表現しするか。
編集して、ドキドキワクワクした。
あたしが故談志さんから教えてもらった唯一の噺。
・・・まさに人情とは何かを問う噺だと思います。
今日の稽古会で読み稽古をしましたが、軽くやってみようと思ったのですが、そういう訳にはいきませんでした。
思わず涙が流れて来ました。
師匠から、「鳶のおかみさんの刺青の部分はカットしたの?」と。
かなりインパクトがあって、師匠は聴かせどころみたいにおっしゃいました。
・・・確かに。
もう一度全編を見直してみようと思います。
今月は1回だけの稽古会です。
地元新潟で、落語の営業に忙しい?越児さんを除くメンバーが参加しました。
◇権助提灯 三流亭百梅
◇三方一両損 三流亭千公
◇ぞろぞろ 三流亭夢学
◇たがや 三流亭新参
◇人情八百屋 三流亭流三
昨日の疲れもありましたが、メンバーが違うので新鮮です。
私は、「人情八百屋」の読み稽古。
師匠の長講をかなりカットしてみました。
これまた手強い噺になりそうです。
この噺、師匠が談志師匠から教えてもらった唯一の噺だそうで、師匠がオリジナルな筋やオチでやったら、「俺のよりいい」と褒められたとか。
「唐茄子政談」と似た部分があるので、いつかチャレンジする支度にしようかとも思いました。
昨日の緊張から解き放たれた、とても楽しい稽古会になりました。
今日のゲストが500人目だそうです。
長寿番組ということです。
◇八百屋お七 四代目柳亭痴楽
今日は落語っ子連の稽古会ですから、聴きながら支度。
どう言えば良いのか。
何か壁を乗り越えようとしている、新しいステージに行く胎動なのか、それとも単なる怠け癖なのか?
こんな稽古のやり方でいいのか?
手応えがあったような、なかったような・・・。
高座に上がるのが楽しい。
噺を覚えるのは、苦しいけれども楽しい。
叔父が、いつもの友人の皆さん13人で来場してくれました。
Iさん、Fさん、Sさん・・・。
ご贔屓には、やや物足りなかったかもしれません。
そうそう、要亭の高尾さんがご主人と来てくださいました。
「三井の貸し傘」をやりたいと仰っていましたが、全く参考にはならなかったでしょう。
彼女の場合は、上品な噺に仕上げると思います。
様々な思いが去来した高座でした。
大阪出張の帰りの新幹線車中。
いつものとおり、3人掛けの窓側の席に座りました。
京都駅から、母親と小学生らしい姉弟の3人が乗って来て、空いていた隣の2人分の席に座り、弁当を広げて食べ始めました。
乳幼児ならともかく、それはないんじゃないかと思いましたが、まぁ他人事だから我慢するかと。
ところが、この親子3人が隣でガサガサするので、気になって仕方ありません。
ついに名古屋の手前辺りで、「3人で2人の席なの?」と訊ねました。
そして、「こんなのありなの?」「もう少し静かにしてよ!」と言いました。
どう考えても、席は3人分取らないとダメだと思うんです。
私が間違っていますか?
名古屋を過ぎると、この親子はどこか別の車両に移って行きました。
気分の悪いこと。
それにしても、あの親子は何だったんだろう?
新しく「ポケモンGO」に仲間入りしたと言われる「メタモン」を捕まえました!
普段は他のポケモンに変身しているそうです。
確かに、「コラッタ」を捕まえたつもりが・・・。
ラッキーでした。
大晦日に某国営放送で放映される歌番組。
かつては、国民的な行事で、私も物凄く楽しみにしていました。
が、最近は、ほとんど興味もなく、視聴しても部分的だったりしています。
連続出場(出演?)・多数回出場の歌手が、ここ何年か、この番組を「卒業」するなんていうコメントをしています。
また、ある歌手が「落選」したというのがニュースになったりしています。
「卒業」といえば格好が良いですが、要は「落選」する前に「辞退」の形にして面目を保とうとしているだけ。
「落選」と言ったって、(今)まで出場(出演)できていたのが不思議で、落選は当然のこと。
くだらないと思います。
見栄を張っても仕方がありません。
盛者必滅なんですから。
ところで、大相撲は、後半になって、何度も横綱試験に「不合格」の大関が、存在感を示しています。
今年の初場所で優勝しただけではしゃぎ奢り高ぶった大関は、実力どおり、今場所も負け越しました。
そんなトホホな状態なのに、土俵上でのパフォーマンスを続けているのを見ると、わかっちゃいないなと思います。
驕れる者久しからず。
ただ、春の夜の夢の如し。
瀧口雅仁さんのツイートで知ったビッグニュース!
三遊亭小円歌さんが来年11月上席より「二代目立花家橘之助」を襲名とのこと。
今は驚きが勝っているところ。
女帝と位置付けられた初代のイメージを受け継ぐのか、それとも払拭するのか? 大きい名前が色物の世界に帰ってくることは、やはり慶事。
そうか、そういうこともあるのかぁ。
とても素敵なニュースだと思います。
初代立花家橘之助は、女流音曲師。
本名石田美代。
天才的な三味線の名手として知られる。
おもに寄席で活躍。
圧倒的な人気を誇る。
落語家ではないのに、落語の寄席の主任を常時とり続けた。
異名として「女大名」「女公方」「淀君」「女帝」。
猫の後ろは山梨県庁。
「猫ブーム」の中、山梨県庁に多くの野良猫が集まり、話題になっているそうです。
ところが、近くの飲食店などからは苦情が相次ぎ、県は来庁者に餌を与えないよう呼びかけることにするそうです。
県庁内を拠点とする猫は数多く、一度に10匹以上が確認できる時間帯もある。市のメーンストリート「平和通り」に面した県議会議事堂前の一角では、足を止めて撮影したり、餌を与えたりする人も。
何でも、ほどほどが良いということで。
今日は勤労感謝の日です。
昔から何気なく休んでいます。
働いている人に感謝する日?
勤労感謝の日は、1948(昭和23)年公布・施行の国民の祝日に関する法律で制定され、「勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日」とされています。
農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習があり、収穫物に感謝する大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まったと伝えられている新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)を起源としています。
第二次世界大戦後、GHQによって天皇行事・国事行為から切り離される形で「勤労感謝の日」に改められました。
なるほど。
車には必ずバックミラーへ(ドアミラー・サイドミラー)やルームミラーが装着されていて、運転席からの死角をカバーしています。
ミラーですから「鏡」です。
国土交通省は、自動車に設置が義務付けられているバックミラーやサイドミラーの代わりに、カメラとモニターを備えた「ミラーレス車」を解禁する方針を決めたそうです。
6月から公道での走行を認める予定で、道路運送車両法の保安基準を改正。
対象は乗用車やトラック、バスなどで、バイクは除外するとのこと。
・・・確かに、最近ではバックビューモニターなど、カメラとモニターを使った便利な装備が出て来ました。
技術的な問題はまだあるようですが、死角が映像化される日も近いということです。
面白い一文を見つけました。
ミラーレス車のミラー(=モニター)を使ってみたところ、意外な「死角」に気付きました。
前方からミラー(モニター)に視線を移した時、何か違和感を感じたのです。
50歳を超え、すでに老眼が始まっている者にとって、前方の少し遠くを見ていて、さっとルームミラーを見た時に近くのモニターにピントを合わせる速度がやや追い付かない状況です。
なるほど、鏡の場合は、鏡(面)にピントを合わせているのではなく、鏡の向こうの物体までの距離にピントを合わせますから、違和感は起こらないと言うことです。
ヒトの身体のメカニズムの素晴らしさに気づかされます。
ペンをリンゴとパイナップルに刺すジェスチャーとフレーズで、大ブレークしているピコ太郎さんという芸人さん。
「PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)」は、今年の「新語・流行語大賞」にもノミネートされ、日本レコード大賞の特別話題賞も獲得、さらに大晦日のNHK紅白歌合戦に初出場することが内定したことが分かったそうですが、私には分からない。
これ、何ですか?
全く、どこが面白いのか分からない。
ユーチューブに動画を掲載したのは8月25日。
9月25日に英BBCが「やみつきになる動画」で紹介。
28日にジャスティン・ビーバーの“お気に入り動画”としてツイッターで紹介されると全世界に拡散。
ユーチューブ週間再生動画回数4億回超で世界1位。
先月28日には「ビルボードホット100にチャートインした最も短い曲」としてギネス世界記録に認定された。
ごめんなさい。私には全く分からない・・・。
全然病みつきになんかならない、ただ気味が悪いだけ。
まだ、白鳥さんのメチャクチャな落語の方が理解出来ます。
◇ペンパイナッポーアッポーペン(Pen-Pineapple-Apple-Pen)の歌詞と(意味)だそうです。
PPAP
ピーピーエーピー
I have a pen.
アイハブアペン
(私はペンを持っています)
I have an apple.
アイハブアアッポー
(私はリンゴを持っています)
Ah! Apple-pen!
ア゛ーアッポーペン!
(アー、リンゴペン!)
I have a pen.
アイハブアペン
(私はペンを持っています)
I have [a] pineapple.
アイハブ(ア)パイナッポー
(私はパイナップルを持っています)
Ah! Pineapple-pen!
ア゛ーパイナッポーペン!
(アー、パイナップルペン!)
Apple-pen, Pineapple-pen
アッポーペン パイナッポーペン
(リンゴペン、パイナップルペン)
Ah! Pen-pineapple-Apple-Pen!
ア゛ー ペンパイナッポーアッポーペン
(アー、ペン・パイナップル・リンゴ・ペン)
Pen-pineapple-Apple-Pen!
ペンパイナッポーアッポーペン
(ペン・パイナップル・リンゴ・ペン)
・・・分かりません。
そろそろ始まる郭巨(かっきょ)の釜掘り、テケレッツのパッ!
アジャラカモクレンキンチャン(客)、テケレッツのパッ!
カマール(集まる)セキテイ(席亭)喜ぶ、テケレッツのパッ!
この子あっては孝行はできない、テケレッツのパッ!
天から金釜郭巨にあたえる、テケレッツのパッ!
皆さん孝行しなさいよ、テケレッツのパッ!
今夜は古今亭志ん五師匠の特集でした。
古今亭志ん五師匠が61歳で亡くなって、もう6年になります。
ご贔屓からは勿論、噺家さん仲間からも慕われていたそうです。
◇錦の袈裟 古今亭志ん五
◇素人義太夫 古今亭志ん五
私は、当時二つ目で志ん三と名乗っておられた頃、仙台でのイベントに出演された時に、アルバイトでアテンドしました。
色々話してくださいましたが、「大きな噺にどんどんチャレンジしなさい」というアドバイスが印象に残っています。
私が最後にお姿を拝見したのは、全生庵での「圓朝まつり」の奉納落語会で進行役をおやりになった時・・・だったかな。
(-_-;)(-_-;)(((((((・・;)ダメ。
どうしたらいいんだろう(-.-)
どうなるんだろう(-""-;)
どうしても、高座本に手が行かない。
どうしてだろう(*_*)
このままでは間に合いません。
大スランプ。
今日は山梨県の県民の日だそうです。
明治4年の11月20日型、それまでの甲府県を山梨県と改めた日なので、これを記念して決めたものだそうです。
現在使われている「太陽暦」は、明治5年12月3日を明治6年1月1日とするという形で実施されましたので、この日を「太陽暦」に直すと、12月31日に当たりますが、県民の日は古い暦で決められました。
それでは何故山梨県なのか。
廃藩置県の断行で、明治政府が各県の名称を決めるとき、明治維新の戦いで朝廷側についた藩は旧藩名を県名として使用し、幕府側についた藩およびそのほかは、新しくその地域の郡名や山川名を県名とするよう方針がだされました。
A.旧藩名を県名とした例-鹿児島県、山口県、高知県、佐賀県など
B.新しくその地域の郡名や山川名を県名とした例-佐倉藩→千葉県、小田原藩→神奈川県、山梨郡→山梨県など
甲斐国は、徳川幕府の天領であったため藩の制度はなく、明治政府誕生に功績がなかったので、上記の例のうちB.の取り扱いを受けて当時の甲斐国の中心であった甲府が属していた、当時の「山梨郡」をもって県名としたといわれています。
今年は、日曜日と重なってしまいましたが、平日の場合は、学校などは休みになるそうです。
最近はあまり使いませんが、中央高速は東名高速よりも渋滞が激しい気がします。
朝方、テレビのニュースに驚きました。
中央自動車道で秋篠宮妃・紀子さまや悠仁さまら6人の乗った車が追突する事故。
午前7時半すぎ、中央自動車道下り線で「乗用車の衝突事故があった」と通報がありました。
渋滞中の車列に乗用車が追突したということです。
なんと、この乗用車には秋篠宮妃・紀子さまや悠仁さまら6人が乗っていたということです。
プライベートで山登りに行く途中だったそうですが、幸い、紀子さまや悠仁さまにけがはありませんでした。
乗用車を運転していたのは宮内庁の職員だそうで、「渋滞に気付くのが遅れた」と。
これは洒落になりませんよ。
中央高速だけに、免許書替えの時には甲州(講習)が付き物ですから。
今朝は完全に寝坊して、気がつくとエンディングでした。
◇今戸焼 八代目三笑亭可楽
この可楽師匠のファンは多いんですね。
身延山の麓に住む母の妹(叔母)夫妻と東京に住む弟(叔父)が、偶然見舞いに来てくれて、久しぶりの姉弟会になりました。
叔母夫妻は身延線で身延から富士まで、叔父は高速バスで東京から富士まで。
これに実家の伯父(長兄)を入れて、母は4人兄弟ですが、この3人は大変仲良しです。
85歳の母、84歳の叔父(叔母の旦那さん)、81歳の叔母、79歳の叔父。
何度か従兄弟たちと一緒に、ドライブや旅行に行ったものです。
昼下がりのひととき、母の部屋は賑やかな笑い声で溢れました。
東京の叔父は、いつも私の落語を聴きに来てくれる し、身延の叔母夫妻は、老人会で「鰍沢」をやらせてもらいましたから、私の落語徘徊の理解者でもあります。
とても嬉しそうな母でした。
この噺は師匠の創作です。
師匠は、こんなコメントをされています。
平成19年7月13日の第538回 三越落語会は〈三越劇場 創立80周年記念〉の公演で、 創業の祖三井八郎右衛門を称えて越後屋のアイデア商法の一つ〈三井の貸し傘〉を取り上げて創作落語にして、高座にかけました。
あたしは落語の演者であり作者でもあることを自負しておりますので、三越から創作の注文いただいて、その感激も一入です。
既成の落語では甚五郎物の[三井の大黒]が有名ですが、この創作には甚五郎は登場しません。
そして、越後屋の主は登場しますが、主には越後屋を語らせず、他の店(日向屋)の主と小僧に、越後屋の素晴らしさを語らせました。
このほうが、三井家や越後屋の教えが解り易く聞き手に伝わるのではないかと思ったからです。
三越劇場の記念公演のために創作されたという生い立ちの噺ですから、師匠も多くはお演りになっていないようです。
師匠の創作では、「救いの腕」「藪中の蕎麦」「揺れるとき」「高座の徳利」を持ちネタにして いますので、この噺が5作目になります。
この噺では、ストーリーは勿論ですが、人の台詞を人らしく語ることを課題(目標)に取り組もうと思いました。
細かい台詞は覚えずに、その場(高座)で自分の引き出しにある言葉を使うことになります。
だから、稽古らしい稽古が出来ていないのかもしれません。
師匠の原作のストーリーをご紹介します。
私のは、それを基に、かなりスリムな内容にしていますが。
日向屋の主は小僧の定吉を共に越後屋へ買い物に行ったが、降りだした雨にそこで三井の貸し傘を二本借りた。
その傘には〈井桁に三〉の三井家の紋が入っている。
帰り道、主は〈三井の紋の由来〉〈店前(みせさき)現金掛け値なし〉〈小裂も売る〉〈越後屋にないものはない〉、そして〈貸し傘〉などを絶賛して、「作ってよし、売ってよし、買ってよしの三方が揃って、初めて世間よしに繋がる」と定吉に語った。
定吉は、五年前の雨の日、破れ傘一本で勘当された若旦那のことを褒め、ちゃちを入れちゃぁ返事をしながら着いてきた。
その途中、八幡さまの庇の下に傘なしで雨宿りの娘(なみ)を見つけて、三井の貸し傘の一本を貸してやる。そして「越後屋さんへ返してくれればいいさ」と名も告げずに立ち去った。
翌日、なみは越後屋へその傘を返しに行って、貸してくれた人の名を「神田田町の日向屋」と教えてもらった。
その翌日、なみは用足しのあと、傘のお礼にと日向屋に向ったが、またも降りだした雨に、八幡さまの庇の下で雨宿り。
すると、若者が「入りませんか」と三井の貸し傘を差し掛けてきた。
なみは躊躇したが、昨日と同じ三井の貸し傘になにかの縁だと思い、入れてもらって歩き出した。
若者に昨日の傘のことを話して「日向屋へお礼に行くところです」と言う。
ところが、歩いているうちになみは差し込みがきたのか、脇腹を抑えてしゃがみ込んでしまった。
若者はなみを負ぶって淡路町のなみの長屋へ送ることにした。長屋には寝たきりの母親が一人いると言う。
なみを届け、横にさせた若者は知り合いの医者を呼んで、自腹を切って手当てをさせた。これがきっかけで、若者と医者がちょいちょい見舞いに顔を出すようになり、親子は全快した。
ある日、若者が見舞うと、なみが一人。
母親は近くへ用足しに出掛けたと言う。
なみから親子の秘密を聞かされた。
「実は、あたしは三つのとき、八幡さまに捨てられ、ここのおっかさんとおとっつぁんに拾われたんです。おとっつぁんは二年前に亡くなりました。二人はあたしの命の恩人なんです」
「そうでしたか……」
こんな会話があって、二人はなにか近付くものを感じ出した。
それから、ふた月後。
日向屋に越後屋の旦那がやってきた。
「今日はあたしのほうから日向屋さんへお返しするものがありまして」
越後屋は表に待たしている若者を呼び入れた。
日向屋の倅、陽之助である。
越後屋は話を続けた。
「五年前。雨の日でした。用足しの戻り道、八幡さまのところで破れ傘を一本抱えて震えている男を見つけました。勘当されたそうです。なんとかしてやろうと、日本橋は人目につくので出店へ置きました。よく働きました。それに、よく商いの道を学んでくれました。今ではどこへ出しても恥ずかしくないでしょう。いかがです。日向屋さん。受け取っていただけますかな。この日向屋のあとを継がせてやってくださいな」
「……、受け取ります……」
「もう一つ。差し上げたいものがございましてな」
越後屋は表に待たしているという女を呼び入れた。なみである。
越後屋はなみのこと、そして、なみと陽之助とのことを語り、二人を夫婦にすることを勧めた。
なみは改めて日向屋に挨拶をした。
「越後屋さんの貸し傘の縁がずーっと続いて、おっかさんまで助けてもらいました。陽之助さんの嫁になって尽くしたいと思います」
日向屋が言った。
「なみさんや。この陽の助は途轍もない道楽者でした。雨の日、唐傘一本でこの家から叩き出された男なんだよ。それでもいいのかい?」
「はい。その傘を相合傘にいたします」
・・・・人の心を語りたいと思います。
いつものとおり電車に乗って帰宅途中。
南千住駅まで来たところで、「綾瀬駅で人身事故があり、当駅で運転休止します」との車内放送。
慌てず騒がず、振替輸送も無視して、ひたすらそのまま座席に座って運転再開を待ちます。
待つ間、YouTubeで、NHKの「超落語入門」を視聴しました。
落語を映像化した番組です。
結局、放送3回分を視聴するはめになってしまいました。
「粗忽長屋」「時そば」「お菊の皿」「目黒の秋刀魚」「転失気」「粗忽の釘」・・・。
時そばでは、箸を左手に持って食べているのが、とても違和感がありました。
それに、長屋にへりのついた畳というのも・・・?
この番組、期待しましたが、あんまり参考になりそうにありません。
電車は73分遅れて運転再開しました。
やれやれ・・・
私は二人兄妹です。
妹は1歳違いです。
外見や性格は全く違っています。
彼女は、ちょうど1年ぐらい前から、インスタグラムで、知っている歌のレコードジャケットの写真を毎日1曲ずつアップしています。
・・・ということは、350曲以上がアップされているということ。
これに反応して、「いいね!」のコメントする人も多くいて、かなり盛んなようです。
身贔屓も含めてではありますが、なかなか壮観です。
特に、私が高校を卒業するまでは、同じ環境で、テレビを中心に聴いていましたから、知っている歌も、かなり被ります。
アイドル、フォーク、ニューミュージック、グループサウンズ、演歌。
いろいろです。
性格は正反対ですが、私はブログ、妹はインスタ。
似たようなものです。
ある上方の噺家さんのブログで見つけました。
知人から教えてもらった「アマチュア落語家(本人は社会人落語家と記してる)」のブログでの「料金表」。
1席3万円。別途交通費。座布団・見台持参の場合、別途2万円。
5万円と交通費が出るんだったら、上方落語協会に電話してみて下さい。若手ならプロが2人行きますよ・・・。
へえぇぇぇ、そうなんだ。
「伊豆マラソン」は、文字通り伊豆で行われているスポーツイベントで、10回目の開催が予定されていましたが・・・。
来年2月に予定していた第10回大会が中止することになったそうです。
出場者が数千人規模に増え、ランナーや観戦者の安全を確保できないためだということです。
この大会は当初の約700人から第9回の今年は約4千人がエントリー。
大会規模が大きくなる一方、悪天候時の対応や傷病者が出た際の救護態勢が十分でないと判断し、中止を決めたそうです。
最近の健康ブーム、マラソンブームは物凄い。
何事につけても、適切な規模・身の丈というものはあるものです。
無理して開催して、一般の方々に大きな影響が出たり、事故が起こったりするのは、こういう町興しイベントでは絶対に避けなければいけません。
「伊豆マラソン」と聞いて、私の好きな「伊豆の雨」という演歌を思い出しました。
♪宿の番傘 二人でさして ・・・・
愛し合っても どうにもならぬ 恋の辛さよ 切なさよ♪
今秋のちょっと贅沢。
日本橋で、豚しゃぶなんぞを食しました。
三元豚というやつで、豚のしゃぶしゃぶは食べたことがありませんでしたが、実に美味でした。
料理が美味しいと話も弾みます。
デザートは、さくらんぼのジェラードでした。
知人と、時間を忘れて楽しみました。
「ダイバーシティ(多様性)」の時代です。
自分にとって当たり前(常識・快適)のことが、誰かにとっては不思議(異様・不快)に感じられることがあるものです。
例えば、私の会社のすぐ近くに「霞ヶ関ビル」があります。
私(の世代)にとっては、恐らく知らない人の方が珍しいでしょう。
ところが、そんな近くにあるビルのことを、40歳代から下の社員は全く知りません。
食事をする際の、ご飯茶碗、味噌汁椀、惣菜を置く位置を知らない若者も多くいます。
新聞を読んでいたら、そばの茹で汁を飲む彼氏を「受け入れられそうにない」と、そばを茹でた汁を「そば湯」として飲む習慣を知らない女性が書いたブログが、インターネット上で波紋を広げているそうです。
彼女にとっては、蕎麦を茹でて余った湯を飲むなんて、百年の恋も冷めるという訳。
曰く、「育ってきた環境の違いなのか、そばの茹で汁を飲む人をはじめてみた。そば湯だからと言うのだけど、茹で汁ごときを健康に良いといって平然と飲む姿を受け入れら れそうにない」・・・・。
一方で、一口飲めば職人の腕が分かるともいわれる「そば湯」。
専門店ならば必ずと言っていいほど出てくるものだけに、ネット上では「そば湯を知らない人がいるのか」と驚く声もあるようで。
・・・そりゃぁ、知らないかもしれません。
知らない人もいるでしょう。
だからと言って、「そば湯を知らないなんて・・・」と言うのも。
「玉子かけご飯」だって、お行儀が悪いって言うところだってあるんですから。
私だって、そば湯のことは知っていますが、和食、洋食、その他で、その独特のルールやマナーを全て知っている訳ではありませんから。
でも、彼は可哀想でしたね。
そば湯を飲む風習は信州から江戸に広まったと言われています。
もともとそばはバランスのとれた栄養食。
なかでもそば粉に含まれる植物性蛋白質はとても良質なことで知られていますが、水に溶けやすくその半分近くがゆで汁に流れ出てしまいます。
せっかくの栄養をムダにしないよう、生活の知恵として口にしたのがそもそもの始まり。
この蛋白質は二日酔いに効果があり、高血圧による血栓予防が期待されるルチン、またビタミン、ミネラルも多量に含まれています。
・・・ということです。
立川志の輔さんがパーソナリティーを務める「志の輔ラジオ 落語DEデート」放送500回を迎えるそうです。
文化放送の過去の遺産の音源を中心に、故人の噺家さんを聴く番組です。
私は、ゲストとのトークはほとんど聴いていません。
志の輔さんは記者会見で、
バブルのころは落語の「ら」の字も見向きもされなかったけど、どんどん時代が落語に近づいてきてくれた。
世の中が閉塞感に包まれる今、フッと落語に耳を傾けるとホッとするという人が増えた。
日本人の本来の良さも思い出してくれる。
古典落語の誕生した江戸時代には、携帯電話もパソコンもない。
目の前にいる人間としか話をできないので、相手への気遣いやおせじ、怒りなど豊かな感情を共有できた。
そんな(感情の行き交いがいっぱいの)古典落語は、ノーベル文学賞ものだと思う。
それを受け継いでいけることの幸せを感じている。
・・・と飽くなき落語愛を熱く語ったということです。
落語がノーベル文学賞・・・。
「ノルウェーの森」よりも、「待乳山聖天の森」の方が、日本らしくていいじゃないですか?
「雪国」より「雪とん」、「伊豆の踊り子」より「王子の狐」でしょう。
大相撲九州場所2日目、昨年九州場所6日目から続いていた満員御礼が86日間で途切れたそうです。
今年は1月の初場所から5場所連続で初日から千秋楽まで15日間満員御礼を記録していたのですが・・・。
もともと九州場所は例年集客に苦しんでいるようです。
過去には3代目若乃花、貴乃花の兄弟らが活躍していた頃には666日間連続の満員御礼だった例がありますが、まだまだ人気完全復活ではないのでしょうか。
ホッケの開きが大好物です。
ちょっと塩味が利いて、脂が乗って・・・、涎が出てしまいます。
これから12月にかけては、サケと並んで北海道の代表的な魚ともいえる「ホッケ」の産卵が最も活発な時期となるそうです。
ホッケは、漢字では「魚」偏に「花」と書くそうです(𩸽)。
成長にしたがって、アオボッケ、ロウソクボッケ、マボッケ、ネボッケと呼び名が変わるようです。
鮮度が落ちやすいため、流通や冷凍技術が発達していない時期にほとんど食用とされませんでしたが、北海道近海でニシンが獲れなくなると、代替品として需要が急増しました。
大衆魚なんですね。
いつも、須らく開きになっている姿しか見ないのですが、写真で見ると・・ややグロテスクな感じです。
今日は「七五三」。
7歳、5歳、3歳の子どもの成長を祝う日本の年中行事。
天和元年11月15日(1681年12月24日)に館林城主である徳川徳松(江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったとされる説が有力だそうです。
現在では、全国で子供の成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事ですが、元来は関東圏における地方風俗でした。
旧暦の15日は、かつては二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされていました。
また、旧暦の11月は収穫を終え、実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになったということです。
現在は「七五三」という名称から、その年齢にやる同じ行事のように捉えられていますが、実際には、それぞれの年齢で行う別々の異なった行事だそうです。
数え年3歳(満年齢2歳になる年)を「髪置きの儀」とし、主に女の子が行う。
江戸時代は、3歳までは髪を剃る習慣があったため、それを終了する儀。
数え年5歳(満年齢4歳になる年)を「袴儀」とし、男の子が行う。
男子が袴を着用し始める儀。
数え年7歳(満年齢6歳になる年)を「帯解きの儀」とし、女の子が行う。
女子が幅の広い大人と同じ帯を結び始める儀。
3歳は髪を伸ばす「髪置(かみおき)」、5歳は初めて袴をつける「袴着(はかまぎ)」、7歳は、それまでの紐付きの着物に代わって、本仕立ての着物と丸帯という大人の装いをする「帯解(おびとき)・紐落(ひもおとし)」の名残りである。
・・・へえぇぇぇ、そうなんだ。
落語には、初天神はありますが、七五三は出て来ません。
七五三の儀式は、セレブな層でなければ出来なかったのかもしれません。
昨日(11月14日)は、「世界糖尿病デー」だったそうです。
「世界糖尿病デー」は、世界に拡がる糖尿病の脅威に対応するために、1991年にIDF(国際糖尿病連合)とWHO(世界保健機関)が制定し、2006年12月20日に国連総会において「糖尿病の全世界的脅威を認知する決議(UN Resolution 61/225)」が加盟192ヶ国の全会一致で採択されると同時に、国連により公式に認定されました。
11月14日は、インスリンを発見したカナダのバンティング博士の誕生日であり、糖尿病治療に画期的な発見に敬意を表し、この日を糖尿病デーとして顕彰しています。
・・・だそうです。
最近、低糖食品が多く出回るようになりました。
コンビにでも、低糖、低カロリー、高食物繊維を謳う商品が増えています。
私などは大歓迎です。
昨日は、砂糖・糖質ゼロという、夢のようなチョコレートとビスケットを買ってしまいました。
これがなかなか美味なんです。
ゼロ・コーラやお茶、ブラックコーヒーを飲みながら、低糖パンにサラダ、チーズ、肉、魚、お酒は焼酎かウイスキー、そしてデザートには、ゼロ・チョコやゼロ・ビスケット。
十分満足出来ます。
とにかく健康が大切です。
健康のためなら命も要りません。
【落語は「笑点」だけにあらず】という産経新聞の見出しがありました。
私に言わせると、「落語は笑点だけにあらず」ではなく、「笑点は落語にあらず」なんですが。
来春真打に昇進する鈴々舎馬るこさんに関する「爆笑ルートでまずは5合目」という記事でした。
大きな体に、豊かな表情、独特のくすぐり、ユニークな落語解釈で熱烈なファンが多いのが、来年春に真打ち昇進が決まっている鈴々舎馬るこ(36)。
「自分は爆笑落語だと思っている。それに合ったネタをやりたい。いろいろとやって、残る噺は2割。
ただ、やれといわれてやるが、自分らしい演出の噺しか残らない」と、自分にも厳しい。
来年春に予定されている真打ち披露でも、一番自分に合った噺をやりたいと考える。
だから、今の時期はその追い込みで、どの噺をやるのか選択し続けている。
落語家にとって、真打ち昇進はよく「スタートライン」といわれる。
「自分では真打ちは区切りではあるが、そこが目標ではない」という。
「周りは楽しみにしているが、問題は、そこに残れるかどうか。(真打ちになって)寄席に出ることができるかどうか」
言葉にうるさいという師匠の鈴々舎馬風からは、前座、二ツ目の時代は「仕事というな」と、厳しく教え込まれた。
「仕事じゃねえぞ。仕事でお金をもらっているんじゃない。お手伝いなんだ」と。
入門するときに「厳しい師匠を選ぼう」と、馬風師匠を選んだ。
「師匠選びも芸のうち」と、よく言われるその師匠選びは「間違っていなかった」という。
馬るこも師匠に負けずに、一見怖そうで、普段は無口だから取っつきにくそう。
それが高座では、急にはじけて、表情が豊かになり、過激に、そして明るくなる。
平成25年に、二ツ目にとって大きな賞であるNHK新人落語大賞を受賞した。
その後1年間は仕事はさばくのも大変なくらい多かった。
早朝、東京・葛飾の小学校で2時間しゃべり、その後、神奈川の江ノ島で独演会。
さらに、横浜・中華街でのパーティーで30分。そして、新宿の深夜寄席で高座という日もあった。
そのころは年間700席をこなした。
「入ってくるお金も多かったが、出るお金も多かった。とっとけばよかった」と、仲間内でも気っぷの良さでも知られる。今でも来た仕事は「何でも断らない」。
生まれは山口県防府市。心の原風景だという。
地元では月に1度のペースで落語会を行っている。
それもすべて自身で開拓した落語会だ。
噺への取り組み方は誰にも負けない。
「教わった通りの落語をそのままやっていたら、辛い。登場人物の了見になる。考えて
、考えることで、自分のオリジナルのギャグが生まれる」と、噺を突き詰めていく。
それを高座にかける。
だから馬るこの高座は若い人に受ける。
「まだ落語では登山に例えると5合目にも行っていない。自分で“爆笑ルート”を見つけて、それに登りたい。全部登って、初めて名人」と、解説する。
その落語の山についても、「頂上は見えないほうがいい」と。
「名人は 上手の坂を ひと上り」ですね。
確かに、こういうことだってありますよ。
朝日新聞朝刊の1面にライバル紙のシンボルが載るという珍事が発生。
いつものように「朝日新聞」を手に取った人は?・・・
読んでいるのは「産経新聞」じゃないよな?
1面トップの朝日新聞と書かれた題字の下に、フジサンケイグループのシンボル「目玉マーク」が。
単純に、サンケイグループ会社の広告だったようですが。
私の大学の同期が、大手自動車メーカーに入社しました。
当然、プライベートでもそのメーカーの車に乗るのでしょうが、彼は他社に好きな車があり、暫く乗り続けたと聞いています。
勿論、会社の駐車場には乗り入れらず・・・、苦労したようです。
日本人と言うのは律儀です。
自分の会社の系列や親密な取引先の商品を、品質や性能に眼をつぶっても買わないといけない。
そういえば、私も、電気関係やPCなどはH社、車はT社、ビールやお酒はS社、デパートはT、保険はN社・・・。
あたりまえでした。
最近では、かなり緩くなっては来ましたが。
最近、連日のように、高齢者運転の車が暴走したり、高速道路を逆走したりする事故が起こっているようです。
ご本人たちも、「自分はまだまだ大丈夫」「他に移動手段がないから」ということで、免許を返上せずに運転を続けているケースが多いようです。
私にも他人事とは思えず、母も、83歳で倒れる日まで運転をしていました。
田舎の伯父も85歳になって、84歳の叔父は眼が不自由になって、最近免許を返上しました。
公的交通機関を充実させようにも、過疎化で採算が合わず、近くのスーパーなどが撤退
したりで、大変悩ましい。
こういう点からも、自動運転技術が必要になるのかもしれません。
これも、高度成長の歪なんでしょう。
ニュージーランド南島でマグニチュード7.8の地震が発生し、首相が「少なくとも2人が死亡した」と発表したそうです。
被害が少ないことを祈りますが、思えば、東日本大震災の年も、1ヶ月ぐらい前にニュージーランドで地震があったので、それも心配です。
いやはや、陽・昇さんと小円歌さんまでは意識があったのですが・・・。
◇天災 春風亭一朝
"一朝懸命"の高座が、途中から意識不明になりました。
11月13日はうるしの日。
文徳(もんとく)天皇の第一皇子惟喬(これたか)親王が京都・嵐山の法輪寺に参篭し、虚空蔵菩薩からうるしの製法、漆器の製造法を伝授されたのがこの日であるとされていることから、1985(昭和60)年に日本漆工協会が制定。
日本の伝統文化であるうるしの美しさを今一度見直して日本の心を呼び戻すことを目的にしています。
・・・だそうです。
うるし・・?あぁぁ、痒くなりそう・・・
寝過ごしました。
今日はゆっくりしたい。
◇紫壇楼古木 八代目林家正蔵
最近の落語ブームでは、こういう類の噺は受けない気がします。
短歌でのやりとりが素敵な噺です。
今の東京に四人しか居ないと言う時代になってしまいました。
それがラオ屋キセル屋さんです。
キセルを使うより紙巻きタバコになってしまいました。
紙巻きと違ってキセルは持ち方によって味わいが出てきます。
ラオ屋さんは箱を背負っていて、箱の三面に「ラオ屋キセル」と書かれていた。
字の読めない人もいるので箱の上に、鋸や才槌、万力、小刀などを飾り、竹の先に大きな雁首を掲げて看板としていた。
「ラオ屋ァ~~、キセルゥ」と声掛けながらやって来た。
ある御宅で声が掛かり、銀のキセルの掃除を頼まれた。
降ろした箱から小さな腰掛けを出して、どっかり腰を下ろし、仕事に取りかかります。
今戸焼きの小さな火鉢を取り出し、その中にタドンがいけてあります。
熱くなっている灰の中に雁首を入れ、ジュージューヤニが溶け出したのを見計らい、取り出してボロ切れでラオを巻いて雁首は樫で出来た万力に挟んで回すと外れる。
吸い口も同じように外す。雁首と吸い口を掃除し、サイズの合った新しいラオを暖め雁首にはめ込み、吸い口もはめ込み才槌でキツく一体化する。
接合部の漏れを確認するため、火皿を指で押さえ吸い口から2.3回パッパっと吸って「ハイ出来ました」とお女中に渡した。
御新造さんに、「汚たな爺が吸い口を吸ったから、お湯をかけてきます」とご注進におよんだ。
「そんなに汚い爺さんなの」、「汚な国から汚いを広めにきたようなお爺さんです。ウソだとお思いだったら、窓の下にいますからご覧なさい」、「本当にねェ~」。
それを聞いていたラオ屋さん、スラスラと筆をとって、女中に手渡した。
それを見た御新造さん、いい手だと誉めておいて、読むと、
「牛若の御子孫なるか御新造が我をむさしと思い給ふは」
「私がね、爺さんのこと『むさい』と言ったので、牛若になぞらえて詠んだもので、見事なもんだわ」。
御新造も墨を擦って返歌を詠んだ。
それを見た古木もいい手だと誉めておいて、読むと、
「弁慶と見たはひが目か背に負いし鋸もあり才槌もあり」
「わしの道具に引っかけたのは上手いものだ」と、その即詠に感じ、また返したのが、
「弁慶にあらねど腕の万力は、きせるの首をぬくばかりなり ふるき」。
それを見た御新造さん、”ふるき”の署名を見てびっくり。
ただのラオ屋さんでなく狂歌の大宗匠だとビックリ。このまま返すのは失礼であるからと、陽気が寒くなってきたことだし、亭主のための綿入れの羽織を着て貰おうと女中に持たせた。
追いかけて、古木に渡そうとすると、丁重にお礼を述べ、「御新造によろしく伝えてくれ」と伝言し、
「羽織を着ていなくても、この荷さえ有ればなぁ充分、『(売り声で)はおりやァ~~、きてェ~るゥ』」。
・・・やはり、こういう手の噺は、今の時代ではなかなか受けないでしょうね。
アメリカ大統領選挙の結果が物議をかもしています。
今回のこの混乱で、一番罪が重いのは、ジャーナリストとアナリストだと思います。
ひたすら「トランプは当選しない」「トランプが当選したらマーケットが大暴落する」と、知ったかぶりに解説していました。
結局、自分たちの調査や分析が拙く、見事に予想が外れてしまいました。
これを彼らは「想定外」だと言い訳をします。
尤も、想いが至らなかったと言うのですから、真実を把握出来なかったと白状しているということでしょう。
完全に、大衆やマスを見下して、その心理が分からなかった。
こんな仕事なら、誰でも出来ると思います。
イギリスのEU離脱の国民投票でもそうでした。
真実を把握して報道や分析が出来ない人たちは要りません。
「際者(キワモノ)」が台頭して席巻する時の風を感じて、全体を語ることが出来なくては。
一方、結果に納得出来ない人たちが抗議デモをするのもおかしい。
民主主義というのはそういうものです。
まず結果は受入れないと。
それが「民意」なんですから。
今日は「皮膚の日」だそうです。
日本臨床皮膚科学会が19891989年に11月12日を「いいひふ(いい皮膚)の日」に制定したんだそうです。
ちょうど空気が乾燥して、肌トラブルが起きやすいこの季節。
私も苦しんでいます。
なかなかかゆみと肌荒れが改善しません。
楽しい会が終わり、同じ方向の同期と2人で、表参道駅に向かいます。
私の頭の中は、「アビーロードの街」でいっぱい。
https://www.youtube.com/watch?v=44gcd1snkO0
♪あの日の君は 傘さして 青山通り歩いてた
君は雨の中 ちょうど今日みたいな日だった
・・・地下鉄駅まで 歩く道 青山通り雨通り♪
次の同期会は、5月26日(金)ということです。
シンガー・ソングライターで女優のりりィさんが肺がんで亡くなったそうです。
享年64歳。
1972年に歌手デビュー。
74年には、ハスキーな声で歌う「私は泣いています」が大ヒット。
私は、ほとんど馴染みがありませんが、唯一「私は泣いています」のことでちょっと・・・。
この歌は「私は泣いています ベッドの上で・・・」で始まります。
初めて聴いた時、ハスキーな声と同時に、詩と曲が別の歌と重なりました。
小川知子さんのヒット曲で「別れてよかった」という歌と似ていると思いました。
「私は泣いてない 泣いてなどいない・・・」の部分です。
・・・こういうパターンは良くあります。
もう一つ、「知床旅情」を初めて聴いた時、「早春賦」と同じメロディだと思いました。
「知床の岬に・・」と「春は名のみの・・・」が、同じではないかと。
どうでも良いことですが。
昨夜、久しぶりに上野駅のアトレのレストランに行きました。
ハンバーグが有名なチェーン店です。
席につくと、メニューが変わっていました。
(6月に店舗もリニューアルしたようです。)
いつもの人気メニューのハンバーグをオーダーしようとししましたが、信じられないことに、サラダがメニューに載っていません。
私は、ハンバーグの単品にサラダというのが定番で、ライスやパンはオーダーしません。
ところが、サラダは、ライス・スープとセットでオプションで付いているだけ。
今まで、高級からそれなりまで、多くのレストランに行きましたが、サラダを単品でオーダーできない店なんて・・。
さすがに、「サラダの単品はないんですか?」と訊ねました。
セットでは付いているんだから、食材がないはずはありません。
すると、最近入ったばかりという若い店員さんが、困惑顔で「ちょっと確認して来ます」と言い、その返事が
「サラダだけなら380円でお出しします」との答え。
結局、そのサラダをオーダーしましたが、どうも納得が行きません。
会社全体のホームページを見ると、ほら、メニューにサラダも載っています。
「そうか、野菜が高いから・・・」とも思いましたが・・・。
今まで、気軽に何度も通った店ですが。
最近のボケの進行が情けなくて。
何かやっていて、その途中に浮かんだことを考えていると、今までやろうとしていたことを忘れてしまう。
同時に複数のことが考えられなくなっています。
昨夜の帰宅途中、駅を出た時に、前日「明日の帰りに買って帰ろう」と思っていた物があったことを思い出しました。
「そうだ、買わなくっちゃぁ」と思いましたが、「あれっ?何を買うんだったっけ?」
「ボールペン・・はこの間買ったし、実家で使う電池・・も買った。整髪料は買い置きがある」
「あれは・・、これは・・、本も・・・」
・・・全く思い浮かびません。
「仕方がない。そのうち思い出すだろう」と帰宅。
家について、洗面所に入って・・・「あっ!そうだ、思い出した!」
そろそろ、例年冬に常用するポンプタイプの「うがい薬」を準備しようと、前日思ったんです。
前日と同じ場所に戻って、やっと思い出しました。
今夜買って帰るのを忘れたら・・、重症ですね。
抱かれている俺は間違いなく俺だけど、抱いている俺は一体誰なんだろう・・・。
とうとう新大統領にトランプさんが選ばれてしまいました。
大衆心理とは凄まじいものです。
Trump Triumphです。
「長崎の赤(強)飯」ですね。
江戸の古い慣用表現で、突拍子もないことを言うと「長崎から赤飯(こわめし)が来る」などと言いました。
即ち、想定外のこと(が起こる)という意味ですから。
史上最悪の候補者と市場最低の候補者の一騎打ち。
皮肉にも、今回ほど俗っぽく注目された選挙もなかった気がします。
インターネットでも、開票速報が始まっていますが、プロ野球やサッカーの速報を見ているような雰囲気です。
野次馬的な興味本位はともかく、結果によっては世界中に影響が出て来ますから・・・。
http://www3.nhk.or.jp/news/special/2016-presidential-election/kihon.html#square1minute
アメリカの大統領選挙の仕組みは、どうも分かりづらい・・。
とても、とても、とても嬉しいことがありました。
先日、落研のブログで、蕎麦屋さんへの出前の記事を読んで、「もしや」と、直接お店にメールで問い合わせてみました。
http://www.k4.dion.ne.jp/~tokiwa28/
https://www.facebook.com/sobadokoro.tokiwa/
突然のメールで失礼いたします。
貴店は、東北大学落語研究部がいつもお世話になっている「そば処登喜和」さんでしょうか?
実は、私は、東北大学落語研究部のOBです。
お尋ねしたいのは、昔、私が学生だった頃、国分町に「登喜和」というお店があり、親しくさせていただきました。
確か店長さん(若旦那)が鈴木さんと仰ったと記憶しているのですが、その「登喜和」さんとご関係がおありなのでしょうか?
・・・すると、昨日返信メールがありました。
(乱志)様のおっしゃる通りです。
現在、太白区泉崎で「そば処登喜和」を営んでおります。
その当時の若旦那は現在社長で、私が若旦那になります。
落研の皆様には、今でも「蕎麦会」の時に寄席をして頂いております。
そばと落語は切っても切り離せないもの。
学生さん達の発表の場として、役立っているのであれば幸いです。
やはり、やはりこの店の社長はあの店の若旦那だった!
本当に懐かしく思います。
現役時代、落研の同期たちと飲んだ後の二次会で、偶然この店を見つけて、何気なく入りました。
その後、女将さんはじめお店の方々に温かく接していただいて、頻繁にお邪魔するようになりました。
女将さん(若旦那のお母さん?)やAさんという女性のスタッフには、可愛がっていただきました。
若旦那は、厨房にいらっしゃることが多かったようですが、時々店内に出られてお喋りさせていただきました。
年齢もほとんどせ同じぐらいでしたから。
私は、大学を卒業して社会人になっても、仙台に配属されたので、同僚や上司を連れて、度々お邪魔しました。
・・・昔と今がやっと繋がりました。
大人たちは、何か勘違いしていると思います。
野菜の価格高騰により今年度中に2日間の給食を中止するとした某市教育委員会。
中止への批判が多いことに加え、市教委が市長に相談せず中止を決めたことが理由で中止するのを中止することにしたそうです。
市長が知っていたかどうか以前に、批判されて当たり前でしょう。
子どもを育てる、教育をするというのは、国の義務です。
給食というのは、その重要なポイントです。
子どもは国の宝。
2日間止めるだけで問題が解決するのなら、他の経費を削ってでも、自分たちが食べなくても子どもたちに食べさせるのが人の道というものでしょう。
こんなこと、落語国では与太郎だって分かっていることです。
どこかに視察(旅行)に行く金やら、無駄遣いしている金はジャプジャブあるはずです。
順番が違うと思いますね。
河北新報の記事です。
我が落研の現役部員とOBの活躍の様子。
文化の日の3日、塩釜市のそば店「すずき」で、落語と新そばを楽しむ会(河北高野新聞店主催)が開かれ、約20人が来場した。
東北大学友会落語研究部の女子学生2人と、同大OBで仙台市の落語サークルで活躍する「桂友楽」こと大友健弘さんの3人が出演。振り袖姿の女子学生2人と、大友さんの熱演に、会場は大いに盛り上がった。
落語終了後、新そばが振る舞われ、参加者は香り高いそばを味わった。
・・・蕎麦屋さんで落語なんて、いいですね。
たけの子さんの高座の写真ですが、得意の「たけのこ」でもやっているのかな?
大友さんというのは、OBの御三家の一人「桂友楽」師匠です。
本当に頭が下がります。
某大学の学長が、高校時代の同じクラスの同級生だったり、母校の高校の校長先生が落研の後輩だったり、
昨日、ラジオ寄席を聴こうと早めにTBSラジオにチューニングしたら、売れっ子になった車浮代さん
(実は、かつて落語っ子連で一緒に師匠から稽古をつけていただいた三流亭まど絵さん)
が出演していたり、「あぁぁ、みんな各界で活躍しているなぁ、それに比べて・・・」、情けない我が身を嘆くことが重なりました。(他人と比べても仕方がないことですが・・。)
今日、落研のブログを見ると、現役部員の皆さんが出前落語で「そば会」に参加した記事がありました。
仙台市内のある蕎麦屋さんで、定期的に「そば会」というのが催され、そこで一席やらせていただいているようなのですが、店の名前を見て・・・、あれ?まさか?と思いました。
現役時代、落研の部会・稽古を終えて、同期5人で稲荷小路あたりで飲んで、酒を飲み始めたら止まらない、多趣味亭狂楽さんと多趣味亭こり生さんと宝亭六方さんが、国分町から大町に向かう通りにある飲み屋さんを見つけました。
それをきっかけに、何かと言えばその店に行くようになり、店の人とも親しくなりました。
中でも、「ばあや」などと呼ばせていただいたおばさんは、私が仙台を離れる時、駅のホームにおにぎりを持って見送りに来てくれたり、怪我で長期入院した後輩の金研亭志ん昼さんの面倒を見てくれたり、狂楽さんと六方さんの結婚披露宴に来てくれたり・・・、大変お世話になりました。
蕎麦屋さんがその飲み屋さんと同じ名前なんです。
私たちと同年輩の若旦那がいて、その人の苗字が、蕎麦屋さんの店主さんと同じですし。
蕎麦屋のHPの店主さんの写真を見ると、何となくその若旦那に似ていて・・・。
思わず、店のお問い合わせに「お尋ね」とメールしてみました。
まだ返信はありませんが、あの店の若旦那のような気がして。
違っていたらごめんなさい。
もしそうだったら、物凄い縁を感じます。
今度仙台に行く時には、必ず顔を出さないと・・・。
http://tohokuochiken.blog56.fc2.com/blog-entry-495.html
昨日、神宮外苑で開催されていたイベントで火災が発生して、幼児が犠牲になるという痛ましい事故が起こりました。
火災のあった作品を作製した学生が通う大学の学長が、記者会見で「このような事故が起きましたこと、大学として深くおわび申し上げます。将来のあるお子さんの命が奪われたことには、本当に慚愧の念に堪えません」と謝罪していました。
テレビの画面を見て、学長の名前に見覚えがあります。
・・ん?何となく顔にも見覚えがある・・。
もしかすると、高校の同級生で、1年生の時同じクラスだった・・!
恐らく間違いありません。
卒業してから、全く交流はありませんが、随分立派になったんだなぁと。
背が大きくてヒョロッとしていて、勉強もスポーツも優秀でした。
「ソロ充」と言われる人がいるそうです。
一人で楽しむことができる人のこと。
リア充、キョロ充からの派生語でソロ(一人)が充実しているさま。
別名「おひとりさま」「一匹狼」。
友人を誘うのが面倒、人といると気を使う、相手のペースに合わせるのがしんどい、などというタイプの人に多い。
自由気ままに過ごすことができ、あくまで本人は楽しんでいるので本人的には「ぼっち」ではない。
私もそうかもしれません。
そうか、一人ぼっちじゃないんだ。
自宅から最も近くで開催されている落語会。
松戸駅のすぐ近く、東口会館という、こじんまりした公民館。
以前あった「竹扇」と言う飲み屋さんのお客さんたちが、地元出身の雷門小助六さんを贔屓にして続いている落語会です。
「竹扇」という店は、数年前に大将が亡くなって閉店しましたが、この落語会はずっと続いています。
ご贔屓の中に、Hさんと言う先輩がいらっしゃり、毎回声をかけてくださいます。
最初の頃、まだ小助六さんが二つ目だった頃には、数回聴きに行きましたが、最近はご無沙汰していました。
何年かぶりにお邪魔しました。
◇道灌 春雨や晴太
◇蜘蛛駕籠 雷門小助六
◇尻餅 春風亭柳好
◇木乃伊取り 雷門小助六
毎回のことながら、会場はご贔屓で満員です。
高座の幕も、真打昇進の時に贈ったものでしょう。
本格的な後援会です。
噺家さん冥利に尽きるでしょう。
毎回のゲストも充実していて、色物のボンボンブラザースのお二人も入って、楽しい会でした。
今日は思い切り朝寝をしようと。
それでもラジオはONにしてあったので、夢の中で聴いていました。
「あぁ、今朝は圓蔵師匠だ・・・」。
◇幇間腹 橘家圓蔵
・・・・考えてみると、橘家圓蔵という名跡は、三遊亭圓生の前名だったのですが。
三遊亭圓窓→橘家圓蔵→三遊亭圓生の順。
圓生はどうなるんだろう・・・・。
ところで、私のスマホでは、「幇間」は、「ほうかん」でも「たいこもち」でも出て来ません。
この単語も、絶滅寸前なのかもしれません。
谷村新司さんの作品で「英雄」という楽曲があります。
こんなフレーズがあります。
「歴史の頂に一人立つ寂しさを、誰か抱き締めて・・・」
「寂しさを捨てきれたなら英雄になる」
権力者は孤独だそうです。
今、某国の元首がピンチに立たされています。
記者会見は、とてもトップにいる人のものではありません。
人としてはともかく、トップが見せてはいけない姿だったような気がします。
残念ながら、完全にレイムダック状態です。
落語国には、みんな寄ってたかって、寂しい英雄はいません。
≪英雄≫ 作詞・作曲:谷村新司
嵐の丘には黒い影だけ 右手にかかげたサーベル見つめて
虚栄も名誉も何もいらない 求めるはただ真実それだけ
ルビーの赤のワイン口に含めば 英雄達の哀しみが聞こえ始める
歴史の頂上に 一人立つ寂しさを 誰か抱きしめて 抱きしめて
誰が私を英雄と決めた
風雲流れる 空に呼ばれて 寂しさを捨てきれたなら英雄になる
あるツイートで見つけた写真。
横書きの文や単語は、左右どちら側から読むのか?
例えば、「落語(らくご)」と書いてあったら、左側から「らくご」と読みます。
ところが昔は、右側から「語落(ごくら)」と書いていました。
恐らく、日本語は縦書きで右側から左に改行して行きますから、必然だったのでしょう。
一方、欧米などでは横書きで左側から読みますから、戦後はそれに合わせたのでしょう。
そういう背景の中で、よく悩むのは、トラックなどの側面に書いてある文や単語です。
クルマの左側は、素直に自然に、左側(進行方向から)「らくご」と読めるのですが、右側は、そもそも「落語」と表示するのか、前方から読むために「語落」と表記するのか?
この写真も、「ヤマヤソース」が「スーソヤマヤ」、「トマトケチャップ」が「プッャチケトマト」・・。
何が何だか分かりません。
それじゃ、「YAMAYA」だって、「AYAMAY」って書かなけりゃ。
個人的には、後方側から読むことになっても、「ヤマヤソース」「トマトケチャップ」の方が良いと思います。
ところで、昔、何かのテレビ番組で、録音テープを反対に再生すると、「やまや」は「あやまい」と聞こえるって言っていました。
こんな落語本も刊行されているようで。
「落語に学ぶ大人の極意」は稲田和浩さんの著書。
友情やご近所付き合い、男女の交際から喧嘩・謝罪術まで。
江戸時代の庶民生活を描くなかで人々に教訓を語って聞かせた落語や講談から現代社会をしなやかに生き抜く知恵を学ぶ。
ただのマニュアルでは知りえない大人の流儀。
・・・ちょっと気にはなりますね。
桂やまとさんのツイートで知りました。
新宿末廣亭が70周年になるそうです。
70周年・・・、戦後を見て来た建物です。
末廣亭の歴史を調べてみました。
明治30年(1897年)創業。
元々は堀江亭という名前で営業していたものを明治43年(1910年)に名古屋の浪曲師の末広亭清風が買い取って末廣亭とした。
当時は現在地よりもやや南寄りの区画に立地していた。
大正10年(1921年)3月の新宿大火で類焼し、復興事業による区画整理で現在地に移転した。
そのころ経営の主体も末広亭清風の息子の秦弥之助に移る。
昭和7年(1932年)日本芸術協会発足に伴い落語定席になる。
昭和20年(1945年)第二次世界大戦により焼失したが再建を果たせず、戦前に下谷の竹町で寄席・六三亭を経営した経験がある北村銀太郎が、当時の落語界の重鎮だった五代目柳亭左楽の勧めで昭
和21年(1946年)3月に再建し、初代席亭と呼ばれる。
昭和26年(1951年)3月に株式会社新宿末廣亭設立。
昭和30年(1955年)に二階席を増設した。
北村席亭というのは知っていましたが、そういう経緯だったんだ。
このレトロな佇まいは、ずっと残していただきたいものです。
そりゃぁ、私だって「ポケモンGo」をやってますよ。
やってはいますが、こんなこと・・・信じられない。
大阪府内を走っていた観光バスの運転手が、運転中に「ポケモンGO」をしていたことがわかったというニュース。
岡山のバスや路面電車などを運行する会社が、外部からの指摘を受けてインターネットの動画投稿サイトの映像を調べたところ、バスの運転手が運転中にハンドルを動かしながらスマートフォンでポケモンGOの画面を操作している様子が映っていました。
観光バスの男性運転手が、大阪の伊丹空港で客を降ろして営業所に戻る途中、運転しながらポケモンGOをしていたと認めたということです。
プロ意識も、リスク感覚も、責任感も全くない、危険極まりない運転手は、市中引き回しの上、磔、獄門の刑でしょう。
運転手も会社も、詫びてすむ問題ではありません。
虎ノ門ヒルズが出来て、周辺の再開発が急速に進んでいます。
我がオフィスの隣の2区画も、いよいよ全ての既存ビルが閉館して取り壊されるようです。
この土日あたりが、ちょうど建物がクローズされ、テナントが転出するタイミングのようです。
上の写真のビルの1階には「大戸屋」があって、オフィス街では珍しく土日も営業していたのですが、シャッターが閉まっていました。
地図の外堀通りと桜田通りの交差点(虎ノ門交差点)の東南側に面した一帯で、「B街区」と書かれたところです。
かつては、都市銀行の支店、今までも2つのメガバンクの支店があった場所です。
ATMコーナーも間もなくクローズ。
このビルも「閉館」の紙が入口に掲示されていました。
角のビルのこの壁画(虎ノ門モザイクアート)も、「ポケモンGo」のポケストップになっていましたが、間もなく取り壊されることでしょう。
昨夜、上野駅の本屋さんで見つけた芸能評論家の矢野誠一さんの本。
2400円もしたのですが、買ってしまいました。
こんな紹介文がありました。
薀蓄の心地よさ
落語評論の第一人者としても知られる著者による、味わい深いエッセイ集。
2004年5月から16年3月まで、読売新聞夕刊に「落語のはなし」として足かけ12年にわたり好評連載されたものを、掲載順にまとめた。
落語が燦然と輝いていた時代、夏目漱石が『三四郎』で、三代目柳家小さんと「時を同じうして生きてゐる我々は大變な仕合せである」と述べたように、著者は古今亭志ん生、八代目桂文樂、三代目三遊亭金馬、三遊亭圓生、五代目柳家小さんらの一席一席を楽しむ機会に恵まれていた。
その体験を基にしながら書かれたエッセイはどれも読者を唸らせる。
噺家のさまざまな物語を中心に、戦争前後の落語界の変遷、演劇や俳句との関係など、落語国を重層的に織りなす内容で、気楽な雰囲気でありながら高質を保ちつつ、薀蓄とはこんなものかと読者を落語国の世界に誘ってくれる。
最終章、著者の親しかった噺家への追悼を集めた一章は、著者の評論に対する姿勢を感
じさせる、殊に秀逸な内容に溢れている。
随所に収められた唐仁原教久による挿絵も、読書の楽しみをいや増してくれる。
・・・じっくり読もうと思います。
実は、落語の本を買おうと思って行ったのではありません。
この本があるのを知って、孫2人にと思って行っただけなんです。
2人の喜ぶ顔が見たくて。
ところで、この本、とても面白いです。
最近のミーハーな落語本とは一味違います。
また、その季節になりました。
有楽町朝日ホールから、「朝日名人会」の通し券(抽選)申し込みの案内DMです。
落語徘徊を初めて2~3年は、プラチナチケットを購入して行ったり、抽選に申し込んだりもしたものです。
2度ほど当たって、毎月第3土曜日は「朝日名人会の日」になっていました。
その後、職場も変わり、故郷の両親にいろいろあったり、子どもたちが独立したり、結婚したり、孫が出来たりで、時間が取れなくなりました。
もう何年も行っていません。
そもそも、競争率の高いプラチナチケットの落語会で、最近はほとんど諦めています。
そう言えば、師匠が出演された時に、落研のレジェンドの麻雀亭駄楽師匠にくっついて、楽屋にお邪魔したことがありました。
あの時、楽屋に、歌丸師匠と権太楼師匠もいて、入口の廊下の近くで志の輔さんとプロデュースをされている京須さんが話をしていました。
昨日の近所の人たちとの話で、こんなことを聞きました。
小さな過疎の集落でも、恐らく何百年以上にわたって人が住んでいるのですが、集落の中には、誰のものかわからない、古びたお墓が何ヶ所もあります。
勿論、かつて住んでいた人(家)のお墓には間違いありませんが、出て行ったり、絶えたりで、いつの間にか無縁仏になってしまっているという訳です。
昔は、自分の家の周りに故人を弔っていたので、その家が空き家になれば、いずれ分からなくなってしまいます。
思えば、幼い頃、自分の先祖のお墓でもないのに、何ヶ所か墓参をしていました。
その都度、祖父母に聞いた記憶はありますが、私にとっては、遠い存在の人ですから、よく分かりませんでした。
きっと、祖父母や父母までは、いなくなっても最低限の墓守をしてあげていたのでしょう。
先月、和歌山に住んでいるという60歳ぐらいのご夫婦と息子さん一家が、「先祖がここの出身で、その場所を確かめに」と訪れたそうです。
近所のオバサンは、50年前に嫁いで来たのですが、勿論、その家のことは知りません。
なんでも、この方の曽祖父の頃に、ここから出て行ったとのこと。
恐らく、60歳で仕事をリタイアしたのを機に、先祖のことを調べようとされたのかもしれません。
近所の人は、何ヶ所かあるお墓に案内してみましたが、墓石の文字は読むことが出来なかったそうです。
「どれでもよろしいのをお見立て願います」とは言えませんし。
それでも、戸籍を遡って、確かに住所はここに間違いありません。
「この場所に、私のルーツがあることには間違いありませんので、はるばる訪ねて良かった」と、感慨深げに帰って行ったそうです。
小さな、字も読めなくなってしまった墓石にも、尊い歴史があることを、改めて実感しました。
つくづく、芸能人や芸人さんは大変なんだなぁと思います。
林家三平さんが、12月上旬予定の第1子が男児であることを明かし、6日放送の「笑点」を通じて男児の名前を一般公募すると発表したそうです。
待ち焦がれた長男の誕生・・。
我々なら、とことん一生懸命自分で考えるものです。
夫婦で考えたり、姓名判断の本を買ってきたり、偉い人に相談やお願いをしたり・・・。
お寺の和尚さんに相談すると長い名前になってしまいますが。
プライベートの大切なことですから、マスコミで公募するなんて、ちょっとねぇ・・と思いました。
何か、生まれて来る子がかわいそうな気がして。
赤ちゃんは芸人さんじゃないんだから。
名前が知られているから出来ること、あの海老名家だからやれること、林家一門だから気にしないのでしょう。
大切なプライバシーまで"商売道具"にして。
尤も、私小説家もそうか。
初代三平師匠は「海老名泰一郎」、三平さんは「海老名泰助」。
お兄さんの正蔵さんは「海老名 泰孝」。
いろいろと問題のお姉さんは「泰葉」。
海老名家は「泰」を付ける・・。
これって、海老で鯛を釣るというのの洒落ですか?
だとしたら、この方針は変えない方が良いでしょう。
でもねぇ、名前って、心を込めるものだから。
実家の周りの自然環境は最高です。
しかし、ポケモンは全く出て来ない。
こういう場所にたくさん出現してくれれば、賑やかになるのに。
川を挟んで、左側が山梨県で右が静岡県。
我が家(の場所)も、この画面に出ています。
左から4つ目の道沿いの四角が、恐らく我が家でしょう。
ドコモ ケータイ(iモード)が、11〜12月頃をめどに出荷終了されるそうです。
「iモード」は携帯電話からインターネットへアクセスするという当時としては画期的なサービスで1999年2月に開始。
当初は「F501i」のみが対応端末でしたが<サービス開始半年で100万人の利用者を超え、人気サービスとして定着しました。
私のiモード歴も17年になります。
発売された年に、仕事の必要性もあって使い始めました。
私は、「N501i」という、折りたたみ式の走りの機種でした。
今思うと、ディスプレイも小さく、緑色に発光するモノトーンの画面でした。
スピードや情報量などは、今とは雲泥の差がありますが、メールとカメラは重宝しました。
五街道雲助師匠が「紫綬褒章」を受賞されるそうです。
最近の円熟の高座から、実に相応しいと思います。
おめでとうございます
秋は、現役諸君も大忙し。
「川内寄席」の後は、恒例の「古典落語発表会」だそうです。
日時:11月19日(土) 13時30分開演
場所:片平キャンパスさくらホール
予約不要・入場無料
仙台の皆さん、是非ご来場ください。
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