見られている
先日は、JR東海の新幹線の運転士が、フロントグラスに足を上げていた写真が暴露されて問題になりました。
今度は、JR東日本の運転士が、内房線と京葉線の通勤快速電車を運転中、靴を脱いで複数回あぐらをかいていたということがばれてしまいました。
運転士は「足がかゆかった」と説明しているそうです。
乗客からの指摘で発覚したようです。
行為そのものは、安全・安心を考えると言語道断で、弁解の余地も同情の余地もありません。
それはそれとして、最近は、仕事でもプライベートでも、常に誰かから、どこかから見られたり、映像などに記録されてしまう時代です。
犯罪捜査などには役立つ場合もありますが、常に「見られている」ことを意識して行動する必要がありそうです。
昔、田舎では、これまた「ご近所の眼」というのがあって、情報が漏れたり、犯罪などの抑止になっていましたが、これともちょっと異なる感覚です。
そう言えば、帰省した時にこんなことがありました。
両親には事前に言わずに実家に帰ったので留守でした。
家の中に一人で20分ほどいると、両親が戻って来ました。
聞けば、近所の人が、私が帰ってきたのを両親の出先に連絡してくれたそうで、それを聞いて、急いで戻って来たという・・・。
集落が、いわばファミリーのように、様々な協力や情報共有をして生活しているのです。
ですから、余所の人や見慣れない人やクルマなどが来ると、アナログなアンテナにキャッチされ、監視の眼が働きます。
これが田舎の良いところでしょう。
落語だと、「糊屋のばあさん」の役目かな?