高座の湯呑み
やはり京須偕充さんの「来福」というサイトの一文です。
上野・鈴本演芸場の8月中席夜の部は恒例で柳家さん喬・柳家権太楼が交互にトリと仲入り前をつとめ、10日間のネタ出し(演目予告)もあって今年も盛況のようです。
権太楼さんがこのところ夏風邪をこじらせたようで咳に悩まされています。
途中だいぶ咳き込んだけれど「『子別れ』はよかった」とカメラマンの横井洋司さんが言って
いました。
8月4日の落語研究会でもだいぶ咳き込んだけれど近頃ご執心の「心眼」を手を抜かずに演じていました。
「心眼」といい「子別れ」といい、近年の権太楼さんは泣かせるネタにも力を入れています。
かつては笑いの権太楼、泣かせのさん喬がセールスポイントだったご両所の対比がそう単純なものではなくなってきたように思います。
ご両人それぞれに総合性の高い巨匠・大御所に近づいてきたということでしょうか。
咳がとまらなくなるような事態に備えてか、このところ権太楼さんは高座に湯呑みを用意しています。
いざとなれば白湯(さゆ)でのどを湿そうというわけですが、実のところ、それは咳どめのまじないのようなもので、当面、湯呑みに手を伸ばしてはいないようです。
それに権太楼さんは規則的な間拍子(まびょうし)でゆったり語り進める語り口ではないので、話しながら湯呑みを手にとって、口を湿して湯呑みを戻すという間合いがとりにくいのでしょう。
落語研究会での「心眼」のときもマクラで湯呑みを置く事情を述べた後、「圓生師匠のような話し方じゃありませんので」と客席を笑わせていました。
いま、湯呑みを高座で愛用しているのは柳家小三治さんぐらいでしょうか。
私の眼に残る“湯呑みの芸”も圓生さんばかりで、文楽、志ん生、金馬、三木助、小さんなど
などでは印象がありませんから、実は湯呑みは高座の必需品でもなんでもないのです。
高座に火鉢と鉄瓶があった時代の名残なのでしょう。
権太楼さんが早く湯呑みと縁が切れるよう願っています。
数年前に体調を崩したあと一段と芸が成熟し、泣かせの落語にも新境地を開きつつあう権太楼さん。
今回の咳き込み騒動から何がうまれるか?
湯呑みの湯を飲むことなんか、新境地でもなんでもありません。
・・・圓窓師匠も、高座に湯呑みを置くことが多いです。
でも、実際に手にすることはほとんどありません。
高座に湯呑みを置くというのは、落研時代はご法度でした。
「オレたちゃぁそんなに偉かぁねえ。生意気だ」ってなもの。
師匠に師事して間もない頃、稽古会で高座の湯呑みが話題になったことがありました。
師匠は、「偉い人や大看板だからとか、そんなことはない。喉の具合が悪くて心配なら、誰が置いたって構わない。遠慮は要らないよ」と仰いました。
その後、OB落語会だったかお江戸あおば亭だったか、「浜野矩随」を演った時に、湯呑みを置いたところ、先輩から「昔はねぇ・・・」なんて言われたことがありました。
湯呑みを置いても、実際に噺をしていて、湯呑みには手が出せません。
私は、「浜野矩随」では、母親が水を飲む場面で、その湯呑みを使ってみました。
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