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実家の仏壇には、必ず小さな箱入りのマッチが置いてあります。
マッチは普段ほとんど使わなくなりました。
それでも、全くなくなった訳ではありません。
家庭用マッチを製造しているメーカーもあります。
「桃」などの絵がデザインされたマッチ箱で知られる家庭向けマッチ製造の最大手「兼松日産農林」が、使い捨てライターの普及などで需要が落ち込んでいるため、マッチの製造から撤退するそうです。
兼松日産農林は、年間でおよそ10億本のマッチを製造する家庭向けマッチ製造の国内最大手だそうで、「桃」や「つばめ」などの絵がデザインされたマッチ箱で有名だそうです。
我が家のは「虎」の絵のデザインのマッチだったかな?
子どものころ、風呂を沸かしたり、理科の実験だったり、冬の焚火には、マッチが必需品でした。
自分でマッチを掏って、橙色の火が起こった時、ちょっと感動した記憶があります。
ヒトと他の動物の差は、言葉と火の扱いだと言われています。
火をつけることを容易にしたマッチの存在は、本当に大きいものだと思います。
昔、マッチ会社が冠になった美人コンテストがありました。
多くの出場者の中からグランプリに選ばれたのは、なぜかスタイルも顔も美しくない人でした。
「おい、このコンテストの選考基準はおかしいんじゃないか?」と尋ねられた審査委員長は、涼しい顔で答えました。
「いいえ、これでいいんです。このコンテストは"ミス・マッチ"ですから」・・・。
プロ野球の熱狂的なファンではありませんが。
今季限りで引退を表明しているDeNAの三浦大輔投手(42)が今季のチーム最終戦で先発。
引退試合(登板)でしたが、6回1/3を12安打10失点で降板。
プロ野球新記録の24年連続勝利はあげられませんでした。
10失点だったとは言え、7回まで投げたのは立派です。
引退試合だと、試合に影響のないところで、バッター1人にというパターンですから。
尤も、24年連続勝利がかかっていましたから。
デビューから23年連続勝利というのは、素晴らしい記録だと思います。
しかも、打撃では、24年連続安打という記録は作ったはずです。
記録もさることながら、記憶に残る選手だと思います。
昨夜は、JR根岸線のホームに、「番長よ永遠なれ」という、粋な表示もされたようで、球団の看板だったということです。
まだやれるのかもしれませんが、ここで引退を決意する潔さ、引き際の美しさもあったと思います。
最近は、どこの世界でも老害で、身を引いて後進に道を譲ろうなどという懐の深い人は少ないですから。
オリンピック関連の某団体の元首相なんて、典型的だと思います。
それでも、きっちりリーダーシップを発揮していればともかく、無責任極まりなく。
よくこんな人が首相を・・と思います。
もう一人、とんでもないボンボン首相もいましたね。
彼は逆に、自分の無責任発言が祟って途中で逃げ出した御仁。
家内のハングル語の先生から依頼の出前落語のこと。
1時間あまりの時間がいただけそうなので、前回と同様、2席考えたいと思います。
演目のリクエストは特にないそうですが、食事会をした後の高座ということで、キーワードを尋ねると、「12月の開催」「食べ物、飲み物」「中年の女性が多い」ことなどだそうです。
・・・となると、冬の噺で、食べたり飲んだりするシーンがあり、女性にも受けそうな噺ということですね。
私の持ちネタの引き出しをちょっと開けてみると・・・。
「一人酒盛」「二番煎じ」「藪中の蕎麦」は飲食シーンがあります。
「鰍沢」「二番煎じ」は真冬の噺。
「五百羅漢」「藪中の蕎麦」「文七元結」「厩火事」「浜野矩随」「牡丹燈籠」には女性が出て来る。
とりあえず「藪中の蕎麦」「二番煎じ」あたりを考えましょうか。
これなら噺もつかないでしょう。
こういう悩みも楽しいものです。
一昔前に、"メイクミラクル"という"名(迷)句"がありましたが、再び起こりました。
優勝へのマジックナンバーを「1」としていた日本ハムが、1試合を残して優勝を決めました。
先発登板した大谷翔平投手がわずか1安打に抑えて完封。
日本ハムはシーズン序盤は振るわず、6月下旬の時点で首位だったソフトバンクに最大11.5ゲームの差をつけられていましたが、見事に跳ね除けたという訳です。
それにしても、"二刀流"の大谷選手は素晴らしいと思います。
東北出身という個人的な親しみもありますが、何と言っても、あの清潔感がいいですね。
どの世界でもそうだと思いますが、それなりの成績やレベルの人でも、自分のこだわりや勘違いからか、髭面、長髪、茶髪、服装や格好等々、清潔感どころか、汚なさを感じる人が多い中で、清潔感が際立っています。
この"清潔感"というのは、人に見せる立場の人には重要なポイントになると思います。
大相撲でも、綺麗なお相撲さんは、勝ち負け以上に商品価値があると思います。
鍛えられた肉体が国技館の照明に映え、美しい所作や佇まいが土俵に花を咲かせる。
噺家さんも、"綺麗な噺家さん"がいいですね。
着物や全体の雰囲気、所作や声や言葉の美しさ。
「あぁ、良いものを見たな」と思うのも楽しみだと思いますし、日本の美だと思います。
日本人のメンタリティだと思うのです。
10月から、新しい落語番組が始まるそうです。
10月19日からスタートするNHK「超入門!落語 THE MOVIE」(水曜午後10時50分)。
初心者にも落語を楽しんでもらえるよう、噺家が演じる落語の音声に合わせ、俳優が口パクで芝居を演じる番組だそうです。
聴き手の頭の中にイメージを作ってもらうためには、演者に明確な舞台設定がないといけませんから、とりあえずこのビジュアルを参考に出来ると思います。
例えば、長屋の間取りだとか、花魁の装束だとか、お白州の様子だとか。
私は、落語は、単に台詞を覚えて語るのではなく、これらも含めた空間を表現するものだと思いますから、舞台や人物の距離感みたいなものが感じ取れれば、8割方は完成だと思います。
あくまでも参考として視れば、表現にも立体感が出て来るはず。
最近は、時代劇が少なくなってしまいましたから。
千早亭の稽古の後、ワッフルさんたちと歓談して帰ったので、帰宅したのは11時半過
ぎになりました。
リビングのテーブルの上に、白い封筒が置いてありました。
「いよいよ女房からの三行半か」と、慌てて封筒を見ました。
会話の少ない夫婦ですが、先日家内が、ポロッと「ハングル語の先生がまた演ってもらいたいと言ってたよ」と言ってた。
家内が通っているカルチャーセンターのハングル語の先生からの落語の依頼の手紙でした。
12月17日(土)午後、市民会館で、先生の講座の生徒さん(含む家内)たちとの会があり、そこで落語を演ってもらえないかと。
実は、ちょうど5年前の12月に演らせていただき、先生によれば「好評だったから、また」と。
たとえお世辞でも、人間が単純に出来ていますので、喜んでお引き受けしようと、メールしました。
(前略)
前回は、確か「子ほめ」という古典落語と、私が師事している師匠が創作した「救いの腕」を演らせていただいたと記憶しています。
今回、14時以降ということですが、時間はどの程度想定すればよろしいですか?
また、演目にリクエストがあれば、持ちネタが少ないので全てお応え出来ませんが、頑張って
演らせていただきます。
あるいは、何かテーマやキーワードをいただいて、それに沿って2席程度選ぶのも可能かと。
例えば、「怪談」「女性」「子ども」「食物(含む酒)」「人情(泣かせる)」等々・・・。
(後略)
思えば、平成23年の12月でした。
「子ほめ」と「救いの腕」を演りました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/12/post-2.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/12/post-149b.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/12/post-6e66-1.html
いずれにしても、声をかけていただける、しかも裏を返すことが出来るというのは、大変有難いことです。
さぁ、何を演りましょうか、考えるだけでも楽しい。
(。>0<。)甲子園球場の外野芝がボロボロ…。
芝が格子状にはげ、痛みが激しい部分では深い溝に。
ある歌手のコンサートが開催されており、そのステージの爪痕。
設置されていた間に雨が降り続いたため、芝がかなりのダメージを受けてしまった模様。
関係者は「ここまで(の被害は今まで)はなかった。グラウンドに溜っていた水はニオイがきつかった」と悲鳴。
甲子園では今日がヤクルト戦、30日と10月1日に巨人戦が組まれているそうですが・・・。
芝の張り替えは日程上行えないため、土や砂をまぶして応急措置をするそうです。
これはひどい!
選手が怪我でもしたら大変です。
「甲子園の外野芝、どうしちゃったんだ?」
「実は、甲子(きのえね→きのうね)、コンサートがあってね」
「甲子園(こう酷ぇえん)じゃ、暫く試合は出来そうにもねぇなぁ」
「関係者は、さぞや銀傘(辛酸)を舐める思いでしょう」
「やはり、無責任な主催者に浜風(は任せ)られねぇなぁ」
我が落研OBのマドンナ、バリバリの現役女流アマの杜の家くるみさん。
ご実家が仙台だということもあって、先日のOB落語会の会場に来てくださいました。
それならば、高座に上がってくれればよいのに・・との、オジサンたちの声しきり。
くるみさんは、「横浜市職員落語愛好会」に所属して、あの「にぎわい座」などで定期的に高座に上がっておられます。
10月には、関内ホールで「第70回落語の会」にご出演とのこと。
今回は、十八番の「初天神」をお演りになるそうです。
実は、ご主人も我が落研OBで、初の職場じゃなくて部内結婚のはずです。
なんでも、子育てに悩んでいた時に、落語を本格的に始めたそうで、とても明るくて優しい芸風です。
「南京玉すだれ」も特技です。
それにしても第70回というのは物凄い!
実は、触れようか、やめようか迷ったのですが・・・。
まずは、相模原の障害者施設での事件の犯人が言った言葉。
「障害者は不幸をつくることしかできません。障害者を殺害すれば日本のためになる。
」
そして、某アナウンサーの暴言。
「自業自得の人工透析患者なんて全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!」
さらに、某弁護士はこのようにのたもうています。
「一人で全部を演じる「落語」は本当に面白いのか?」
前2者は人権を無視したとんでもない発言ですが、それに負けない偏見と独断に満ちていて、呆れすぎて笑ってしまいました。
落語は、通常複数の登場人物を一人の噺家がすべて演じる。
この演じ分けがうまい人がいるのも確かで、それができる噺家が「名人」と呼ばれるのだろう。
しかし、落語という文化のあり方はさておき、「観客の理解」という点においては、確実に、登場人物一人一人の全てに、違う演者をあてがった方が分かりやすいのは確かである。
落語家がヘタな場合、一人で全部を演じられてしまうと、「今しゃべっているのは誰なのか」が分からなくなり、迷子になってしまう。
素人落語はその典型だ。
そして、どんなに演じ分けがうまい人であっても、登場人物が増えてゆくと、いずれ限界を迎えてしまう。
名人クラスの落語を見ていても、「あれ、これって誰だっけ?」と思わされる瞬間はある。
なぜ落語は一人の噺家に全てをやらせるという手法に固執しているのだろうか。
これは、筆者が長年抱いていた疑問であった。
一つには、登場人物の一人一人全てに違う演者をあてがうと、コストがかかる、という分かりやすい理由があるだろう。
演者の絶対数が増えれば、人件費が増える。
一人でやっても、複数でやっても時間(ネタ)が同じであれば、一人でやってもらった方が、
コストパフォーマンスは高い。
さらに、適切な役者を捜索・選考する手間(オーディション)や、役者(噺家)に話(ネタ)の内容を教え込む手間がかかるということもあろう。
それだけではない。
落語家は一人で全部をやるので、登場人物同士の会話の間とかも自由自在にできるのだが、違う人どうしでこれをきちんとやるとなると、事前に入念な稽古が必要になってくるのである。
これはこれで大変な手間だ。
もちろん、落語の台本は、そのまま芝居スタイルに転用できるようなものではない。
どうしても、複数人による芝居風に台詞を加除する必要がある。
そうすると脚本を作り直す手間も出てくる。
すると作り直した脚本をまた演者に説明しないといけないし、それをもとにまた稽古をしてもらって最適な間や立ち居振る舞いを探ってもらう必要が発生する。
落語を複数人で演じるとなると、こういう人件費だとか、演者間、あるいは演者と脚本の作り手との間のコミュニケーションのコストが増えるのである。
つまり、落語家とは監督と脚本と主演を全て兼ねた一人クリエイターなのである。
このうち一部を外注していくと、それに伴って種々のコストが増えてくるのは当然である。
手間も増えるわけだ。
ただこれは、あくまで「作り手が大変になる」という話でしかない。
手間がかかったり、制作が大変になるかたといって、それをやらず、その結果、作品がおもしろくなるのであれば、プロ(作り手)がその手間を厭ってサボっている、というだけに過ぎない。
制作コストが増えれば、利益を上げるために一人一人の客に払ってもらうお金もその分増えるかもしれないが、それはまた別の問題だ。
結局、落語というのは、作り手の手間を抑えてサボるための仕組みに過ぎないのではないか、と筆者には思えてならない。
伝統芸能だとか、話芸だ、とかいう主張もあろうが、それと観客から見ての「面白さ」とは無関係だ。
それとも、落語にはいわゆる「面白さ」「わかりやすさ」は求めてはいないのだろうか。
そもそも落語は今で言えばバラエティ番組やお笑いライブであり、大衆芸能である。
そんなはずはあるまい。
「この考えは間違いだ」という人は、是非「落語家が登場人物全てを一人で演じることでおもしろさの向上につながっている部分がある」という点を具体的に教えて欲しいものだ。
作り手にとってのメリットではなくて、客にとってのメリットを。
・・・ね、メチャクチャな論理です。
噺家さんの多くも、この文に触れて、暗に呆れています。
サッカーというスポーツは、手を使ってはいけないというルールがあるから、厳しいし、激しいし、面白いのだと思います。
コストパフォーマンスなどというレベルで語るものではありません。
3つとも、本当に悲しい・・・。
不忍池の蓮のこと。
蓮というのは、仏教で重用されています。
花も派手で、葉は大きく、あまり美しいという感じではありません。
不浄である泥の中から茎を伸ばし、清浄な花を咲かせるハスは、仏教が理想とする極楽浄土に最もふさわしい花とされています。
お寺の庭の池には、よくハス(蓮)が植えられていて、古くから神聖な存在とされている。
仏像は蓮華座と呼ばれるハスの花の台座に座り、ハスの花を挿した水差しを持つ仏像もあります。
香炉などの仏具もハスの花の形をしていますし、お供え物の砂糖菓子もハスの花の形をしたものがあります。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」といわれるように、池の底の汚れた泥の中から茎を伸ばし、美しい花を咲かせます。
その姿は、極楽浄土に咲くにふさわしい存在として尊ばれ、善と悪、清浄と不浄が混在する人間社会の中に、悟りの道を求める菩薩道にもたとえられているということですか。
その蓮が群生する不忍池で、周囲の迷惑も顧みず「ポケモンGo」に興ずる衆生たちは、愚かで罰当たりなのでしょうね。
まだ先のことですが、来秋、落語芸術協会の桂小南治さんが、三代目桂小南を襲名されるそうです。
27日の協会の役員会で正式決定の予定。
先代の小南師匠は1996年に亡くなっており、21年ぶりに大きな名跡が復活することになります。
師匠は、東京で上方落語を演じていましたから、芸風は全く違いますが、小柄な身体ながら、パワフルな噺家さんです。
先代の十八番の「菜刀息子」を江戸弁でお演りになるので、以前からマークしています。
http://konanji.la.coocan.jp/
紙切りの先代林家正楽師匠のご長男で、二楽さんのお兄さん。
本当に、本当に、どうでも良いくだらない話。
「ポケモンGo」のレベルが「25」になりました。
ただそれだけです。
女性には、いつまで経っても美しくいて欲しいものです。
我々の青春時代は、いわゆるアイドルの創生期だったかもしれません。
山口百恵、桜田淳子、キャンディーズ、ピンクレディ・・・・。
私も、ある女性歌手(女優さん?)に憧れました。
年齢は、ちょっと上なんですが、ブロマイド(これが古い)の売れ行きナンバーワンでした。
初めて自分の小遣いで買ったレコードは、この人の曲でした。
ファンだとか、好きなタイプだと言っても、ファンクラブに入ったり、追っかけをする訳でもなく。
当時はまだ、タレントさんは身近ではなく、田舎者にとっては別世界の人でした。
大人になったら、マスコミの仕事をして、彼女に会いに行くんだ・・なんて。
・・・あれから幾星霜・・・、彼女はこんな風になりました。
結婚して、離婚して、選挙に立候補したりもして・・・。
大々的ではありませんが、マイペースで芸能活動を続けているようです。
私の妹は、最近になって、亭主や家族公認で、当時好きだった某男性タレントの追っかけをしています。
聞けば、義弟も、私と同じこの女性タレントが好きだったとか。
しかも彼は、ファンクラブにも入っていたそうで・・・。
トップバッターのピーさんは、東京出身の現役2年生部員。
持ちネタは、今回ネタ下ろしの「しの字嫌い」を含めて3つだそうです。
この噺は、「し」と言ってしまうといけないので、かなり難しい噺だと思います。
圓生師匠の音源だそうです。
本人曰く「ツーアウト」だったそうです。
かなりプレッシャーもあったと思いますが、お客さまを掴み、会場を柔らかくしてくれました。
彼にアドバイスするとすれば、師匠がよく仰っているように、大きな声を出して演ることだと思います。
ちなみに、彼は、東大合格者が全国トップクラスの西日暮里にある名門進学高校の出身だそうです。
「どうしちゃったの?何故仙台に来ちゃったの?」。
我々の頃は、こういうパターンを「都落ち」と言いました。
「勉強嫌い」は「都落ち」。
「しの字嫌い」は・・・「途端オチ」かな?
都落ちをする人を「落人」と言いますが、落語を演る人も「落人」ではありませんか。
寄席文字展示会が空振りだったので、寄席に行こうかと上野広小路まで戻りました。
鈴本演芸場の前で、入るのをためらいました。
寄席に入ると帰りが夕方になってしまう。
今日は早めに帰って休みたい。
そうだ!
今回も牡丹燈籠が無事演り終えられたから、圓朝墓にお礼参りをしないといけない。
ついでに、不忍池から清水弁天堂、根津から谷中の三坂は、お露新三郎の噺の舞台にもなっているから、二人の純愛を偲びつつ、ここから歩いて全生庵まで行くことにしました。
不忍池端は、ポケモンを求める若者や家族連れたとウォーキングする高齢者グループと、スワンボートで語り合うカップルと、怪しげな輩たちで大賑わいです。
新三郎は、不忍池にほど近い根津の清水谷に住んでいました。
親から受け継いだ田畑や家作を持ち、その上がりで裕福に暮らしていたんです。
OB落語会から一夜明けて、何となく余韻に浸りながら、ずっと行かれなかった床屋へ。
「随分と間が空きましたね」とご主人。
「そうなんですよ。あせもがひどかったものだから」と。
髭まで当たってもらった後、地下鉄で竹橋駅へ。
いつもめくりを書いていただいている「H先生」が師事している春亭右之香先生門下の方々の寄席文字教室作品展が開かれているはず。
ところが、行ってみると、毎日新聞社1階の毎日文化センターは、建物全体がクローズしています。
案内ハガキを確かめると、「日曜休み」とありました。
うわあぁ、今日は開いていないんだ!
先生、申し訳ありません。
10月に、高井戸図書館にも展示されるそうですから、何とかお邪魔したいと思います。
やれやれ(>_<)
昨夜の心地よい疲れを感じつつ、蒲団の中で聴く落語
◇田楽食い 二代目三遊亭百生
江戸落語では、「うん回し」。
さて、今日はゆっくりしよう。
私の乗った「はやぶさ」は盛岡行きで、「こまち」の車両を連結していました。
8時02分上野発、9時30分仙台着。
何と1時間半かからない!
昔は、L特急「ひばり」で4時間20分でしたから、約3時間の短縮。
何と65%のスピードアップです。
さあ、間もなく仙台に到着です。
車窓からは、黄金色の稲穂が一面に広がっているのが見えます。
天気も上々。
そして、いよいよ仙台です。
広瀬川を渡り、左手は青葉山方面。
「ねずみ」で、左甚五郎が眺めたであろう景色です。
この橋を渡ると仙台の宿に入る感じですから、このあたりで卯之吉が客引きをしていたのでしょう。
随分変わっていますが。
仙台到着く。
いつもと同様、胸がわくわくします。
第2の故郷です。
発表会などで話題になるのは、会の長さです。
借りている会場の状況もあり、時間を気にする必要があります。
明日開催予定の「OB落語会」や「お江戸あおば亭」、「深川三流亭」でも、出演者各自の口演時間がポイントです。
概ね、20分から25分、長くて30分ぐらいでしょうか。
我々の拙い技量では、長時間お客さまを満足させられませんし。
私は、以前から先輩方に、「お前の噺は長い(暗い・つまらない)」という苦言をいただいているのは承知しています。
ところで、いつも拝見している柳家小袁治師匠のブログに、こんな一節がありました。
前日から楽屋の皆さんにお願いをして、10分ばかり時間を頂戴した。
これは、本日高座にかける「柳田格之進」が長いので、時間を提供してもらった次第だ。
これは、裏取引というか、楽屋サイドの友情関係ですな、恐縮している。
「柳田格之進」は45分もあったΣ(゜Д゜ノ)ノ おおぉぉぉぉ〜
あらかじめ10分頂いたので5分延びで昼の部は終演した。
これからお披露目の高座の飾りつけなんだから申し訳ない、5分くらいは許してくれそうだけどねぇ、文蔵さんごめんなさいッ!
鈴本の下席(昼)のトリを勤めていらっしゃるのですが、ご贔屓からリクエストされての長講「柳田・・・」。
出演される師匠方から少しずつ時間を削ってもらって・・・。
ということは、鈴本では、トリの持ち時間は30分ということですね。
メタボの話題です。
生活保護を受けている男性では、3人に1人がメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)で、喫煙者が4割以上いることが厚生労働省の調査で分かったそうです。
いずれも生活保護を受けていない男性より割合が高く、受給者は健康への関心が低いという結果。
厚労省の担当者は「食事が安くて高カロリーのジャンクフードなどに偏っているとみられる」としているようです。
2014年度にメタボ健診を受けた40歳以上の生活保護受給者約10万8千人の診断結果を分析。
メタボと診断されたのは男性が32・7%で女性が17・5%。
受給していない男性(21・0%)より10ポイント以上高く、女性は3倍近かった。
私はメタボを卒業していますが、なるほど、こういうこともあるんですね。
メタボリックではなく、メタボーショク(めた暴飲暴食)ですか。
「めた」というのは、方言だと思っていましたが、度を越えてはなはだしいさまを意味する副詞だそうで、正しいんですね。
むやみにとか、やたらにという意味ですよ。
「めったやたら」とも違うんですよね。
春と同様、秋にも七草がありますが、どんな草花なのか。
ハギ
キキョウ
クズ
フジバカマ
オミナエシ
オバナ(ススキ)
ナデシコ
秋の七草は、秋を彩る植物として親しまれています。
萩(ハギ)・桔梗(キキョウ)・葛(クズ)・藤袴(フジバカマ)・女郎花(オミナエシ)・尾花(オバナ)・撫子(ナデシコ)
これを見て思い出しました。
武士・鰹・大名小路・生鰯・茶店・紫・火消し・錦絵
ついでに、伊勢屋・稲荷に犬の糞・・・
もう秋ですね。
そうだ。
萩も七草のひとつなんですね。
大学のシンボルでもありますので、OB落語会の高座では、萩の模様の手拭いを使うことにしました。
秋の七草のオミナエシと言う花は「女郎花」と書きますが、語源にはいろいろな説があるようです。
オミナは女、エシはメシ(飯)がなまった言葉といわれています。
黄色いオミナエシを粟花(あわばな)、白い花の オトコエシ を米花(こめばな)と呼び、女郎花、男郎花の漢字に当てたという・・・。
二十四節気の秋分。
久しぶりに自宅でぼーッとしています。
だから、昼と夜の長さが同じだろうが違おうが、関係ありません。
稽古もしないといけないのですが、惰眠を貪っています。
天気も良くなさそうだし。
1960年、ローマでオリンピックが開催されました。
物心ついていなかった私は、ほとんど記憶がありません。
♪あ~ぁ ああぁ、あの日ローマで えぇ眺めた月がぁ♪
ローマは東京の前の開催地でした。
今度は、東京の後の2024年に立候補しているそうです。
ところが、ローマの市長は、「(開催準備に必要な費用の)負債を市民に押し付けることになり無責任だ」と述べ、立候補の取り下げを表明したそうです。
東京も、内外で様々なケチがついていますが、この決断は、十分あり、説得力があると思います。
利権の巣になって、巨額のコストがかかり、特定の国や都市でしか開催出来なくなってしまいますから。
時代も変わっていますから。
五代目古今亭志ん生、昭和48年9月21日、83歳にて没。
今から43年前。
私は、まだ落語のことは知らず、確かテレビのニュースで訃報を聞きましたが、「おじいさんの落語家が亡くなったぐらいでニュースになるんだ」程度の認識でした。
顔も怖いし、健在の頃の映像ですから、モノクロで不鮮明だったことが印象に残っています。
2年後、落研に入部して初めて、普通のおじいさんではないことを知りました。
私は、「ら抜き言葉」も大嫌いです。
「ら抜き言葉」のうち「見れる」「出れる」という表現を普段使う人の割合が、「見られる」「出られる」を使う人をわずかに上回ったことが、文化庁の国語に関する世論調査で分かったそうです。
「ら抜き言葉」については1995年度から5年に1回調査していますが、使用が多数派になる言葉が出たのは初めてだそうで、ゆゆしきことです。
一方、「食べられる」「来られる」「考えられる」の三つは「ら抜き」を使う人の方が少ないことも判明。「日本語を大切にしている」と78.5%が答えており、文化庁では「言葉の乱れが進んでいるわけではない」と話しているそうですが・・・。
・・・ところで、静岡弁は"ら抜き"では語れません。
「●●へ行くら?」「そうずら?」「今日は雨ずら」・・・。
夜間に車を運転していて、市街地ではほとんどロービームで走ります。
街外れの一本道でハイビームにすると、「うわぁ、良く見える」と思うことがよくあります。
歩行者が夜間に道路を横断中、車にはねられた昨年1年間の全国の死亡事故625件のうち、96%の車のライトがロービームだったそうです。
ハイビームを使っていれば防げた事故もかなりあると思います。
問題は、対向車の防眩対策でしょう。
高級車では、ハイビームにしても、光軸を正面でなく路側方にするなどしています。
提灯なら、こんな心配は要らないでしょう。
これからは、実物ではなく、映像を見て運転する時代になるでしょうから、高性能なカメラを搭載してあれば、ライトを点けなくても見えるということになるのでしょう。
私は、日本語と片言の落語しか出来ませんが、この英単語の意味は何となく分かります。
”terrible”の意味は、恐ろしい、怖い、ものすごい、ひどい・・。
いずれにしても、激しく良くない意味のはずです。
某運転免許センターで、高齢者の運転者のことを「Terrible Driver 」と表示していて、外国人から指摘されて、慌てて「Elder Driver」に変更したそうです。
高齢者の更新手続きは、講習が必要だったりして、一般の人より事務が増えるので、担当者の本音が出た?
「Terrible Staff」ですよ。
しかし、誰も疑問に思わなかったんでしょうか?
ところで、田舎で聞いた話ですが、高齢者がなかなか免許を返上しないので、実は関係者は困っているそうです。
田舎では車は必需品です。
高齢者は、自分が高齢者だと思っていませんから、返上なんて夢にも思わず。
しかし、現実には、高齢者の事故が増加中。
87歳になる伯父が、視力も落ちて来たので更新をしなかったところ、お礼を言われたと言っていました。
「痛車」・・、恥ずかしながら初めて知りました。
「つうしゃ」ではなく「いたしゃ」と読むそうです。
いたしゃ(あたしゃ)読み方も知りませんでした。
私は、「イタ車」なら知っていますよ。
フェラーリやアルファロメオなどのイタリア製の車のことで、車好きにはこの方が一般的だと思います。
要は、車体に漫画・アニメ・ゲームなどに関連するキャラクターやメーカーのロゴをかたどったステッカーを貼り付けたり、塗装を行うなどして装飾した車だそうです。
いわゆるおたく文化から発祥、アニメやゲームに対する個人のファン活動の一環として行われているもので、描かれるキャラクターは萌え絵の美少女キャラクターなど、平面上に描か
れた「2次元」などと俗称されるイラストをモチーフとしたものが代表的。
「萌車(もえしゃ)」とも呼ばれるそうです。
どうして「痛車」などというのでしようか?
「見ていて痛々しい車」という意味からきた俗語で、恥ずべき行いを「痛い」と表現する俗語に由来するそうです。
やはり、イタリア車を意味する「イタ車」の語感に掛けた洒落であるとも言われるそう。
面白いのは、同様の改造を施した原付やバイクは「痛単車(いたんしゃ)」、自転車は「痛チャリ(いたチャリ)」
と呼ばれるそうです。
きっと、洒落の分かる人が痛単車(言ったんじゃ)ないでしようか?
それじゃあ、厚化粧やパック好きな女性は、「痛女(いたじょ)」と呼ぶのでしょうが、随分大勢痛女(いたぞ)
私は今、「レベル24」です。
「ポケモンGO)」のレアポケモン「ミニリュウ」「ハクリュー」が高頻度で出現するといわれる上野恩賜公園内の不忍池で、これまでにも度々モラルに訴えかける掲示が行われてきましたが、ついに「当境内地(弁天堂)に於ける遊戯はやむを得ず全面禁止となりました」という掲示が貼り出されてしまったそうです。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2016/08/post-87b7.html
確かに、先月下旬の日曜日の朝早くも、こんな感じでした。
「ミニリュウ」と「ハクリュウ」なんて、大相撲の横綱の四股名のようなポケモンですが、私も捕まえました。
でも、不忍池ではありません。
気がついたら出て来ました。
蓮の花で有名な不忍池ですが、8月上旬ごろから「レアポケモンが出る」という情報が拡散。
一部では「ミニリュウの巣」とも呼ばれるようになったそうです。
昼夜を問わず数多くのポケモントレーナーが殺到したことにより、参拝道路上での遊戯や慰霊碑や堂内周辺での座り込み、飲酒、喫煙などの問題が発生し、そのたびに注意や呼びかけを行ってきたようですが・・・。
弁天堂の関係者によれば、全面禁止いに至るまでには・・。
モラルを持ってプレイしてほしい」とトレーナーに呼びかけてきたという弁天堂。
当初は全面禁止を考えていませんでした。
しかし、トレーナーたちはゲームに熱中するあまり、"不敬行為"に気付いていないどころか、注意を聞き入れないという状況が続きました。
その後も「場所をわきまえてプレイしてほしい」と、警備員の配置や拡声器による注意・呼びかけも続けてきましたが、あまりのトレーナーの数の多さに効果は薄く、参拝者からの苦情も相次いだため9月18日から弁天堂とその周辺の「遊戯全面禁止」を決断したとのこと(なお、弁天堂とその周辺から外れる箇所での禁止はされていません)。
一番の問題は老若男女を問わずトレーナーたちが「注意を聞き入れないこと」だったと言い、今回の決断はやむを得ないことだったそうです。
確かに、上野公園、就中不忍池畔は、多くの人が集まっています。
私も、通りがかりとは言え、その中の一人でした。
「撮り鉄」も問題になりましたが、度を過ごしてはいけません。
窓口さんは「紙入れ」。
稽古が終わって帰り道、千公さんだったか、「あの間男の雰囲気は、窓口さんの人生経験からですかねぇ」って、意味深な感想を言っていました。
週末の「千早亭落語会」で「千早亭竜太楼」として演る予定の「紙入れ」。
しかし、冷静に考えてみると、この浮気のおかみさんは大胆で、とんでもない女ですね。
こういうシチュエーションは、すぐにばれてしまうのではと思いますが、落語なんでしょうね。
何も知らない設定の亭主も、別に女がいたりして。
これも人間の業ですか?
今度、人生経験豊かな窓口さんに聞いてみよう。
千公さんは、子どもたちに聴かせると、持ちネタの「ぞろぞろ」。
いつも師匠から厳しいアドバイスを受ける千公さん。
今日は、台詞の語尾まで役になりきってしっかり話すことと、目線の高さでした。
前者は、私も何度も注意されました。
次の台詞や仕草に気を取られて、尻すぼみになってしまう。
これが癖になると、治すのが大変です。
それから、目線は、原因は、姿勢が反り返って顎を引いていないので、見下ろすような視線になるのと、前髪が眉を隠すほど垂れていることではないかと思います。
身体が反り返るのは、両手を膝に置いて肘を張るので、つっかい棒のようになって立ってしまうのではと。
落語は、髪を短く、顔全体が見えるようにすることが大事だと思います。
全ての登場人物を演じるのに、目立つものがあっては、聴き手の想像力を邪魔してしまいます。
最近の赤ちゃんのキラキラネームランキングというのがあって、1位は「碧空(みらん、あとむなど)」、2位「星凛(きらり、あかり)」、3位は「奏夢(りずむ、など)」。
親としては、「オンリーワンであってほしい」などと願って個性的な名前をつけるのかもしれませんが、中には、キラキラネームをつけたことを後悔している親もいるようです。
そりゃそうでしょう。
価値観や好みなんて変遷するものだし、流行るものこそ陳腐化しやすいものです。
落語も、一時期の新作落語は、サラリーマンなどを題材にして、身近なテーマや舞台設定のものばかりでしたが、すぐに陳腐化して、かえって古典や江戸時代が舞台になっている噺の方が、想像力を使って楽しめるので、急速に衰退しました。
産後のマタニティハイで子どもに「美楓(みはる)」という難解な読み方の名前をつけたが、周囲から「読めない」と言われたり、名前が原因で子どもがいじめられたため、改名をしたいという相談が寄せられているそう。
それでは、子どもにキラキラネームを付けて後悔している、という理由で、親がすぐに改名をすることができるのでしょうか?
いったん付けた名前を変更するのは簡単ではないようです。
名の変更に正当な理由があると家庭裁判所が判断した場合にしか、認められないそうです。
正当な理由の例としては・・・、
(1)戸籍の表記とは違う名(変更したい名前)を長年、『通名』として日常的に使っており、定着した通名に代わって、戸籍上の名の使用を強いることが酷である場合(永年使用のケース)
(2)名が珍奇・難解すぎる場合
・・・などが挙げられるそうで。
自らことの姓名は、後で困ったり、後悔したりしないようにしないと、付けられた本人が可哀想になってしまいます。
高座名も全く同様です。
帰省の支度をしながら。
今日は雨が降りそうです。
◇時そば 五代目柳家小さん
このゆったり感、まったり感が小さん師匠なんでしょうね。
今日は東京落語会。
プログラムは以下のとおり。
◇元犬 立川小談志
◇袈裟御前 春風亭鹿の子
◇やかんなめ 初音家左橋
◇春雨宿 昔昔亭桃太郎
仲入り
◇茄子娘 入船亭扇辰
◇淀五郎 三遊亭金馬
仕事の都合で、7時半頃にならないと行かれないので、仲入り後には間に合うでしょう。
口内炎は治まったものの、あせもがちっとも治りません。
胸板は赤くなって、顎の下の喉仏あたりはカサカサになってしまいました。
痛痒さと、見栄えも悪いので、病院へ行くことにしました。
会社近くの皮膚科で女医さんに診てもらいました。
「何でもっと早く来ないの」という雰囲気で、塗り薬(軟膏)を処方してくれました。
「痒み止めの飲み薬も用意しますか?」と言われましたが、それほど酷くないのと、お薬手帳が面倒くさいので、「いいです。要りません」と。
薬局でも、「お薬手帳はありません。薬は飲んでいません」と言って、軟膏だけもらって帰りました。
さすがに、市販薬とは違って、効き目は良いようです。
・・・顎の下のただれた皮膚は、「OB落語会」までには綺麗になりそうもありません。
あんまり見てくれが良くないのをお許しいただくしかありません。
あせもについては、「放っておいても治るのでは?」と考える方がおられるかもしれません。
たしかに、白いあせもなら自然に治るケースがほとんどですが、問題は赤いあせもの方です。
赤いあせもにかゆみはつきものなので、日中触らないよう気をつけても、睡眠中に無意識にかき壊すこともあります。
小さいお子さんの場合は注意をしても、つい気になってかいてしまうこともあるでしょう。
あせもをかき壊してやっかいなのは、指やつめに付着している黄色ブドウ球菌などが傷口から侵入して化膿したり、「とびひ」を引き起こすケースがあるからです。
とびひの水疱が破れて菌が他の部位へ移ると、そこにまた水疱ができて症状はどんどん悪化しますし、お子さんの場合、保育所や学校などの集団生活でほかの児童に移してしまうリスクもあります。
あせもができてかゆみなどの刺激が我慢できない場合は、キチンと治療を行って、できるだけ早く治すことを心がけましょう。
・・・赤いあせもだよなぁぁ。
大相撲で、「花筏」ならぬ「甚だ遺憾」なことが起こったそうです。
前相撲に引き続き行われた序ノ口の2番目に組まれた取組で、片方がわざと敗れる行為を3度も続けたという。
1度目は、立ち合い直後に自ら両手を土俵についた。
立ち合い不成立と見なされてやり直しとなると、次はついた手を離したと同時に、ヘッドスライディングのように前方に倒れ込んだ。
だが、これも認められなかった。
3度目は、後ろに倒れ尻もちをついたが、やはり不成立。
4度目は、こわごわと両手を前方に出しながらも立つと、相手に押しつぶされる形で両膝から落ちた。
ようやく勝負が決した。
これは「無気力相撲」?
相手が強いので怖気づいた?
このあたりは、「花筏」に似ています。
この言葉は、一般的に、猟奇的・暴力的で狂気に満ちたニュアンスで語られると思います。
そんな表現を、官庁が企業に対して使用するというのは、実に常軌を逸しています。
三菱自動車が燃費データの不正発覚後、社内で行った燃費の再測定について、担当者が
不正を認識しながら測定を続けていたことが、国土交通省の立ち入り検査の結果報告でわかった。
不正は対象の9車種のうち8車種に及び、国交省は「常軌を逸する事態」として厳しく指弾した。
三菱自の企業体質が改めて問われている。
この会社のトップのコメントもまた常軌を逸した情けない内容です。
「順法意識が欠けていたと切実に思う」と陳謝し、「社内教育で法を守る意識を徹底することが緊急の課題」と述べた。
「・・と思う」というのは、断定していませんから、本心・真実ではないということです。
「欠けていた」と言わないと。
「社内教育で法を守る意識を徹底することが緊急の課題」って、この会社は10年前からずっと課題なのに「緊急」というのも、これまた常軌を逸した感覚ではありませんか。
こんな会社、もう看板を下ろさせましょう。
こんな企業が日本にあることだけで情けない。
こんな会社要らない。
今日は中秋の名月、十五夜です。
秋雨前線の影響で雲が多くてすっきりしませんが・・。
中秋の名月は、毎年必ずしも満月になるわけではないそうです。
今年は今日が中秋の名月ですが、満月になるのは明後日。
2日後に満月になるのは9年ぶりのことだとか。
そもそも「中秋の名月」と「満月」は定義が違い、同じになることの方が少ないようです。
「中秋の名月」は、旧暦の8月15日の夕方に出る月をさします。
一方で、「満月」は地球から見て月と太陽が反対方向になった瞬間の月をさし、中秋の名月に比べ平均して0.8日遅れとなります。
ちなみに、中秋の名月が満月になるのは、2021年で5年後だそうです。
難しいですね。
そうか、「十五夜さん」か・・・。
上方落語の定席「天満天神繁昌亭」が、オープンから10周年を迎え、地元の天神橋筋商店街を落語家さんがにぎやかに練り歩いたそうです。
上方落語協会会長の桂文枝師匠が「あっという間の10年間。本当にありがとうございました」と挨拶した後、赤い人力車に乗り、お囃子などと隊列を組んで、繁昌亭まで約2キロを「お練り」。
大阪の落語定席は戦後姿を消してましたが、企業や市民からの寄付で2006年に約60年ぶりに復活したものです。
まだ一度も行っていませんが、寄席というのは、噺家さんのベースですから、ずっと続いて欲しいものです。
「弥次郎」という噺。
北海道は寒いから何でも凍る。
卵も凍ってしまうから、生卵を食べるときは卵を茹でて解凍してから生で食べる。
・・そりゃあ「ゆで卵」だと思ったり、いや生卵だと思ったり。
私は、こういう感性が大好きです。
落語の魅力にとりつかれたのも、このくすぐりが一因だと思うくらいのものです。
「抱かれている俺は確かに俺だけど、抱いている俺は一体誰だろう・・・」という世界感。
ということで、ゆで卵は鍋で、お湯で茹でているからゆで卵です。
ところが、なんと!魚焼きグリルでも、アルミホイルとキッチンペーパーを活用してゆで卵を作ることができるという・・。
1. 濡らしたキッチンペーパーで卵をくるみ、更にそれをアルミホイルでくるみます。
2. 魚焼きグリルに入れ、両面焼きタイプなら強火で約8〜9分、片面焼きタイプなら約10〜12分で完成です。
・・これ「ゆで卵」?
「(蒸し)焼き卵」ではないですか?
「焼き卵」ですよ。
勿論、「玉子焼き」ではありません。
「卵」と「玉子」の違いが分かりますか?
落語で芝居と言えば「成駒屋ぁ!」ですね。
「浮世床」の夢の場面でも、「音羽屋」でも「成田屋」でもなく、「成駒屋」ということになっています。
その「成駒屋」で、この度、大名跡「八代目中村芝翫」襲名披露興行を10月に控えた中村橋之助さんの、またまた週刊文春が不倫疑惑を報じているそうです。
確か、奥さんは、アイドルの三田寛子さんだったはず。
「ただただ私の不徳の致すところ」と何度も繰り返し、奥さんには「申し訳ない」と言葉を詰まらせていたそうです。
スクープされて、か成駒った(かなり困った)ことでしょう。
「梨園」は、不倫程度は日常茶飯事、隠し子がいる役者さんも多いようです。
「芸の肥やし」「男の甲斐性」というやつで。
一般の人ではすぐに「離縁」ということになるのでしょうが・・・。
そう言えば、離縁で思い出しましたが、これまた不倫報道で批判された、あの乙武さん。
とうとう離婚せざるをえなくなったようです。
この人も、随分な人でしたから。
有名人は大変ですね。
落語の方には、「さんぼう」と言いまして、これを演っていれば、お客さまからお叱りを受けない噺というのがあります。
「さんぽう」と言いましても「仏法僧」の「三宝」ではありません。
(「三宝」というのは、仏と、仏の説いた法と、仏法を行ずる僧または教団のこと。)
落語の「さんぼう」は、「けちん坊」に「つんぼ」に「泥棒」という・・・・。
そんなことはどうでも良いのですが、政務活動費の不正に関わる北陸の某市の市議会議員どもは、実に悪質な「泥棒集団」です。
それにしても、せこく悪質な奴等です。
領収書を偽造して、選挙資金やら遊興費やら・・・。
文書偽造、詐欺、背任、窃盗・・・犯罪です。
ばれてしまったので、議員辞職で逃げようとしています。
おかげで、議員に多くの欠員が出て、補欠選挙が行われることになります。
政務活動費の不正を巡る議会の補選なんて前代未聞、みっともないこと甚だしい。
こんな奴等を選んだ、こんな奴等が偉そうに振舞っている北陸の県庁所在地の某市のレベルはそんなものかと・・。
しかも、こいつらは、この夏、議員報酬の値上げをして、全国でトップクラスの水準になっているということですから、盗人猛々しいとはこのことでしょう。
さらに、この補欠選挙には1億円かかるそうです。
市議会議員全員に損害賠償してもらいましょう。
「鼠小僧」などが、庶民から愛されるのは、「義賊」だからです。
彼らは「偽族」ですから、これは到底許されないでしょう。
「夏バテ」じゃなくて「秋バテ」?
私は、「年中バテ」状態ですが、特に今は、顎と胸のあせもに悩まされています。
特に喉仏あたりの荒れ方が酷く、見た目にも醜くなっています。
ところで、先月下旬から台風の接近や上陸が相次いだことで、気温や気圧の変化が激しくなり、だるさや疲労感などの体調不良を訴える人が増加しているそうです。
体の冷えを防ぐなどの対策が必要だそうです。
夏から秋の体調に関するある意識調査によると、女性のおよそ半数の50.8%、男性の34.2%が、秋になって不調を抱えていることが分かったそうです。
秋になっても体調がすぐれない状態が続くのは「秋バテ」と呼ばれる症状だそうです。
先月下旬からだるさや疲労感、食欲不振などの体調不良を訴える人が増えているということ
で、
この背景には、台風の接近や上陸が相次いだことで気温の寒暖差や気圧の変化が激しくなり、体の温度調整をつかさどる自律神経のバランスを崩す人が多かったのからではないかと、専門家が言っています。
「秋バテ」の予防策としては、短時間でも効率よく体を温めることができる炭酸ガス入りの入浴剤を使って、ぬるめのお湯につかったり、蒸しタオルで目元を温めて血の巡りをよくしたりして、体の冷えを防ぐことが効果的だということです。
それでも暑い日もあるから、冷房しながら体を冷やさないようにしないといけない訳ですね。
・・あぁ、あせもが痛痒い・・・。
昨日は、扇子っ子連・千早亭の稽古日でした。
今月は、仕事が多忙で、夜の研修講師、大阪出張も頻繁ということで、平日の稽古にはどうしても参加出来ません。
「千早亭落語会」が24日に開催されますが、今回は「OB落語会」と重なってしまい
、出演出来ないこともあり、欠席しました。
扇子っ子連には、最近2名の新メンバーが増えたのですが、ご挨拶も出来ていません。
17日は、落研OB会の役員会と「学士会落語会」の例会なのですが、これまた大阪出張で行かれず、ますます諸先輩方に義理を欠いてしまいます。
24日は、仙台で「第25回OB落語会」です。
ここはしっかり「怪談牡丹燈籠」をやって来ようと思います。
実は、翌日も「落語の舞台を歩く会」なんですが、仙台のホテルが取れないのと、帰省するかもしれないので、日帰りの予定です。
昨日、仙台往復の切符を買いました。
落語っ子連・三流亭の「深川三流亭」の日程が決まっていません。
そろそろ固めなくては・・・と思うのですが。
そうだ、OB会報の「あおば亭」を作らないといけません。
今度の「OB落語会」が終わってから取り掛かることにします。
談亭志ん志会長が、11月26日に予定している「第11回お江戸あおば亭」への出演希望者が少ないので心配されているようです。
私は、「三井の貸し傘」か「五百羅漢」でエントリーしていますが、私も含めて、最近出演者が固定する傾向にあるので、何とか新顔に出演してもらいたいものです。
新しい噺にチャレンジしないといけません。
50席の目標まではまだまだ・・・。
「道灌」とか「十徳」とか・・・、前座噺にもチャレンジしてみようか・・・。
今年は、「明烏」「二番煎じ」「文七元結」という、難易度の高い噺にチャレンジしたので、少し疲れたかなぁ・・。
ところで、有難亭真仮名さんや深沢亭深女さんのブログ、最近更新されていない様子。
元気で頑張っているんだろうと思うのですが・・・。
色々思う、秋の夕暮れ・・・。
毎度台風の話題で恐れ入りますが・・・。
日本には影響なかろうと、記憶から消えようとしている台風が、とてつもなく大きいようです。
台風14号が、猛烈な勢力で台湾にかなり接近しているそうです。
中心気圧は何と890hPa、中心付近の最大瞬間風速は85メートル、最大風速は60メートルと、アメリカではいわゆる「スーパーハリケーン」と呼ばれるほどの勢力です。
台湾での被害が心配です。
台湾は中心に大荒れになっていて、南部にある西大武山ではこの半日で600ミリを超える大雨、玉山では38.5メートル、高雄市でも38メートルの最大瞬間風速を記録しているそうです。
この後、中国大陸に上陸する勢いですが、ここでもかなりの被害が出るでしょう。
先日の台風10号でも、岩手県や北海道に大被害をもたらした後、北朝鮮や中国東北部でも猛威をふるったようですが。
ところで、日本を含む北西太平洋・アジアでは台風風またはタイフーン(typhoon)と呼ばれていますが、アメリカなどの北中米ではハリケーン(hurricane)、その他の地域ではサイクロン(cyclone)と呼ばれるそうです。
一方、台風16号は、3連休頃に接近・上陸しそうです。
台湾の人たちは、「タイフーン(大変)だ!」と声をハリケーン(張り込ん)で叫んでいますが、台風は、「サイクロン(さぁ行くぞ)!」とばかり、近づいています。
先日は、JR東海の新幹線の運転士が、フロントグラスに足を上げていた写真が暴露されて問題になりました。
今度は、JR東日本の運転士が、内房線と京葉線の通勤快速電車を運転中、靴を脱いで複数回あぐらをかいていたということがばれてしまいました。
運転士は「足がかゆかった」と説明しているそうです。
乗客からの指摘で発覚したようです。
行為そのものは、安全・安心を考えると言語道断で、弁解の余地も同情の余地もありません。
それはそれとして、最近は、仕事でもプライベートでも、常に誰かから、どこかから見られたり、映像などに記録されてしまう時代です。
犯罪捜査などには役立つ場合もありますが、常に「見られている」ことを意識して行動する必要がありそうです。
昔、田舎では、これまた「ご近所の眼」というのがあって、情報が漏れたり、犯罪などの抑止になっていましたが、これともちょっと異なる感覚です。
そう言えば、帰省した時にこんなことがありました。
両親には事前に言わずに実家に帰ったので留守でした。
家の中に一人で20分ほどいると、両親が戻って来ました。
聞けば、近所の人が、私が帰ってきたのを両親の出先に連絡してくれたそうで、それを聞いて、急いで戻って来たという・・・。
集落が、いわばファミリーのように、様々な協力や情報共有をして生活しているのです。
ですから、余所の人や見慣れない人やクルマなどが来ると、アナログなアンテナにキャッチされ、監視の眼が働きます。
これが田舎の良いところでしょう。
落語だと、「糊屋のばあさん」の役目かな?
敬老の日を前に、100歳以上となる人の数が発表されました。
全国の100歳以上の高齢者が昨年より4124人増えて、過去最多の6万5692人。
うち女性が87.6%(5万7525人)。
46年連続の増加。
医療の進歩などが要因で、今後も増加が続くとみられる。
最高齢は男性が東京都大田区の方で、1904(明治37)年5月生まれの112歳。
女性は鹿児島県喜界町の方で、1900(明治33)年8月生まれの116歳。
女性は、祖母が同年7月生まれでしたから、同い年です。
人口10万人当たりの100歳以上の人数は全国で51.68人。
都道府県別では島根が96.25人で4年連続最多。
高知(87.93人)、鳥取(84.84人)と続いた。
少なかったのは、埼玉30.97人、愛知35.05人、千葉38.27人の順。
2015年の日本人の平均寿命は女性87.05歳、男性80.79歳だった。
今年度100歳を迎える人は3万1747人。
厚労省は100歳の記念に、純銀製の銀杯(約7600円)を贈ってきましたが、経費節減で、今年度から合金に銀メッキを施したもの(約3800円)に変えるそうです。
対象者が増え続けているため、税金の使い方をチェックする政府の行政事業レビューで昨年、抜本的改善を求められていたそうで。
と言うことは、半額になる訳ですね。
100歳のお祝いも値切られる時代は、良い時代でしょう。
・・・しかし、半分になったのに、銀倍(杯)とはこれいかに?
「猫怪談」では、「本卦還り(還暦)を過ぎて亡くなれば、おめでたいと言っても良い」という台詞があります。
それを考えると、日本人は、この100年あまりで、何十年も長生きになったということです。
100歳以上の方も、つい最近10000人を超えたと言われていましたが、もう66000人ですか・・・・。
100歳の人と往来で出会ったら、「100歳にしてはお若い、どうみても95歳」と言うのでしょうか。
もし「どう見ても百(厄)そこそこ」と言ったら叱られるでしょう。
「千段の石段が高すぎる、ジャワスマトラは南方で、私もこういうお子さんに蚊帳吊りたい、首吊りたい・・・」
そう言えば、こんな小噺がありました。
国内最高齢のおじいさんに、どんな女性が好みかと尋ねたら、「わしゃ、年上の人が好きじゃ」・・・。
某週刊誌の記事だそうです。
「金融リテラシー」最下位の山梨 理由は「無尽」の影響?
・・・という週刊朝日の記事。
ところい゛、その「リテラシー」って何?
最近は、横文字や横文字の短縮表現や業界用語の濫用が多くて、訳がわかりません。
①読み書き能力。また、与えられた材料から必要な情報を引き出し、活用する能力。応用力。
②コンピューターについての知識および利用能力。
③情報機器を利用して、膨大な情報の中から必要な情報を抜き出し、活用する能力。
この場合は、きっと①のことを指すのでしょう。
今、全国の地方銀行幹部から注目されている資料がある。
日本人のお金に関する知識や判断力を、初めて公的・大規模に調べた「金融リテラシー調査」だ。
結果を見ると、金融知識の高さや低さ、投資意欲の強さや弱さなど、お金にまつわる地域性が浮かび上がる。
(記事には、「金融トラブル」「貯蓄額」などの県別ランキング一覧表というのが載っているようです)
その調査で特に衝撃を与えたのが、山梨だ。
その理由を東日本の分析とともに見てみよう。
「都道府県別データが豊富で、地銀の営業戦略策定にも生かせる内容です。データの質と量ともに充実していて海外からも注目され、英訳作業を進めています」
こう胸を張るのは、日本銀行の川村憲章・金融知識普及グループ長。
地域の人口構成に合わせた18〜79歳の2万5千人を対象にしたネット調査で、「金融広報中央委員会」(日銀が事務局で、政府や自治体で組織)が6月に結果をまとめた。ねらいは日本人のお金の知識や意識をつかみ、今後の金融教育に生かすこと。
調査結果に一番驚いたのは山梨の金融関係者だろう。
「人生の3大費用は何か」「金利が上がると債券価格はどうなる」など、正誤問題の正答率が全国最下位。
おまけに、金融トラブルを経験した人の比率が全国で最高。
「金融知識が低いとトラブルにあいやすい」との傾向の典型例になった。
日銀甲府支店長の竹内淳氏は8月27日付山梨日日新聞のコラムで、「『意外性』の山梨」と題して調査結果について記している。
〈ところで日本一でもワーストは避けたい。日本銀行が6月に発表した『金融リテラシー調査』は意外な結果だった。(中略)詐欺などから自分や家族を守るために、金融リテラシーを高める必要がある〉
「甲州商人」で知られる山梨の金融知識が、どうして全国で最下位なのか。
日銀甲府支店に尋ねると「県民性なのかという話も当初はありましたが、分析できていません」という。
そこで、本誌は2人の県民性研究者とともに、調査結果の分析に着手した。
「綿密ですばらしい調査。眺めていると大変おもしろく、半日つぶれましたよ」
こう話すのは『出身県でわかる人の性格』の著者で、出版プロデューサーの岩中祥史氏。
山梨の知識の低さの背景には、当地で受け継がれる金銭の互助組織「無尽」があると指摘する。
「金融機関ではなく、地域や職場に広がる無尽の仲間を頼りにする意識があります。金融商品の知識がなくても、仲間の強いつながりでやっていける風土です」
確かに、山梨の消費者ローン利用者比率は全国で下から2番目。
では、なぜ金融トラブルが多いのか。
「普段は無尽頼みで金融知識が低いだけに、たまに金融機関などと接点を持つとトラブルになりやすいのかもしれません」(岩中氏)
調査した項目は、金融知識だけではない。株や投資信託を買ったことがあるかなど、投資に対する意欲や姿勢も幅広く聞いている。
たとえば、Q1「損失回避傾向」の意識。
年5%の利益を見込める投資話だが、投資しないと答えた人の比率は山形が全国で最も高かった。
利益を得るより損を避ける意識の強さが表れた。
同様に、Q2「近視眼的行動バイアス」は、将来的に増えたお金を選ぶか少額でもすぐに手にできるお金を選ぶかの意識の差が出る。
山形は47位。
じっくりと待つ姿勢のようだ。
「おしんや上杉鷹山に代表されるように、質素で我慢強く粘り強い風土。現在は高齢化も進み、冒険的な新たな投資よりも、蓄えを大切にする気風が表れているのではないか」(岩中氏)
一方、隣の秋田はQ2の回答が3位。
山形と対照的だ。
気長に待って増やすよりも、今すぐお金を手にしたい気風なのだろうか。
『ビジネスの9割は「県民性」でうまくいく』の著者で、経営コンサルタントの矢野新一氏は、秋田の県民性をこう分析する。
「東北で最初にミニスカートがはやったのは、秋田と言われます。ノリがよく見えっ張り。豊かな米どころだったため、『秋田の着倒れ食い倒れ』と言われました。山形と違い、享楽的な気風です。ケチで、近視眼的なわけではありません」
秋田は老後の資金計画を持つ人の比率が全国で最も低かった。
茨城は、Q1の回答が全国で最も低かった。
投資に対する意欲が強いのか。
「『水戸っぽ』という言葉があり、理屈っぽい・怒りっぽい・骨っぽい気質です。直情径行で、気長に待つのが性に合わない県民性の表れでは」(岩中氏)
Q3「横並び行動バイアス」は、長野が43位。
わが道を行く気風かもしれない。
金融知識は7位と高い。
「教育熱心で、議論好きの人が多い県。他人がどう行動しようとも、自分の培った知識や情報をもとに判断する気質で、横並び意識が低いんです」(岩中氏)
同じ43位には東京も入った。矢野氏は「納得の結果だ」としてこう述べる。「東京は京都と並び、プライドの高い人が多い。東京は多くの人が働き、住む地域で
すが、広くて安い家を買える埼玉や千葉など近郊へ移る人も多い。都心にとどまり続けるのはプライドの高さかもしれません」
富山は消費者ローンを利用する人の比率が全国で最低。岩中氏は「豊かで持ち家率も高く、教育熱心な県。ただ、金融トラブル経験者の比率の高さが3位なのは、不思議でね」。
栃木はQ2「近視眼的行動バイアス」が4位。
矢野氏は「攻めの群馬、守りの栃木と言われます。東北に近く、むちゃなお金の使い方をしない風土。1年後を待たずに今もらおうとの気質なのでは」と話す。
ちなみに、矢野氏は冒頭の山梨の結果について、岩中氏と同じく「無尽」の影響力を指摘した。
「ゴルフの無尽など、今は金銭的な結びつきばかりではないが、影響は依然大きい。
居酒屋に『無尽歓迎』と書かれ、選挙の当落は入っている無尽の数で決まると言われる
ほどです」
全国最下位の金融知識は、郷土を愛する人の結びつきの裏返しかもしれない。
・・・って、県民性とかいう類の資料や尤もらしい分析は、実に眉に唾をという気がします。
血液型で性格などを言うのと同様で、全く根拠がないとはいいませんが、なんだかなぁと思います。
「あんた何様で、何しに行ったんだ」と、呆れ返るニュース。
台風10号の豪雨被害を受け、岩手県岩泉町を視察に訪れた務台俊介・内閣府政務官兼復興政務官が、政府職員におんぶされて被災現場の水たまりを渡っていたそうです。
記者団の取材に対して「不適切だったと猛省している」と陳謝。
長靴を持参しなかったことについても「大いに反省している」と。
クビでしょ。
デリカシー、責任感、緊張感の欠片も感じられません。
箸にも棒にもかからない。
冗談にも洒落にもなりません。
またまた京須さんの一文です。
昭和戦後の人情噺復活のムーヴメントのうち、突出した成功例として私は圓生の「牡丹灯籠――栗橋宿」を挙げます。
1957年の夏、ラジオで聴いてショックを受け、まもなく有楽町の東宝名人会でナマを聴いて、改めて舌を巻きました。
あとから思えば、それは多分に歌舞伎世話狂言の感覚を採り入れた一人芝居型の話芸ドラマではあったのですが、とにかく圓生は「栗橋宿」で誰も足を踏み入れなかった世界を歩いてみせたのでした。
余談めきますが、その翌年の圓朝祭での圓生の「怪談乳房榎――おきせ口説・重信殺し」と併せて二つの体験が、のちに圓生を徹底録音する道の出発点になりました。
もうひとつ余談めけば、その圓朝祭で志ん生は「業平文治漂流奇談」を、正蔵は正本芝居噺として「真景累ヶ淵――水門の場」を演じたのでした!
圓生が時代を画したのは「牡丹灯籠」だった、というより「栗橋宿」だったと言うべきでしょう。
久蔵に酒を飲ませて伴蔵の浮気を探るお峰の年増女の色気、伴蔵にぶちまけるあられもない嫉妬。
女を描かせれば無敵といわれた芸を生かして圓生は名人の座に肉薄したのでした。
圓生は「栗橋宿」の前講のように「お札はがし」などもやりましたが「牡丹灯籠」の通し口演など考えもしなかったと思います。
十日単位の連夜口演に大勢の客を引き寄せるのが現実的でない昨今将来、演者は長編の中から自分ならではの名場面を見つけ出して誰にも邪魔されることのない絶対の表現境を築いてほしい。
そんな珠玉の奇跡は一演者に一席か二席あれば充分なのです。
いや、芸とはそういうものでしょうよ。
人間は博物館にゃなれないのですから。
そんな絶対のネタをもつ噺家が数名もいればもういちど名人の時代は来るし、そうなれる人材大いにありだと申し上げます。
私は正蔵の「戸田の河原(おこん殺し)」が好きです。
ただし他の演者で聴きたいとも、この噺の他の場面を知りたいとも思いません。圓朝全集で読んだ「緑林門松竹」の小僧平吉という悪党のキャラクターにとても惹かれるのですが、いまだに耳で聴くことができないままです。
ところで講談では「牡丹燈記」をどれほど演じているのでしょうね。
中国・明時代の怪奇小説で圓朝の「牡丹燈籠・お札はがし」の原記として知られ、講談ではかつてよくやっていたし、岡本綺堂が劇化して、芝居でもよくやっていました。
「幻想的」という意味ではこの原典のほうがパロディの「お札はがし」より上ですよ。
・・・なるほど、最近は長講の「通し」がよく演じられますが、京須さんから見ると、?と言うことでしょうか。
確かに、「あんなに長い噺を一人で一度に」と言う評価は、やや焦点がぼけるかもしれません。
「牡丹燈籠」・・・、名作なんですね。
疲れていても、残念ながら目が覚めてしまいます。
今朝も、5時過ぎには一度目覚めて、トイレに行ってからまた寝て・・・。
疲れはほとんど取れていません。
◇やかん 六代目三遊亭圓生
圓生師匠は、人情噺だけでなく、こういう軽妙な噺も素晴らしかったと思います。
そう言えば、先日、YouTubeで、先代圓楽師匠の「薮入り」と「町内の若い衆」を視聴しましたが、若かった・・・。
桂歌丸師匠の高座65周年記念落語会が、仙台でも開催されるようです。
11月19日(土)仙台市民会館で。
ゲストが、柳家花緑さんと、何と我等が?林家あずみさんです。
歌丸師匠や花緑さんはともかく、仙台の皆さん、あずみさんを是非ご覧になってください。
昨夜の大雨で、仙台の中心部も冠水したようです。
ニュースで、仙台駅前の映像を見てびっくりしました。
台風13号から変わった低気圧などの影響で、宮城・仙台市で道路が冠水するなど8日
夜は東北で激しい雨が降った。
雨は9日も北海道を中心に降り続く見通しで、警戒が必要となっている。
8日夜の宮城県の仙台駅前。
バケツをひっくり返したような激しい雨が降る中、道路は川のようになっていた。
さらに地下に降りる階段では、滝のように水が落ちていた。
気象庁によると、台風13号から変わった低気圧や前線に向かって、暖かく湿った空気
が入ったため、8日から東日本や北日本を中心に大気の状態が不安定になり、激しい雨
が降った。
仙台市内では、8日午後8時すぎまでの1時間に36.5ミリの激しい雨を観測した。
仙台市では仙台城跡の近くの斜面が崩れ、土砂が一時、道路を覆った。
ケガ人などはいないという。
こんなこと・・・、珍しい。
今日は「重陽の節句」。
節句は、伝統的な年中行事を行う季節の節目となる日で日本の文化・風習です。
年間5つの節句(五節句)がありますが、これは江戸時代に定められた5つの式日(祝日
)。
1月7日の人日の節句(七草粥)、3月3日の上巳の節句(桃の節句/雛祭り)、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句をさします。
古来より、奇数は縁起の良い陽数、偶数は縁起の悪い陰数と考え、その奇数が連なる日をお祝いしたのが五節句の始まりで、めでたい反面悪いことにも転じやすいと考え、お祝いとともに厄祓いもしていました。中でも一番大きな陽数(9)が重なる9月9日を
、陽が重なると書いて「重陽の節句」と定め、不老長寿や繁栄を願う行事をしてきました。
今では五節句の中でも影が薄くなりましたが、五節句を締めくくる行事として、昔は最も盛んだったといわれています。
重陽の節句の主役は「菊」。
菊は古来より薬草としても用いられ、延寿の力があるとされてきました。
菊のおかげで少年のまま700年も生きたという「菊慈童」伝説もあります。
また、他の花に比べて花期も長く、日本の国花としても親しまれています。
中国由来の行事で、日本では平安時代ごろに貴族の宮中行事として取り入れられました
。
当時は、中国から伝来したばかりの珍しい菊を眺めながら宴を催し、菊を用いて厄祓いや長寿祈願をしていました。
これが時代とともに民間にも広がり、江戸時代に五節句のひとつとなって親しまれるようになりました。
菊といえば晩秋の花という印象ですが、旧暦の9月9日は新暦の10月中ごろにあたり
、まさに菊の美しい季節でした。
このころは農繁期であることや、新暦に替わって季節感が合わなくなったことなどから次第に廃れてきましたが、寿命を延ばすと信じられていた菊を使い、さまざまな風習が伝えられています。
庶民の間では「お九日(くんち)」と呼ばれて親しまれ、秋の収穫祭と合わせて祝うようにもなりました。
有名な「長崎くんち」「唐津くんち」はその名残で、新暦の10月に開催されています。
・・・なるほど。
最近、時間の経つのがますます早くなりました。
去年の今頃は、まだ梅雨時だった気がします。
忘れた頃にやらかすドジな話。
大阪出張の新幹線の指定席は、必ず事前に確保しています。
乗る車両や席も、だいたい同じような所にしています。
今日も今日とて、指定席を取っているので安心して東京駅ヘ。
新幹線の改札を入って、乗車番線を確認すると・・・、指定席の便の発車時刻が、いつものと違っています。
偶然同じ発車時刻の便は、岡山行きのひかり・・・?
駅員さんに確認すると、何と、東京-新大阪駅のはずが、新大阪-東京の指定席になっています❗
慌てて、指定席を変更しましたが、朝のビジネス便は一杯。
少し遅らせて、やっと通路側の席を確保しました。
やれやれ・・・。
気がつかずに乗っていたら・・・。
くわばらくわばら。
OB落語会を2週間あまり後にに控えて、一番心配していた口内炎が酷くなって来ました。
右側の下唇の中と、舌の左側面の2ヶ所。
軟膏を塗って錠剤を飲んでいますが、暫く痛みに苦しめられそうで憂鬱。
前門の狼・後門の虎ならぬ、喉元のあせも・咥内の口内炎です。
やはり私が嫌いな言葉遣いに「〜みたく」というのがあります。
どう考えても、「〜みたいに(な)」でしょう。
音感も好きになれません。
「みたく」も「みたい」、どちらも「ある事物のようすや内容が他の事物に似ている」様をあらわすための言葉です。
「〜みたく」は、日本語にはそのような言葉はありません。
「ある事物のようすや内容が他の事物に似ている」というさまを、副詞的に使っているのです。
・・・そうですよ、日本語にはない表現だと思います。
綺麗な日本語を使いたい。
あせも、なんて言うと、乳幼児の専売特許のように思われるかもしれません。
この夏、かなり頑張ってネクタイを締めていたこともあり、顎から首、胸板にかけて、あせもになってしまいました。
喉仏の辺りは少し腫れ、胸板は真っ赤になって、痒みも出て来て・・・。
軟膏や液剤やシッカロール、制汗剤を使っていますが、なかなか良くなりません。
涼しくなって汗をかかなくなるまで、暫く我慢が必要なようです。
あせもができるのは、大量に汗をかいたときに、汗が皮膚の中にたまってしまうことが原因です。汗は、汗管(かんかん)という管状の腺から分泌される体液です。
汗腺があるのは皮膚の真皮の奥深く。
そこから汗管という汗の通路が伸び、体の表面のある汗孔と呼ばれる出口に通じています。
たまった汗は、皮膚の下にある汗管の周りの組織に漏れ出し、水ぶくれが生じたり、炎症を起こして、かゆみを伴う赤いブツブツができたりします。
そのためあせもは「汗疹(かんしん)」と呼ばれます。
あせもができやすい場所は、頭、額、首、肘の内側、脚の付け根やお尻、膝の裏側など汗が乾きにくい部分。
乳幼児の場合はおむつでおおわれている部分も、要注意ゾーンです。
やれやれ・・・・。
信じられない事件が静岡県内で起こっているそうです。
インターネットなどによる小中高校への爆破予告が県内で相次いでいる。
県教委によると、2015年度は1年間で3件だったのに対し、16年度は6日現在、既に6件。学校側は爆破予告のたびに休校などの措置や安全確認を迫られ、対応に苦慮している。
「(学校を)めちゃくちゃにしてやる。爆発させてやるから」。
静岡市駿河区の駿河総合高の教職員らが8月末、短文投稿サイト「ツイッター」で書き込みを見つけた。
同校は翌日予定していた2学期の始業式を延期し、臨時休校にした。
ネット上でも爆破予告の情報は拡散した。
警察と相談の上、敷地内で不審物を捜索し、生徒や保護者に自宅待機を求める一斉メールを送るなどの対応に追われた。
県教委によると、4月に富士東高や清水東高、清水特別支援学校などを標的にした爆破予告が2件あった。
7、8月には県内の複数の小中学校に対し、ネット掲示板への書き込みとメールで予告された。
いずれも直接的な被害はなかったが、生徒を一時避難させたり、帰宅させたりする措置を取ったという。
県教委の幹部は「予告には心当たりがなく唐突。いたずらだと思っても起こらないとは言い切れないので、1件ごとに対応せざるを得ない」と話す。
爆破予告の手段は、ネット掲示板への書き込みや市町へのメール、ツイッターへの書き込みといったネット関連が半数の3件を占めた。
・・・それにしても、卑怯な。
やはり京須偕充さんの「来福」というサイトの一文です。
上野・鈴本演芸場の8月中席夜の部は恒例で柳家さん喬・柳家権太楼が交互にトリと仲入り前をつとめ、10日間のネタ出し(演目予告)もあって今年も盛況のようです。
権太楼さんがこのところ夏風邪をこじらせたようで咳に悩まされています。
途中だいぶ咳き込んだけれど「『子別れ』はよかった」とカメラマンの横井洋司さんが言って
いました。
8月4日の落語研究会でもだいぶ咳き込んだけれど近頃ご執心の「心眼」を手を抜かずに演じていました。
「心眼」といい「子別れ」といい、近年の権太楼さんは泣かせるネタにも力を入れています。
かつては笑いの権太楼、泣かせのさん喬がセールスポイントだったご両所の対比がそう単純なものではなくなってきたように思います。
ご両人それぞれに総合性の高い巨匠・大御所に近づいてきたということでしょうか。
咳がとまらなくなるような事態に備えてか、このところ権太楼さんは高座に湯呑みを用意しています。
いざとなれば白湯(さゆ)でのどを湿そうというわけですが、実のところ、それは咳どめのまじないのようなもので、当面、湯呑みに手を伸ばしてはいないようです。
それに権太楼さんは規則的な間拍子(まびょうし)でゆったり語り進める語り口ではないので、話しながら湯呑みを手にとって、口を湿して湯呑みを戻すという間合いがとりにくいのでしょう。
落語研究会での「心眼」のときもマクラで湯呑みを置く事情を述べた後、「圓生師匠のような話し方じゃありませんので」と客席を笑わせていました。
いま、湯呑みを高座で愛用しているのは柳家小三治さんぐらいでしょうか。
私の眼に残る“湯呑みの芸”も圓生さんばかりで、文楽、志ん生、金馬、三木助、小さんなど
などでは印象がありませんから、実は湯呑みは高座の必需品でもなんでもないのです。
高座に火鉢と鉄瓶があった時代の名残なのでしょう。
権太楼さんが早く湯呑みと縁が切れるよう願っています。
数年前に体調を崩したあと一段と芸が成熟し、泣かせの落語にも新境地を開きつつあう権太楼さん。
今回の咳き込み騒動から何がうまれるか?
湯呑みの湯を飲むことなんか、新境地でもなんでもありません。
・・・圓窓師匠も、高座に湯呑みを置くことが多いです。
でも、実際に手にすることはほとんどありません。
高座に湯呑みを置くというのは、落研時代はご法度でした。
「オレたちゃぁそんなに偉かぁねえ。生意気だ」ってなもの。
師匠に師事して間もない頃、稽古会で高座の湯呑みが話題になったことがありました。
師匠は、「偉い人や大看板だからとか、そんなことはない。喉の具合が悪くて心配なら、誰が置いたって構わない。遠慮は要らないよ」と仰いました。
その後、OB落語会だったかお江戸あおば亭だったか、「浜野矩随」を演った時に、湯呑みを置いたところ、先輩から「昔はねぇ・・・」なんて言われたことがありました。
湯呑みを置いても、実際に噺をしていて、湯呑みには手が出せません。
私は、「浜野矩随」では、母親が水を飲む場面で、その湯呑みを使ってみました。
ちょっとしたイベントがあって出席した時のこと。
こんな文章が、ホワイトボードに書かれていました。
何となく、落ち着かない表現なんです。
この表現は、"まちがい"ではないのかなぁ?
"まちがえた"表記なんでは?
「お座りいただけますよう」ではなくて、「お座りいただきますよう」のような気がするんです。
調べてみると、こんなコメントがありました。
意味としては同じですが、前者(いただけますよう)の場合、半ば強制でお願いしている印象を受けます。
後者(いただきますよう)は、強制ではないけれどお願いしますと言った、ソフトな印象です。
地域の清掃活動を促す文章だったら、「いただきますよう」で良いと思いますが、会社間の取引等の場合は「いただけますよう」の方が好ましいのではないかと感じます。
・・・う~ん。
私は、どの場合でも「いただきますよう」と言う気がするなぁ。
秋晴れ?というか、何とも不安定な天気の中、落語協会の「謝楽祭」やら、「目黒のさん祭り」やら、落語に関わるイベントが行われているはずです。
それを横目に見ながら、ひたすら東名高速を西に向かいました。
晴れているのに雨が落ちて来たり・・、台風前夜?の変な天候。
「目黒のさんま祭り」は、ニュースでもやっていました。
落語「目黒のさんま」にちなんで、JR目黒駅前で、サンマが無料で振る舞われる、恒例のイベントが開かれた。
2016年で21回目となる「目黒のさんま祭り」。
秋の味覚を、一足先に味わおうと、朝から長蛇の列ができた。
今回も、東日本大震災の被災地、岩手・宮古市から、およそ7000匹のサンマが届き、徳島県産のスダチや、栃木県産の辛味大根おろしを添えた炭火焼きが、無料で振る舞われた。
訪れた人は、「おいしい」、「すごくおいしい。並んだかいがあった」などと話した。
近年、サンマは高騰し、2016年7月、東京・築地市場に初入荷した大型サンマ1匹あたりの値段は、3300円。
2015年に記録した、過去最高値の2500円を、大きく上回った。
その背景には、中国や台湾など、近隣諸国の乱獲があるといわれているが、日本の漁獲量は、2008年をピークに減少傾向となり、2015年は、ピーク時の3分の1以下となっている。
さらに、宮古市・佐々木 勝利水産課課長は「今回は、台風の影響もあって、こちらに提供するサンマは、北海道に揚がったサンマを、宮古市の方で届けさせていただいた」と話した。
苦肉の策で調達した7000匹のサンマだが、なんとしても、目黒のさんま祭りに提供したいという、宮古市の心意気が詰まっている。
目黒のさんま祭り・中崎政和実行委員長は「宮古市の災害に対して、いろいろと協力していきたいと思い、いろんなところに協力をお願いして、盛り上げていこうと思っています」と話した。
平均で、3~5時間は並ぶという、目黒のさんま祭り。
それでも食べたい秋の味覚に、多くの人が舌鼓を打っていた。
・・・色々大変ですね。
帰省する支度をしながら、慌しく聴いています。
◇桂米朝 焼き潮
初めて聴く、とても珍しい噺のようです。
お花という奉公人に田舎から手紙が来たんですな、そやけど、字が読めません。
いつもは、決まった人に読んでもらっていたんですが、あいにくいません。
仕方なく頼ったのが、道行く侍でした。
侍は手紙を見るなり、はらはらと涙を流し、「残念でござる、もはや手遅れだ」と答えます。
お花には心当たりがありました。
同郷の者から、母親が床に伏せっていると聞かされていたからです。
手遅れだと聞かされ、お花の目からも涙が・・・・。
「やーきしおー」と声を張り上げ通りかかったのが、焼き塩屋でした。
こいつは親に引き裂かれた身分違いの恋だと考えた焼き塩屋ももらい泣きします。
「なんや、なんや、通りで3人も泣いとる、どないしたんや」、野次馬が次々と集まってきます。侍は訳を尋ねられ、「拙者は仕官をするために武芸に励んできたが、学問は一切しておらん。字が読めんのじゃ、今では手遅れだがの」
通りがかった人が、手紙を読みます。
「幸い病も癒え、床上げをしたばかり・・・・」、吉報だったのです。
お花の表情が急に明るくなります。「ところで、焼き塩屋さん、おまえさんは何で泣いていなさる?」と聞かれ、性分として涙もろいことを語ってきかせます。
「それに商売柄、なーきしおー(やーきしおー)」
・・・・。
京須偕充さんの一文を読みました。
桂歌丸さんのCD「塩原多助一代記(三遊亭圓朝作)」の上下2枚完成にことよせて、続き物・長編人情噺の復活口演が多く行われるようになった昨今について少しばかり感想を記しました。
厳密に言えば、人情噺の“復活”は今にはじまったことではないのです。
逆に見れば、この種の噺がメインストリームから外れたのは、百年を超える歴史的現実でもあったということなのです。
私が落語を熱心に聴き始めた1950年代なかば、人情噺に力を入れていた演者は五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生、八代目林家正蔵(のち彦六)の三人でした。
この三人に共通するのは「晩成の名人」です。
逆から見れば中年までは彼らの志向が時流から外れていたということでもあります。
地味だった芸人が急に輝き始めると「化けた」といわれるのが芸の世界ですが、人間はそう無闇に、また足並みをそろえて化けるものではありません。
一席物の人情噺、たとば「文七元結」などの地位は揺るがなかったものの、大圓朝他界の頃から続き物人情噺の上演は急速に少なくなっていたようです。
これは時流、とくに娯楽の多様化が爆発的に進行する中、悠長でストーリーが肥大化した人情噺は客席も演者も敬遠するようになっていたのです。
もう人情噺なんかやっても――。
大正から昭和戦前にトップクラスの座に昇った五代目三遊亭圓生、八代目桂文楽、三代目三遊亭金馬、六代目春風亭柳橋はそう言っていたそうです。
文楽のそんな発言は録音にも残っています。
昭和戦後になって「古典落語」尊重の流れが力を得て落語に文学的、演劇的な価値が求められるようになりました。
不遇の状況下にも人情噺を捨て切れなかった志ん生、圓生、正蔵の時代が来たのです。
三人はラジオで、のちにはレコードで、しきりに人情噺を演じ、続き物人情噺の要所の復活にも取り組みましたが、それは徹底した部分クローズアップ、つまりいいとこ取りだったのです。
・・・歴史は、やはり様々な力関係や流れやうねりに翻弄されたり、結果的に良かったという評価になったりですね。
しかし、残るべきものは、神様がしっかり残すようにしてくださるということなのかもしれません。
9月3日は、六代目三遊亭圓生師匠の誕生日&命日です。
圓生師匠は、誕生日と命日が同じ日だという、シェークスピアや小津安二郎監督と同様、とても珍しい巡り合わせをお持ちです。
37年前に、習志野で突然倒れ、そのまま還らぬ人になりました。
上野動物園のパンダが死んだのと重なり、新聞の見出しのトップは譲ってしまいましたが。
台風、間違いなく上陸しますよ。
熊本地震の被災地も予報円の中に入っています・・・。
とても心配。
出張で大阪に来ていますが、大阪は真夏の暑さです。
毎日新聞の記事を見つけました。
◇魅力満載、若手落語家が熱い 満員御礼、
修業耐えやっと二ツ目/食えなくても充実◇
「若手ブームだ」「イケメンだ」と落語界が注目されている。どうやら最近、多様な若者たちが落語に挑み始めているらしい。厳しい師弟関係も長い下積み生活もなんのその。
なぜ今、若人は落語家を目指すのか?
「ざーくざくのばーりばり。ちんちろりんのさーくさく」。
入門から9年目、「真打ち」一歩手前の「二ツ目」の入船亭小辰さん(32)が、古典落語「たらちね」を演じている。
長屋の八つぁんが新妻を待ちながら、仲むつまじい夫婦の食事を想像し、一人でほくそえむ場面。
次第に興奮する「八つぁん」の盛り上がりっぷりについ笑いが漏れる。
ここは東京・神保町の「らくごカフェ」。
昼間は喫茶店、夜は落語が聴ける。
常設の寄席より高座への距離が近い上、お値段も安く、初心者でも立ち寄りやすいと好評だ。
今夜も30脚の椅子は満席。
生まれて初めて生の落語を聴いた女性会社員(34)は「効果音もBGMもないのに言葉だけで世界を作るなんてすごい!」とすっかり感動している。
高座から降りてきた小辰さんに女性客の感想を伝えると「すごいのはお客さんの方です。僕は『絵を見せたい』と一生懸命言葉を伝えるだけ。言葉から情景を生き生きと頭に描いてくださるのはお客さんの想像力ですから」。
小辰さん、あくまで腰が低い。
最近の落語ブームの火付け役は一昨年、東京・渋谷に若手をメインに据えた定例会「
渋谷らくご」(通称・シブラク)が登場したことだろう。
「若者の街に落語が!」とメディアがこぞって取り上げた。
それまでも、2005年のテレビドラマ「タイガー&ドラゴン」や07?08年のNHK連続テレビ小説「ちりとてちん」、10~16年に連載され、テレビアニメ化された漫画「昭和元禄落語心中」など、若手落語家に光が当たる機会が増えていた。
実際に落語家の数も増えており、東西合わせると800人を突破。
史上最多と言われている。
落語家の増加は、定年がないことに加え、若手の弟子入りが増えたためだ。
若手が芸を磨ける高座を増やそうと、音楽で言えばライブハウスのような場所が増え始めた。
草分け的存在の「らくごカフェ」がオープンしたのが08年。
14年には昼間に500円で3人の噺(はなし)を聴ける二ツ目専門の寄席「神田連雀亭」が誕生。
一方、定席の新宿末広亭でも以前から毎週土曜日夜、500円で若手ばかり4人の「深夜寄席」が開
かれてきた。かつては空席が目立ったが、最近は立ち見も出る人気だ。
らくごカフェ代表の青木伸広さん(46)は「若手の落語を安く気軽に聴ける場所が増え、新たなファン層を呼び込んだ。
イケメンブームもその一現象。
すべてのきっかけは若手が落語界を目指し始めたことにある」と指摘する。
でも、なぜ若者は落語家を目指すのか。
真打ちまで十数年かかる上、本業だけで食えるのはほんの上澄みだけという厳しい世界なのに。
「シャープが台湾の会社に買収される不確かな時代です。しかも就職活動しても入りたい会社に入れるわけじゃない。望まない会社で自分をすり減らすくらいなら、食えなくても思い切って好きなことに打ち込みたい、と思う真面目な若者が増えているのです」と若手落語家をよく知る青木さんは分析する。
さらに徒弟制度についても「修業が厳しいのは、師匠がそれだけ親身に真剣に弟子の面倒をみようとするから。ここまで手を抜かず一生懸命育ててくれる『会社』が今どきありますか?」。
今や新卒社員の3人に1人が3年以内に離職するというのに、「落語界の若手は驚くほど辞めないですよ」と青木さん。
実際に本人たちにも尋ねてみた。IT企業を辞めて27歳で弟子入りしたのは女性落語家の三遊亭美るくさん(36)。
「(お酒を)飲む、(ばくちを)打つ、(女を)買う」のネタが多く、女性には向かないと言われてきたが、女性落語家も今では「知っているだけでも関東で25人くらいいる」という。
IT企業のギスギスした雰囲気や毎日終電帰りの激務に疲れていた時、友人が寄席に誘ってくれた。
生まれて初めて聞いた落語に夢中に。
半年後、当時は数少なかった女性落語家の三遊亭歌る多師匠の落語を聴き、感動。
退職して退路を断ってから、歌る多師匠に弟子入り志願した。
「女の仕事じゃない。やめとけ」と断られても食い下がった。
好きだから挑戦したかった。
前座時代、客から「女は引っ込め」とやじを飛ばされた。
でも「これが一生の仕事」という。
落語の世界は「みな家族みたい」。
幼い頃から母がおらず、父も前座時代に亡くした美るくさんに、師匠は「私を母親と思っていいから」と言ってくれたという。
もう一人、「お笑い芸人」から27歳で転身したのは、三遊亭とむさん(32)。
15歳でデビューし、テレビやラジオで「末高斗夢」として活躍したが、20代半ばで仕事がぱたりと来なくなった。
活路を見いだした先が落語だった。
生き馬の目を抜くようなドライな「お笑い」の世界を知る身には、落語界は「過保護」にすら思える。
「落語界はどんな偉い師匠でも全員が同じ厳しい前座修業を経験している。だから絆が強い。師匠が教え、守ってくれる。先輩方が援護射撃してくれるシステムがある」
修業の厳しさを知らぬまま「落語家になりたい」ととむさんに相談する芸人もいるという。「『お笑い』が短距離走の笑いなら落語はマラソンの笑い。『お笑い』の刺激的な笑いを見て育った若いお客さんに落語の魅力をもっと伝えたい」と奮闘中だ。
青木さんは「時代が落語を求めている」と見る。
「落語はちょっと元気がない時に聴くのがいい。なぜなら、落語の主人公は失敗してばかり。でも長屋のコミュニティーで村八分に遭うことはない。立川談志師匠は『落語とは人間の業の肯定』とおっしゃいました。落語の人気が低迷したのは高度成長期とバブルの1980年代。絶好調の時、人は落語を求めない。今のブームは不透明で先行き不安な時代ゆえではないでしょうか」
では、若手を支えるファンたちの心情は?
小辰さんの噺を聴いていたファン歴25年の女性は「真打ち前の二ツ目を聴くのが一番楽しい」ときっぱり。
「私が目をつけた子は将来大抵売れるの。的中率90%かな」
二ツ目を好んで見にくる古くからの男性ファンから、青木さんはこんな言葉を聞いたことがあるという。
「(柳家)小三治師匠みたいに完璧なエンターテインメントではなく、ドキュメンタリーを見に来てんだ。大リーグじゃなく甲子園。頑張っても失敗する日もあれば、ホームランをかっ飛ばす日もある。二ツ目の落語には、そんな面白さがある」。
なるほど、だから、つい応援したくなるのか。
多様な若手がしのぎを削る落語界の「ドキュメンタリー」には、名人たちの人情噺のように、“泣き笑い”のドラマがたっぷり詰まっている。
・・・・なるほど。
その通りのような、ちょっと違うような。
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