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2016年9月 3日 (土)

人情噺のこと

pen京須偕充さんの一文を読みました。
桂歌丸さんのCD「塩原多助一代記(三遊亭圓朝作)」の上下2枚完成にことよせて、続き物・長編人情噺の復活口演が多く行われるようになった昨今について少しばかり感想を記しました。
厳密に言えば、人情噺の“復活”は今にはじまったことではないのです。
逆に見れば、この種の噺がメインストリームから外れたのは、百年を超える歴史的現実でもあったということなのです。
私が落語を熱心に聴き始めた1950年代なかば、人情噺に力を入れていた演者は五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生、八代目林家正蔵(のち彦六)の三人でした。
この三人に共通するのは「晩成の名人」です。
逆から見れば中年までは彼らの志向が時流から外れていたということでもあります。
地味だった芸人が急に輝き始めると「化けた」といわれるのが芸の世界ですが、人間はそう無闇に、また足並みをそろえて化けるものではありません。
一席物の人情噺、たとば「文七元結」などの地位は揺るがなかったものの、大圓朝他界の頃から続き物人情噺の上演は急速に少なくなっていたようです。
これは時流、とくに娯楽の多様化が爆発的に進行する中、悠長でストーリーが肥大化した人情噺は客席も演者も敬遠するようになっていたのです。
もう人情噺なんかやっても――。
大正から昭和戦前にトップクラスの座に昇った五代目三遊亭圓生、八代目桂文楽、三代目三遊亭金馬、六代目春風亭柳橋はそう言っていたそうです。
文楽のそんな発言は録音にも残っています。
昭和戦後になって「古典落語」尊重の流れが力を得て落語に文学的、演劇的な価値が求められるようになりました。
不遇の状況下にも人情噺を捨て切れなかった志ん生、圓生、正蔵の時代が来たのです。
三人はラジオで、のちにはレコードで、しきりに人情噺を演じ、続き物人情噺の要所の復活にも取り組みましたが、それは徹底した部分クローズアップ、つまりいいとこ取りだったのです。

・・・歴史は、やはり様々な力関係や流れやうねりに翻弄されたり、結果的に良かったという評価になったりですね。
しかし、残るべきものは、神様がしっかり残すようにしてくださるということなのかもしれません。

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