解放感と手抜き
昨日の「大塚亭落語会」では、通常の大塚亭の発表会とは異なり、師匠はいらっしゃいませんでした。
大塚亭の皆さんは、師匠がいない"解放感"みたいなものがあったかもしれません。
むしろあって当然だと思います。
しかし、そこで大切なのは、解放感が高じて芸が"雑に"なっていなかったかということです。
大塚亭の皆さんがそうだったと思っているのではありません。
同じように師匠から指導していただいている私の目で見て、例えば仕草、例えばオチが雑になってはいなかったかと、振り返ることも必要でしょう。
以前、何年かぶりに「浜野矩随」の稽古をした時の師匠の第一声は「うん、噺は荒れていない。それでいい」でした。
慣れなどで緊張感が欠けて、師匠から教わったことを守らなかったり、手を抜いて雑になったりするものです。
私は、師匠に聴いていただいている「深川三流亭」「千早亭落語会」よりも、「お江戸あおば亭」の方が緊張します。
師匠のいない落語会で雑な高座を務めたら、「圓窓師匠に師事しているのに・・?」と、ご迷惑をかけてしまうことになりますから。
所詮、素人の楽しみなんだからと言われてしまうかもしれませんが・・・。
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